第107話 シンギュラリティ

 僕は女子の叫び声が聞こえた方に走る。

「ちょっと、待ちなさい!」

 千木良が遅れるから、僕がおんぶして走った。



 三階の、進路指導室がある廊下の突き当たりで、一人の男子生徒が椅子に座らされていて、その周りを数人の生徒が囲んでいる。

 目はタオルで目隠しされ、口に猿ぐつわを噛まされて、うーうーとうなっていた。

 手は後ろ手に椅子の背もたれに繋がれ、両足は椅子の脚にロープで固定されている。

 その男子生徒は、唸りながら椅子をガタガタ動かしてどうにかロープを外そうとした。


 恐る恐る、一人の生徒が目隠しと猿ぐつわを外す。

 するとそれが、弁論部の佐伯先輩ってことが分かった。

 目つきが鋭い知的な感じのイケメンだ。


「先輩! どうしたんですか?」

 囲んでいた女子生徒の一人が訊いた。


「ああ、僕にも分からない」

 先輩がそう言って首を振る。

「廊下を歩いてたら、突然、目隠しされて、女子の声で『騒ぐな』って脅されたんだ。それで気付いたらさっきみたいに縛られてた。逆らおうにも、すごい力で押さえつけられて、身動きとれなかったんだ」

 先輩が目を見開いて言った。


 女子の声で、先輩もあらがえないくらいの力の持ち主って……


 先輩を囲んだ数人が、手足のロープを解く。

 自由になった佐伯先輩は、ロープのあとがついた手を痛そうにさすった。



 人が集まってきて、寝静まっていた校舎がざわざわし始めた頃、生徒会長の御所河原さんが、二人の副会長を引き連れて現れる。

 校内に情報網を張り巡らせている生徒会は、さっそくこの騒ぎに気付いたらしい。


 御所河原会長は深夜にもかかわらず、髪に一本の後れ毛もなく、制服にしわ一つない完璧な服装だった。

 会長の赤いフレームの眼鏡が妖しく輝いている。


 副会長の一人が佐伯先輩から話を聞いて、それを御所河原会長に耳打ちした。

 無言で頷く御所河原会長。


 そこに集まったみんなが、固唾かたずを飲んで見守る。


 すると会長は、一つ咳払いしたあとで、

「みなさん、今見たことは、他言無用です。生徒会の方で責任を持って調査しますから、余計なことを言って校内を混乱させないように」

 涼しい顔でそう言った。


「いいですね」

 会長がそこにいたみんなを見渡すと、

「はい!」

 ってみんなが声を返す。

 僕も、背筋を伸ばして返事をしていた。


「さあ、それではみなさん解散しなさい」

 会長の言葉に追い立てられるように、みんなが散った。


 会長がこっちをにらんだ気がして、僕も千木良をおんぶしたままそこから立ち去る。

 その時、集まった人垣の向こうに白いワンピースを着た香がいたのだけれど、大勢の前で香の名前を呼ぶこともできないから、呼び止められなかった。


 しかたなく僕は、千木良をおんぶしたままそこを離れる。



「ねえ、ちょっと」

 部室に帰る途中、背中の千木良が声をかけてきた。


「まさか、まさかとは思うけど、香がやったんじゃないわよね」

 千木良がそんなことを口にする。


 それは僕も考えていて、考えないようにしてたことだ。

 昨日の上条先輩に続いて起きた今日の事件。

 ミスター是清学園にエントリーしてる二人が襲われた犯行。


 まだ子供の香が、同じくエントリーしてる僕の邪魔になる存在を消そうとして、それをやったとしたら……


 昨日の深夜、香が何をしていたのか示すログは消されてたし、その時刻の監視カメラの映像もなかった。

 そして、今、僕と千木良が香を見失った直後に起きたこの事件。


 恐ろしい程にそのタイミングは一致していて、香には動機がある。



「まさか。偶然だよ」

 僕は、自分にも言い聞かせるように言った。


「そうよね」

 千木良はそう言ったきり、僕の背中に頭をもたせかける。

 背中に、千木良の頭の重さと寝息を感じた。

 夜遅くに起きたこともあって、千木良は寝ちゃったらしい。



