第110話 苺のショートケーキ
翌日、上条先輩はミスター是清学園のエントリーを取り消した。
理由を言わず、「残ったみなさんでがんばってください」っていう、優等生なメッセージを残してコンテストから去った。
突然の先輩の行動には色々と噂が立ったけど、結局、襲われるかもしれないっていうプレッシャーに負けたんだろうってことに収まったらしい。
廊下ですれ違った御所河原会長は、どことなく元気がない気がした。
後れ毛が一本もない髪と、ピカピカの眼鏡はそのままだったけど、いつもの目力がなかった。
廊下を走る生徒を見つけると、ちゃんと叱ってはいたけど。
「とにかく、二人を襲ったのは、香じゃありませんでした」
放課後、昨日と同じようにみんなで体育館裏に集まったところで、僕はみんなに報告した。
昨日の深夜、香と二人で校舎に行って、それを確かめたこと。
真犯人は、もうこれ以上なにもしないだろうことを報告する。
でも、この件に御所河原会長と上条先輩、佐伯先輩が
エントリーを取り消したわけだし、騒ぎを大きくしても意味ないと僕なりに考えたのだ。
会長達の名誉にも関わることだから、僕と香の胸に仕舞って墓場まで持って行くことにした。
って言っても、アンドロイドの香に死はあるんだろうか?
「なんかよく分からないけど、解決したんだね」
うらら子先生が僕の目を見て訊いた。
「はい」
僕が先生の目をまっすぐ見て返事をすると、先生は「うん」って頷く。
そして、僕の頭を少し乱暴に
「よし、そういうことなら、もうこの件はこれでおしまい。私達は、私達のことをしよう!」
先生がそう言って、パンって、すべてを断ち切るみたいに手を叩いた。
「はい!」
それでみんな納得してくれる。
もしかしたら、先生もみんなも、うすうす感づいているのかもしれない。
だけど、僕の気持ちをくみ取って、それ以上追求しないでくれた。
みんなで部室に帰ると、部室は、生クリームの甘い香りで満ちている。
「ケーキ焼いてみたんだよ。みんな、食べて食べて!」
朝比奈さんのエプロンをした香が、台所から出てきた。
香は、僕達が校舎で授業を受けているあいだに、こうしてケーキを焼いていたらしい。
香が作ったのは、苺が載ったケーキらしいケーキだった。
ケーキの周りは、ホイップクリームで測ったように正確にデコレートされている。
丸いホールケーキを切って、皿に取り分けてくれる香。
僕達は、香のケーキでお茶することにした。
ちゃぶ台を囲んで、香のケーキを頂く。
「おいしい!」
綾駒さんが、弾けた声を出した。
僕も一口食べてみる。
生クリームがしつこくないし、スポンジはふわふわで、舌に乗せた途端、溶けて消えてしまった。
苺のへたは丁寧に取ってあって、ケーキの中に入ってる分は、果肉を崩すことなく薄く均一にスライスされていた。
味も見た目も完璧なケーキだ。
「悪くないじゃない」
千木良が言った(ほっぺたにクリームが付いてるから、ハンカチで拭いてやる)。
「お店に出せるぞ」
柏原さんが言う。
「ブランデーが欲しくなるよね」
うらら子先生が言った(先生、それは違うと思う)。
一昨日はピアノで、昨日はフルート、そして今日は、スイーツ作りをマスターしてしまった香。
「ずるいな、私の特技を簡単にマスターしちゃうんだもん」
朝比奈さんが、ふざけてほっぺたを
僕達は香が作ってくれたケーキで、しばし、優雅なお茶の時間を楽しんだ。
香は、ケーキを食べる僕達を後ろから観察するように見ている。
「それで、香はミスコンのアピールタイムに何をするんだ?」
ケーキにフォークを立てながら、柏原さんが訊いた。
「うん、無難に、ピアノを弾こうかと思って」
香が答える。
「でも、この前のショパンの幻想即興曲みたいな曲を完璧に弾きこなすと、みんな、ちょっと引いちゃうだろうから、もう少し難易度が低い曲で、時々ミスタッチをして、頑張ってる感を出そうかと思うの」
香が小首を傾げて言った。
「ピアノを弾く
口の端を持ち上げて、香は得意げだ。
香、なんでそんなに打算的なんだ……
「そういうのを、『童貞を殺す』って言うんだよね」
香が、そう言ってケラケラ笑った。
一瞬、そこにいたメンバーの動きが止まる。
みんなが
僕は、千木良の耳を塞いでおく。
「かかか、香ちゃん、そんな言葉、どこで覚えたのかな?」
うらら子先生がカップとソーサーを持つ手が震えて、カツカツと音を立てた。
「香ちゃん、そんなこと、言ったらダメだよ」
朝比奈さんが向かい合って、香の肩に手を置いて言い聞かせる。
完璧なのか、まだ幼いのか、香への判断は当分保留したほうがいいかもしれない。
「で、西脇はアピールタイム、どうするんだ?」
柏原さんが話題を逸らしてくれた。
「うん、僕は、ちょっと考えてることがあって、当日まで内緒」
そう答えて誤魔化した。
僕には一つ考えがあるんだけど、みんなの前で言うのは恥ずかしかった。
だから、当日見てもらうまで、言わないことにする。
「まさか、目隠しして二の腕に触れた胸で、誰のおっぱいか分かるっていう特技を披露するわけじゃないわよね」
千木良が言う。
断じて、そんなのじゃない!
「さあ、それじゃあ本番も近いし、リハーサルしよう」
お茶の時間が終わって、朝比奈さんが香の手を引いた。
「千木良、スピーチの練習付き合ってもらっていいかな?」
僕も千木良に訊く。
「ええと、その、私、ちょっと用事があるから、あとでね」
千木良が僕から目を逸らした。
「用事って?」
「まあ、色々あるのよ。ほら、うちはクラスでの出し物とかあるから、そっちにも顔を出さないと…………夜には帰って来るから……」
なんか、含みがある言い方だ。
せっかく千木良とスピーチの練習しながら、抱っこしたり、脇腹をくすぐったり、スカートをめくったりしようと思ったのに。
千木良は、なんだかそわそわしながら林を抜けて校舎に戻っていった。
「西脇、スピーチの練習は、僕が付き合ってやろう」
柏原さんが、指をポキポキ鳴らして言う。
柏原さん、スピーチの特訓に、腕力はいらないと思うんですけど……
このとき、千木良が部室を抜け出してどこに行ったのかは、翌日分かった(もちろん、クラスの出し物の練習などではなかった)。
それがのちのち、大騒動になる。
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