第140話 立ち入り禁止

 放課後、いつものように部室に行くと、玄関の前に千木良が立っていた。


 千木良は、玄関のガラス戸の前で腕組みしている。

 どうやら部活に来る僕を待ち構えていたようだ。


 制服の上にサンドベージュのコートを着ている千木良だけれど、寒そうだったから、一応、抱きしめておく。

 抱きしめて、ほっぺたすりすりした。

 すりすりはしたけど、ペロペロは我慢しておく。


「もう! 当たり前のように幼女を抱っこするな!」

 千木良は口ではそう言っておきながら、抵抗しなかった。

 逆に、体を預けてくる感じさえある。


 やっぱり、千木良からはイチゴシロップみたいな甘い匂いがした。

 控え目に言って、食べてしまいたい。


 千木良を抱っこしたまま玄関の引き戸を開けようとすると、


「ダメ!」

 千木良がそう言って、僕の懐から下りた。

 そして、少し開いた引き戸をピタッと閉める。


 千木良はそのまま僕の前に仁王立ちした。



「ダメってなんだよ千木良」

 僕は、当然の質問をする。


 ここは「卒業までに彼女作る部」の部室だ。

 そして僕はその部員の一人であり、さらに言えば部長なのだ。

 当然、ここに入る権利がある。


「入ったらダメ。今、みんなで香を裸にしてるから」

 千木良が言って、下から僕をにらんだ。


「みんなで? 香を? 裸に?」

 なんだその、楽しそうな行為は……


「この前の体力測定の結果で、香のハードウエア部分の改良を検討けんとうしてるの。それで、新しい骨格とか、アクチュエーターを入れるのに、裸にして採寸さいすんしたり、骨格の疲労状態を調べたりしてる。だから、入っちゃダメ」

 千木良が説明した。


 なるほど、筋は通っている。


 中からは、朝比奈さんと綾駒さん、柏原さんとうらら子先生の声が聞こえた。

 全員が中にいるのだ。

 女子達はキャッキャウフフ、なんだか楽しそうに話していた。



 僕は、しゃがんで千木良と視線を合わせる。

 そして、両肩に手を置いて千木良に声をかけた。


「千木良、僕は中に入りたいんだ。でも千木良、勘違いしないでほしい。僕は別にエロい気持ちで中に入りたいって言っているわけじゃないんだ。僕もこの『卒業までに彼女作る部』の部長として、香の姿を確認しておきたいという責任感から、中に入りたいと思っている。香の裸を見るってことは、成り行き朝比奈さんの裸を見ることだから、それを目的に裸を見たいだなんて、そんなゲスな考えからじゃないことは、この僕の澄んだ瞳を見てもらえば分かると思う。僕達は、今までみんなで協力して香を作ってきた仲間じゃないか。それを、香が裸だからというそんなちっぽけな理由だけで排除するのは、とても理不尽だと思う。まあ、僕の方も、エロい気持ちが微塵みじんもないと言ったら、それは嘘になる。それは僕も一応、高校二年の思春期の男子なのだからエロい気持ちも少しはある。だから僕は、間違っても香の裸の写真を撮ったりしないように、ここでスマートフォンを預けていってもかまわない。他にカメラ的なものを隠し持っていないか、それを証明するために、身体検査を受けてもいいと思う。それでも疑うというなら、僕の方が裸になって中に入ってもいいとさえ考えている。どうだろう千木良、こんな純真な僕が、中に入るのは当然のことだとは思わないかい?」


「微塵も思わないわ」

 千木良に一言で否定された。


「何を言おうと、今日、あんたはここに入れないわ。大人しく帰りなさい」

 千木良が言った。

「そんな……」

「どうしてもというなら、私を倒してから行きなさい。私がここで悲鳴を上げたら、どうなるか分かってるでしょうね」

 それは当然分かっている。


 千木良の悲鳴を聞いた柏原さんが飛び出してきて、僕はボコボコにされるか、縄でぐるぐる巻きにされて吊されるのかもしれない(それはそれで、されてみたい気はするけど)。


「さあ、今日は帰りなさい」


 結局、僕は部室から追い出された。


 仕方なく、林の獣道を戻って家に帰る。





 自分の部屋に入って、机に鞄を置く前に、ベッドが膨らんでいることに気付いた。


 ベッドの上で、丸まって毛布を被ったふくらみ。

 その小ぶりでキュッとしまったお尻のラインからすると、これは間違いなく野々だ。


 野々が僕のベッドに潜り込んでいる。


「野々! なんでお兄ちゃんのベッドで寝てるの?」

 僕は、ベッドに座って訊いた。


 野々は、バレたか、みたいな顔で、毛布の下からひょっこり顔を出す。

 寝ていて髪がボサボサにになった野々が可愛い。


「お兄ちゃんのベッドを温めて、妹の匂いをつけておいたんだよ」

 野々が言った。


「お前は木下藤吉郎か!」

 なんか、前にもこんな突っ込みをしたような気がする。


 へへへ、と、野々は舌を出した。


 受験が終わって、野々はだらだらしている。

 プレッシャーから解放された野々は完全にのんびりしていた。

 合格発表はまだだけど、本人も手応えがあったみたいだ。


「やっと受験が終わったんだもん。今までの分を取り戻すくらいに、お兄ちゃんとべたべたしようと思ってここで待ち構えてたんだよ。ベッドどころか、このまま、お兄ちゃんとお風呂にも一緒に入る所存しょぞんだよ」

 野々が言った。


「どんな所存だよ!」

 条例的に、きつめに突っ込んでおく。


「でもあれ、お兄ちゃん、今日は早いね。やっぱり、野々とべたべたするために、早く帰って来てくれたの?」

 野々が、小首を傾げて訊いた。


「いや、女子達に部室から追い出されたんだ」

「追い出された?」

 僕は、香の件で女子達に部室に入ることを拒否されたと説明する。

 それで、部活に出られなかったのだと。


「香が裸になってるなら、しょうがないけどさ、僕だけ仲間外れにするなんて、ひどいよね」

 僕が言ったら、ベッドの上の野々が大きく溜息を吐いた。

 あした世界が終わりそうな深い深い溜息だ。


「お兄ちゃんの鈍感ぶりにはあきれるよ。呆れ果てるよ。ガンジーだって助走つけて呆れるレベルだよ。お兄ちゃんの鈍感ぶりは、ナイチンゲールだって看護を諦めて見放すレベルだよ」

 野々が好き勝手言った。


「どういうこと?」

 僕は訊き返す。


「香ちゃんのことなんてただの口実だよ。みんなは、理由があってお兄ちゃんを部室から追い出したんだよ」


「へっ?」


「今日は何日?」

 野々が訊いた。

「2月13日だけど」

 僕は答える。


「明日はバレンタインデーじゃない」


「ああ……」


「みんな今頃、お兄ちゃんのために部室でチョコレート作ってるんだよ」


 そんなリア充のイベント、彼女いない歴=年齢の僕には無縁だったから、全然、思い付かなかった。

 あの部室で、そんなことが行われているなんて……

 そういえば、みんな、キャッキャウフフ、楽しそうだった。


 だけど、みんなが僕のためにチョコレートを作ってくれてるって、それ、本当だろうか?



「ダメ! 明日はお兄ちゃんを学校に行かせないもん!」

 野々がそう言って、僕に抱きついて来る。

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