 僕は、静かに部室まで帰って、千木良を布団に寝かせた。

 千木良が寝ぼけて、「お兄ちゃん」って僕の服の裾を引っ張るから、少しだけ添い寝する。

 すると千木良は安心したように深い眠りに落ちた。



 テントに入って待ってると、香は一時間くらいして部室に戻ってくる。

 落ち葉を踏みながら庭を横切って、部室に入った。


 結局僕は心配で寝付けずに、朝までずっと起きていた。





 あれだけ御所河原会長が口止めしたにもかかわらず、翌朝の校内は弁論部の佐伯先輩が襲われたニュースでもちきりだった。

 例によって、先生達に知れたらまずいから、ニュースが広まったのは生徒の間だけだったけど、生徒全員が知っている。


 そして、襲われた弁論部の佐伯先輩が、ミスター是清学園のエントリーを取り消した。

 一方で上条先輩は、妨害に負けるわけにはいかないと、コンテストの継続を訴えてるらしい。

 生徒会も今のところ、コンテストを中止するつもりはないようだ。


 これ以上被害が出ないように、候補者をようしているバスケ部と水泳部、軽音部は、文化祭当日まで厳重な警備で各人を守るらしい。




 放課後、僕達「卒業までに彼女作る部」のメンバーは、体育館裏の普段誰も人がこない場所に集まった。

 事件のことを他の先生に言わない約束で、うらら子先生にも来てもらう。

 香がいないそこで、僕達はこれからの対策を話し合った。


 僕と千木良が、昨日のことを説明する。



「香が、そんなことするとは思えないけどな」

 柏原さんが小さな声で言った。


「そうだよ。香ちゃんはそんなことしない」

 朝比奈さんが相づちを打つ。


「私も、そう思いたいけどさ。まだ生まれたてで子供だからこそ、残酷なことしちゃうってことも、あるかもしれないよ」

 綾駒さんが言った。

 僕のためと思って、無邪気に上条先輩と佐伯先輩を襲った可能性は、確かに捨てきれない。


「いっそのこと、香に直接聞いてみるのはどうだ?」

 柏原さんが訊く。

「私達が疑ってることが分かったら、香ちゃん、傷つくんじゃない?」

 朝比奈さんが答えた。

 アンドロイドも傷つくんだろうか?


「千木良ちゃん、香ちゃんにGPSで行動制限かけてたんじゃないの?」

 綾駒さんが訊く。

「ええ、でも、香はそれをキャンセルしちゃったみたいだわ。もう一度かけておいたけど、突破されるのは時間の問題ね。ピアノやフルートを完璧に弾いたり吹いたり出来るように、香のプログラミング能力は、私を超えたのかもしれない」

 千木良が言った。

 天才千木良をして、香に適わないのか。



「うーん」

 みんなで考え込んでしまった。


「先生、どうしたらいいですか?」

 僕は先生に訊く。

 結局、うらら子先生に丸投げしてしまうみたいで申し訳ない。



 腕組みして、黙って僕達のやり取りを聞いていた先生。

 その先生が、目をカッと開いた。


「よし! 焼き肉パーティーするよ!」

 突然、先生がそんなこと言い出す。


「一晩中、徹夜でパーティーして、香ちゃんが部室を抜け出す隙を与えなければいいじゃない。よし、肉買ってくる肉!」

 先生、勇んで車の方に向かった。


 あの、もしかしてだけど、うらら子先生、ただ焼き肉パーティーしたいだけじゃないのか……


「よし、僕は火を起こすぞ」

 柏原さんが腕まくりする。


「私も、お野菜切るね」

 朝比奈さんが部室に向かった。

「私も手伝う」

 綾駒さんがあとを追う。


 うちの女子達、肉食すぎる。


「シンギュラリティに焼き肉で対抗するのね。ポストヒューマンの誕生をはばむ手段が焼き肉パーティーとは、興味深いわ」

 千木良もわけのわからないことを言いながら続いた。



 文化祭があさってに迫ってるのに、こうして僕達はなぜか焼き肉パーティーを始めることになったのだ。

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