第109話 金庫

「私、かおる君を邪魔する悪い人達がいるの知ってるよ。だから、こわしに行こう」

 そう言って、口の端を持ち上げて微笑む香。

 焚き火の炎が揺らめいて、香の顔に映っていた。

 白い肌の上で踊る炎の影が、なんだか別の生き物みたいにうごめく。



 僕は、魅入られたように立ち上がった。

 香が手を差し伸べてきて、僕はその手をとる。


 香と僕、二人で手を繋いで林を抜けた。

 渡り廊下の入り口から、深夜の校舎に二人で忍び込む。



 午前三時過ぎで、昨日と同じように校舎の中は寝静まっていた。

 だけど、二日続いた襲撃事件のせいか、校内にはどことなく緊張感もあって、廊下で無防備に寝ている生徒とか、一人で歩いている生徒はいない。

 それぞれの部室や教室のドアも、ぴったりと閉じられていた。


「どこに行くの?」

 僕は恐る恐る香に訊く。


 壊すって、やっぱり、僕と同じようにミスター是清学園にエントリーしてる他の候補を襲うってことなんだろうか?

 だとしたら、それはもちろん、今までの二人を襲ったのが香だってことを意味する。


「生徒会室に行くよ」

 香が言った。

 そう言って僕の手を強く引く香。

 香に握られた手がちょっと痛かった。


 生徒会室って、そんな所に何しに行くんだろう?

 もしかして香は、僕が生徒会長の御所河原さんにひどいことを言われて、生徒会で笑われたことに怒ってるんだろうか?


 それで、生徒会を襲うとか?


 香が僕の手を引っ張るから、僕はそれに逆らえずに階段を上った。

 そのまま校舎の最上階にある生徒会室まで上がる。

 静かな校舎で、階段に僕と香の足音がコツコツ響いた。



 校舎の最上階は、誘導灯の緑と、消火栓の赤いランプの他に、なんの明かりもない。


 図書室と放送室、そして生徒会室の並び。

 廊下を生徒会室の前まで歩くと、香がそのドアノブに手をかけた。

 香はノックもしないでドアを開けようとする。

「ちょっと香ちゃん!」

 さすがにマズいと思って声をかけた。


「大丈夫、今、この部屋の中には誰もいないよ。この時間、会長と生徒会のメンバーは、運動部の合宿所で眠ってるから。文化祭の間、そこが生徒会の宿舎になってるの」

 香が言った。

 香、なんでそんなこと知ってるんだろう?

 そんなの僕も知らなかった。

 でも、香が言うとおり、確かに生徒会室は静かで物音一つしない。

 中に誰かがいるような気配も感じられなかった。


 香がドアノブを回すのだけれど、ドアには鍵がかかってるみたいで開かない。

 すると香は、力を込めて思いっきりドアを引いた。

 古い校舎で、ドアのラッチを受ける金具の部分がメリメリと音を立てて木枠から外れる。

 チタンとカーボンの骨格に、油圧のアクチュエーターで動く香の力は、僕達人間を超えていた。


「壊しちゃった」

 香が口の端を少しだけ持ち上げて言う。


「壊しちゃったじゃないでしょ!」

 見つかったらどうなるか分からない。

 僕は急いで香を部屋の中に押し込んだ。



 幸いなことに、香が言うとおり生徒会室の中には誰もいなかった。

 室内は綺麗に整理整頓されて片付いている。


「ここでなにするの?」

 僕は、飛び出しそうな心臓を抑えながら訊いた。

「あるモノを探してるの。たぶんそれは、金庫の中にあると思う」

 香が言って、その目がキラリと光る。


 金庫は、窓に面した会長の大きな机の後ろに鎮座ちんざしていた。

 重厚なダイヤル式の金庫で、当然、鍵が掛かっている。


「ちょっと、待っててね」

 香はそう言うと、金庫の前に正座して、くるくるとダイヤルを回し始めた。

 暗闇に、ギイギイとダイヤルを回す音だけが響く。


 解錠には、ものの五分も掛からなかった。


 カチリと金属音が聞こえて、鍵が開いたのが僕にも分かる。

 香がレバーを下げると、重い扉がゆっくりと開いた。


 ピアノの達人でフルートの達人の香は、金庫破りの達人でもあるらしい。


 こうなったら、もう、自棄やけだ。

 僕はスマホのライトで中を照らした。


 中には、たくさんの書類と一緒に手提てさげ袋が入っている。

 手提げ袋の中には、銀行の通帳やカード、印鑑なんかがまとめて入っていた。

 香はそっちには目もくれずに、書類のファイルを調べた。

 暗闇でも、香の目には昼間と同じように見えてるらしい。


「あった。これだよ」

 たくさんの書類の中から、香が一枚を引っ張りだした。


 僕はスマホのライトで紙面を照らしてみる。


 生徒会長御所河原栄華は、弁論部の予算の増額と、部室設備の拡充かくじゅうについて、ここに約束する。


 紙面には、そんなふうに書いてあって、会長の印鑑とサインがあった。



「なにこれ?」

 僕は訊いた。


「生徒会長の御所河原さんが、弁論部の佐伯先輩とした裏取引の証拠だよ」

 香が言った。


一昨日おととい、上条先輩が何者かに襲われて、昨日、佐伯先輩が襲われた一連の事件は、全部、生徒会長の御所河原さんが企てた狂言なの」

 ん?

