第138話 持久走

 真夜中のグラウンドは、真っ暗だった。


 グラウンドの周りは木々で囲まれていて、民家や街路灯からも遠く、本当に月明かりしかない。

 外だからただでさえこごえそうなのに、暗いせいで余計に寒々しく感じた。


「ほら、あんた、もっと私をぎゅっと抱いて、包み込むように温めなさいよ」

 抱っこしている千木良が言う。


 この場合、幼女側からぎゅっと抱いてと言われてるんだから、抱きしめても犯罪にはならないと思う。

 むしろ、抱きしめないほうが千木良を寒さにさらしてしまって、非人道的なのではないだろうか。

 僕は、非人道的なことがとても嫌いなので、千木良を抱きしめた。

 千木良をぎゅっと抱きしめて、ほっぺたすりすりした。

 すりすりはしたけど、ペロペロは我慢しておいた。


「千木良ちゃんだけずるい!」

 綾駒さんと朝比奈さんが、両側から僕にくっついてくる。

 僕が羽織っているベンチウオーマーの中に、二人が入ってきた。

 両側から、僕の二の腕に何か柔らかいものが当たっている。

 三人の甘い香りで頭がクラクラした。


 冬の寒さも、時にはいいものだなって思う。


 寒さが平気なのは、柏原さんと、逆に寒い方が調子がいいアンドロイドの香くらいだ。




 誰もいない真夜中のグラウンドで、香の50メートル走を測った。


 スタート地点で柏原さんが合図をして、ゴール地点のうらら子先生がストップウォッチを止める。

 寒いから、うらら子先生も外では体操着とブルマをやめて、ジャージとダウンコートを来ていた(ちぇ!)。



「よーい、スタート!」

 暗がりの中、ブルマ姿の香が飛ぶように走る。


 最初小刻みだった歩幅がどんどん大きくなって、最後の方になると一歩で軽く4メートルくらい進んでるように見えた。

 香は、もう、一歩一歩幅跳びをしているような感じで走る。

 暗がりのグラウンドが深くえぐられて、土が点々と盛り上がるのが分かった。

 ゴールラインを切って、なおも加速していく香。


 結果、香の50メートルは、3秒72だった。


「案外、速くないな。まだ、改良の余地がある」

 柏原さんが言う。


 いや、十分に速いと思うんですけど。



 次の立ち幅跳びで香は、空中で一回転して、5m20㎝を叩き出した。

 横に跳ぶだけじゃなくて、縦方向にも、3メートルくらい跳んでいた思う。

 そして、ハンドボール投げは100メートルを超えていて計測不能だった(もう少しで校舎のガラスを割るところだった)。



「ほら、あなた達、そんなに寒いなら、次の持久走は、香ちゃんと一緒に走りなさいよ」

 くっついている僕達を見て、うらら子先生が言う。


「いえ、全然、寒くありません」

 僕は答えた。

 かえって二の腕とか、熱いくらいだ。


「それは、それだけ女子に囲まれてたらね」

 うらら子先生が、僕をジト目で見た。


「よし、僕は走るぞ!」

 柏原さんだけ、この寒さの中で体操着と短パンになる。


「そうね、では賞品を出します。香ちゃんはアンドロイドだから、走って一番になるのは当たり前として、人間で一番になった人は、他のみんなに、一つだけなんでも言うことをきかせられる権利をあげます」

 うらら子先生が悪戯っぽい顔で言った。


「先生、なんでもっていうのは、本当になんでもですか?」

 僕は訊く。

 べ、べつにそんなのどうでもいいけど、一応、訊いておいた。


「もちろんそうよ。女子全員のおっぱいをみしだきたいとか、そんなことだって可能よ」


「やります!」

 そのとき、僕が手を挙げる速さは光速を超えたと思う。


「みんなのおっぱい、はあはあ」

 僕だけではなく、綾駒さんの鼻息が荒くなっていた。


「もう! 先生! 私達のおっぱいを勝手に賞品にしないでください!」

 当然、朝比奈さんが怒る。


「だったらそうならないように、朝比奈さんもがんばりなさい。あなたが勝てば、逆に西脇君にあんなことや、こんなことをさせられるわよ」

 ニヤニヤしながら先生が言ったら、朝比奈さんが空で何か考えた。


 そして、ゆっくりと頷く。


 朝比奈さん、一体、僕に何をさせようって考えてるんだろう……


「そういうことだったら、私も走るわ。ただし、ハンデを頂戴ちょうだいよね」

 千木良が言って、抱っこされている僕の懐から下りた。


 そんなわけで、結局、持久走には全員が参加することになって、思い思いに準備運動をした。

 みんな、それぞれ真剣に手首足首を回したりして、気合いが入っている。


 真夜中のグラウンドで何をしてるんだって気がしないでもない。



「よーい、スタート!」

 うらら子先生の合図で、まず最初に千木良から走り出した。

 普段、僕に抱っこされていて、部室ではほとんど歩かないくらいの千木良が、暗闇の中を全力疾走しっそうする。

 ジャージ姿の小さな千木良が、手を目一杯振って、けなげに走った。

 千木良がこんなに一生懸命になるの、初めて見た気がする。


 その次に一分遅れて朝比奈さんと綾駒さんがスタートした。

 二人も、真っ直ぐに前を見据えて本気で走る。

 二人の胸の大きなものが大きく跳ねて、走るのを邪魔している気がしないでもない。


「次、西脇君!」

 さらにその一分後に、先生の合図で僕が走り出した。


 僕は、全力で走る。

 暗がりのグラウンドを、前を走る三人をめがけて全力疾走した。


 絶対に三人を抜く!

