第139話 見送り

「野々ちゃん、そろそろ出るよ!」

 僕は二階に向けて声を張った。


 それでも野々が中々下りてこないから、俺は階段を上がる。

 ノックをして、野々の部屋のドアを開けた。


 部屋の中では、制服の上にコートを羽織った野々が、ベッドに座ってうつむいている。

 野々は背中を丸めて縮こまっていた。


「ほら野々、もう出ないと間に合わなくなるよ」

 僕は野々に声をかける。


 ベッドに座った野々が、僕を乞うように見上げた。

 そのつぶらな瞳は、少しうるんでいる。

 いつも勝ち気で生意気な野々にしては、珍しく殊勝しゅしょうな態度だ。



「野々ちゃん、どうしたの?」

 僕は野々の隣りに座った。

 すると、野々が僕に体を預けて寄りかかってくる。

 その体を支えようとして、僕は野々を抱き止める形になった。


「お兄ちゃん……」

 野々がそれだけ言って、僕の胸に顔を埋める。


「どうしたの? 野々ちゃん」

 僕は、野々の肩をポンポンと叩きながら訊いた。

 訊きながら、なんで野々がこんなふうに感傷的になってるかは当然分かっている。


 今日は、野々の高校受験の日だ。

 これから野々は、我が是清これきよ学園高校を受験する。

 それで野々は緊張しているのだ。


 僕にひしと抱きついている野々が、微かに震えているのが分かった。



「大丈夫、野々ちゃんは一生懸命勉強したし、普通に試験受ければ合格するよ」

 僕が言っても、野々は返事をしない。

 ただ、駄々っ子みたいに僕に抱きついてるだけだ。


「勉強教えてくれてた朝比奈さんも、野々ちゃんなら間違いないって言ってたでしょ?」

 僕は野々の顔を覗き込んで言った。


 朝比奈さんは、直前の昨日も来てくれたし、ここにわざわざ何度も足を運んで野々の勉強を見てくれていた(朝比奈さんだけじゃなくて、千木良とか柏原さん、綾駒さんもなぜかうちに来てたけど)。


「それに、うちの高校はお兄ちゃんだって受かったんだよ。お兄ちゃんより優秀な野々なら、間違いないから」

 僕が言ったら、野々が僕の胸に顔をつけたまま首を振る。


 野々がこんなに甘えん坊になったのは久しぶりだ。

 それだから、僕は時間ギリギリまで野々を抱きしめておいた。

 背中をさすって、大丈夫って何度も言って励ます。



「よし、行こうか」

 いよいよ時間になって僕が言うと、野々がコクリと頷いた。

 一回鼻をかんで涙を拭く。


 野々はベッドから立って、一階に下りた。


「野々ちゃん、頑張ってきなさい」

 母からお弁当を受け取る野々。

 野々は、母にも一度抱きついた。


 二人で家を出る。



 二人で駅まで歩いていると、

「お兄ちゃん、手をつないでいい?」

 野々が訊いてきた。


「もちろん」

 僕は、野々の手を取る。


「なぜ恋人繋ぎ!」

 僕の手の繋ぎ方を野々が突っ込んだ。

 そして、けらけらと無邪気に笑う。

 やっといつもの野々に戻った気がした。


「そっか。お兄ちゃん、私の緊張を解くために、わざとこんなことしてくれたんだね」

 野々が言う。


「うん、まあ」

 本当は、ただ野々が可愛すぎて、自然に恋人繋ぎしてしまったんだけど、そう言っておいた。


 野々と恋人繋ぎのまま駅まで歩いて、電車に乗る。

 電車を降りて、いつのも通学路を歩いた。



 通学路には、いろんな中学校の制服を着た生徒が歩いている。

 友達と連れ立っていたり、僕達みたいに家族と歩いている受験生の姿もあった(さすがに恋人繋ぎの二人はいなかったけど)。

 学校に近付くにつれ、野々が僕の手を握る力が強くなった。



 校門の辺りはごった返していて、受験生が関係者から最後の励ましを受けている。


 騒々しい正門の方を避けて、僕は野々を駐車場がある裏門に連れて行った。

 そこなら、静かに野々を見送ることができるって思ったのだ。



「それじゃあ野々、頑張ってきて」

 僕は、野々の目を見て言った。


「うん、頑張る」

 野々はそう言うと、大きく深呼吸する。

 そして、踏ん切りをつけたように僕の手を放した。


「お兄ちゃん、ありがとう」

 野々が言う。

 今頃になって、僕の方が緊張していた。


「よし!」

 と、野々は凜々しい目付きになって裏門をくぐる。


 野々のその目を見たら、もう、合格は間違いないような気がした。




「西脇君」

 僕が校舎に向かって歩く野々の背中を見守っていたら、後ろから声をかけられる。


 そこには、私服姿の朝比奈さんと綾駒さん、柏原さんに千木良がいる。


「どうしたの? みんな」


「うん、野々ちゃんを見送ろうと思って来たんだけど、みんなで囲んだから逆に緊張させちゃうかもしれないし、兄妹水入らずのほうがいいと思って、二人をこっそり見てたの」

 綾駒さんが言った。


「ありがとう」

 僕はみんなに頭を下げる。

 みんな、休みなのに野々のためにわざわざ来てくれたんだ。


「ううん、だって野々ちゃんは私達の妹だもの」

 朝比奈さんが言った。


「そのうちホントの妹になるかもしれないしな」

 柏原さんが言った。


 柏原さん、それ、どういう意味だろう?


「みんな、本当にありがとう」

 僕はもう一度みんなに頭を下げた。


「千木良も、ありがとうな」

 腕組みして関係ないって顔してる千木良に、僕はしゃがんで視線をあわせて言う。


「べ、べつに、私は、あんたの妹のことなんてどうでもいいわ。ただ、妹が来れば、私が一番下じゃなくて、下級生の子分が出来るから便利かなと思って来ただけ」

 千木良はそう言ってぷいって横を向いた。


「そうなったら、千木良はお姉ちゃんだな」

 柏原さんが言ったら、千木良は「お姉ちゃん」っていうワードに反応してびくっとする。

 そして、あとからほっぺたを真っ赤にした。


 それが可愛かったし、とりあえず、感謝の意味を込めて千木良を抱きしめておく。

 抱きしめてほっぺたすりすりする。

 すりすりはしたけど、ペロペロは我慢しておいた。



「さあ、試験が終わるまで時間潰して、みんなで野々ちゃんを迎えてあげよう。それまで、何してる?」

 朝比奈さんが訊く。


 残念ながら、今日は校内への在校生の立ち入りが禁止で、部室には入れなかった。


「ねえ、昔みたいに、みんなでケーキ屋さん行こうよ」

 綾駒さんが言う。


「いいなそれ」

 柏原さんが賛成した。

「まあ、いいんじゃない」

 千木良も異論がないみたいだ。


「ええ、ケーキ屋さん?」

 僕は文句を言った。


 あんなところ、女子のグループと、彼女がいる男しかいなくて、僕なんかが行っても変な目で見られるだけだ。

 みんな、僕がなにかするわけじゃないのに、親のかたきみたいな目で見るのだ。


「いいから、さあ、行くよ」

 僕は、朝比奈さんと綾駒さんに両側をがっちりと掴まれて連行された。


「ケーキ屋さんのあとは、お買い物に付き合ってもらって、お昼食べて……」

 朝比奈が空で考える。


「なんだか、デートみたいだな」

 柏原さんが言った。



 僕は、早く本当のデートが出来るように、彼女を完成させなくちゃって、誓いを新たにする。

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