 香に言われても、全然理解出来なかった。


「一番最初に襲われたのが、御所河原会長の彼氏でもある上条先輩だったよね」

「うん」

「それは、同情票を集めるのと、上条先輩が犯人じゃないってアリバイのための偽装なの」

「そんな……」

「会長の読み通り、校内には上条先輩に同情する声が上がったし、妨害に屈しないって言った先輩の株が上がったのは事実でしょ?」

 他の有力候補の中で、上条先輩が抜け出したのは確かだ。


「でも、なんでそんなこと分かったの?」

「だって、私、目撃したんだもの」

 暗闇に香の目が光った。


「一昨日の夜のことなの。私、部室を抜け出して深夜の校舎を歩いてたのね。私、外の世界のこと、もっと知りたかったから。だから、千木良ちゃんが私にしたGPSの行動制限を外して、校舎を歩き回ってた。そうしたら偶然、上条先輩が殴られたふりをしてわざと廊下に倒れるところを見たの。見ちゃったの。そこに御所河原会長もいて、二人は示し合わせてた。なんでそんなことするんだろうって、私、ずっと考えてた。だから、昨日ももう一回、部室を抜け出して、御所河原会長を監視してたの」

 それを僕と千木良がつけていて、見失ったのだ。


「そしたら昨日、会長は弁論部の佐伯先輩と接触してた。どうも、佐伯先輩が襲われたことにして、先輩はコンテストを辞退することで話がついたらしい。念書がどうとか言ってるのが聞こえたから、その写しがあるって思ったの。あるなら、この生徒会室の金庫の中だと思った」

 だからこうやって忍び込んだのか。


「たぶんだけど、このあと、他の有力な候補に疑いが向くように仕掛けるつもりだったのかもしれないよ。もしかしたら、馨君のせいにされてたかも」

 香にそんなこと言われて、ちょっと身震いがした。


「でも、もう大丈夫。この念書を暴露ばくろすれば、上条先輩はエントリーを取り消すでしょうし、会長も失脚しっきゃくするよ。それで一人候補が減って、馨君がミスターになる可能性が増すと思うの」

 香が得意げに念書をかかげる。


 僕は、そんな香を見て、まず、疑って申し訳ないって思った。


 そうだよ、僕達が一生懸命作った香は、そんなことしない。

 天才千木良が作ったAIが入ってるのだ。

 香は、逆に犯人を捜して校内を調べてくれてたのだ。

 なんで信じてあげなかったんだろうって、すごく後悔した。

 本当に申し訳ない。



「犯人が分かって良かった。でも、暴露するのはやめよう」

 僕は言った。

 すると香が、「えっ?」って目を丸くする。


「生徒会室のドアが壊されて、こうやって金庫が開けられて中を見られたことが分かれば、もう、会長も変なくわだてはしないと思うんだ。だから、これ以上、騒ぎが大きくなることはないと思う。それでいいんじゃないかな」

 僕は言った。

 念のため、その念書を会長の机の上に置いておけば、誰かがそれを見たっていう、強烈なメッセージを残せるだろう。


「でも、それでいいの?」

 香が訊いた。

「うん。だって、こんなことがおおやけにされたら、上条先輩は恥をかくだろうし、プライドが高い御所河原会長は、もうこの学校にいられなくなるかもしれない」

「当然、そうされるべきだよ。そんなことをしたんだから。それに、御所河原会長は、馨君をバカにしたんだよ。生徒会のメンバーの前で笑い者にしたんだよ」

「うん、それは分かってる」

 あの生徒会室でのことは、今でもくやしい。

「でも、そんな会長の気持ちも分かるっていうか……いや、分かんないんだけど……」

 香に上手く説明することは出来なかった。

 だけど、せっかくの文化祭だし、不幸な人が出るのが嫌だった。

 僕にからんで不幸になる女子がいるのは、なんか嫌だ。

 僕に関わる人は、全部幸せでいてほしかった。



「ふうん」

 そんなふうに零して、目をパチパチさせる香。


「まだ、人間のことはよく分からないな」

 香がそんなことを言った。


「でも、それが人間なんだね」

 香が僕の目を覗き込んで言う。

 僕が人間の代表みたいに受け取られたとしたら、全人類に申し訳ない。


「ダメかな?」

「馨君がそれでいいなら、私もそれでいいよ」

 香が、含みがない笑顔を見せた。


 その笑顔を見たら、ふっと力が抜ける。

 この二日間徹夜してたのと、香が犯人じゃないってことが分かって、僕の中の緊張の糸がぷつりと切れたのだ。


「馨君、大丈夫?」

 床に倒れそうになった僕を、香が抱き止めて支えてくれた。


「ごめん」

「ううん、部室に帰ろう」

 香が言う。



 薄れていく意識の中で、香が僕をお姫様抱っこして歩くのが分かった。

 お姫様抱っこが想像以上に気持ちいいものだってことも分かる。


 そして、僕の背中に当たる香のそれは、朝比奈さんのものと全く同じ柔らかさだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る