 おっぱ…………いや、この勝負に勝つために全力を出した。


 前ではすでに千木良が朝比奈さんと綾駒さんに追いつかれている。

「ふええ!」

 って千木良の悲鳴も聞こえた。


 そして、僕が走り出してから更に一分遅れて、柏原さんがスタートする。


「西脇、待ってろよ!」


 それはもう恐怖でしかなかった。

 ザクザクと、暗がりの中から柏原さんの足音が聞こえるのだ。

 それが、すごい勢いで迫ってくる。


 でも、僕も負けてられない。

 ただ目の前の目標に向けて走った。

 ペース配分とか、そんなの考えずに走れるだけ走る。

 おっぱ…………いや、部長のプライドのために全力で走った。


 おかげで、前を走っていた朝比奈さんと綾駒さん、千木良の三人をまとめてぶち抜く。


 だけど、柏原さんの足音もどんどん大きくなってきた。

 一分のハンデがあっという間に削られる。

 怖くて振り向こうと思ったけど、振り向くくらいなら前に進もうとがむしゃらに走った。


 ゴール手前で、僕と柏原さんがほぼ並ぶ。

 横目に柏原さんの手足が見えた。

 僕は、歯をむき出して最後の力を振り絞る。


 倒れ込むようにゴールを切った。

 実際、倒れてグラウンドの土を舐める。


 勝ったのか、負けたのか。


 すぐに起き上がって、先生を見た。

「勝者、西脇君!」

 うらら子先生が言う。


 声が出なかった。

 普段の運動不足がたたって、しばらく動けない。


「さすが、おっぱいが絡んだときの西脇は強いな」

 柏原さんが肩を竦めて言った。

 すぐに息を整えた柏原さんが、僕の手を引っ張って起こしてくれた。


 あとから、朝比奈さん、綾駒さん、千木良の順番でゴールする。

 みんな、本当に精一杯走ったみたいで、その場にへたり込んだ。




「よし、みんな、仕方ないな。西脇に、おっぱいを揉みしだかれようじゃないか」

 柏原さんが言って僕の前に立った。


「しょうがないにゃあ」

 息を整えた綾駒さんも並ぶ。


「分かったよ。西脇君、いいよ」

 朝比奈さんがそう言って目を瞑った。

 僕に対して胸を張って差し出すようにする。


「本当に男って最低よね」

 そう言って千木良も並ぶ。


「まあ、男の子なんだもの、しょうがないのよ」

 そう言って先生まで並んだ。

 いや、先生はこの勝負に参加してないのでは?


 とにかく、僕の目の前に五人の女子が無防備な胸を差し出している。

 計十個の胸が、揉みしだいてくださいと言っていた。


 僕は、ゴクリと唾をのんだ。




「みんな、やめてください!」

 そして僕は言った。



「僕は、勝者として、みんなに命令します。このままだと寒くて風邪をひくので、早く部室に帰って温まりなさい。それが、僕の命令です」


 僕は、血の涙を流しながら言った。

 滝のように血涙を流す(心象風景的に)。


 後で家に帰ってから、なんであのときおっぱいを揉みしだかなかったのか、一晩中自分を責めることになると思うけど、それでも僕は言った。


 だって、どう考えたって、この場で女子五人の胸を揉みしだけるわけないじゃないか。

 それで一時的に欲望を満たすことができたとしても、明日から僕は軽蔑けいべつの目で見られるに違いない。

 特に、幼女の千木良にそんなことしたら確実に捕まるし。


「さあ、命令です。みんな、早く部室に帰ってください」

 僕は重ねて言った。


「せっかく、僕達になんでもいうこときかせられるのに、そんな命令でいいのか?」

 柏原さんが訊いた。

「はい、いいです」

 もうこうなったら自棄やけだ。


「本当に、この私のわがままおっぱい揉まなくていいの?」

 綾駒さんが訊いた。

 綾駒さんのおっぱい、わがままだったのか……


「あんた、やせ我慢するんじゃないわよ。ホントは私のたわわな胸を触りたいんでしょ?」

 千木良が訊く。

 まず第一に、そんなモノどこにあるんだと千木良の胸を見ながら小一時間……


「西脇君、大丈夫? 熱でもあるの?」

 朝比奈さんが訊いた。

 なにげに朝比奈さんが一番酷いこと言ってる気がする。

 僕が紳士的なことを言うのは、熱でうなされた結果なのか……



「本当にいいんです。みんな早く部室に入ってください」

 僕は、自分の中の煩悩ぼんのうを吹っ切るように言った。

 言いながら、心の中で自分をぶん殴っている。

 フルボッコにしていた。


「まったくこの子は…………天性の女たらしというか」

 うらら子先生が言って、僕の頭をわしゃわしゃ撫でる。


「それじゃあみんな、お言葉に甘えて、早く部室に戻りましょう」

 先生の指示に従って、みんなで部室に帰った。



 そのあと、部室に帰ってみんなでこたつの中でぬくぬくする。

 小さなこたつの中でみんなとぴったりくっついてたし、胸とかお尻とか脚とか当たり放題で、結果的に目的を達した気がしないでもない。




 ああ、そういえばすっかり体力測定のこととか忘れてたけど、香の持久走、千メートルの記録は1分2秒だった。

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