第92話 学校でキャンプ

 テントの中で目覚めた。


 群青ぐんじょう色のテントの布を通して、淡い光が中を照らしている。

 テントを透かすこの日差しからすると、今日も良い天気みたいだ。

 テントの外には、秋の高い空が広がっているに違いない。


 林の中は静まり返っていた。

 耳を澄ませても、周囲からは鳥の声しか聞こえない。


 ここが学校の敷地内だってこと、忘れてしまう。



 結局、昨日の夜は鍋パーティーだけで終わって、文化祭準備に関してはほとんど何もしなかった。

 千木良が「彼女」のソフトウエア更新をしていて動かせなかったのもあるけど、ただ、中間テストから解放されて、部員とうらら子先生と楽しく宴会しただけで終わってしまった。


 宴会のあと、僕だけテントに寝ることを可哀想に思ったみんなが、ワンチャン、一緒に寝ることを許可してくれるって期待したけど、酔ったうらら子先生もそこはかたくなだった。

 合宿先ならまだしも、さすがに学校の敷地内で男女を一緒に寝かせるわけにはいかなかったのかもしれない。


 だから僕は、こうして一人、庭のテントで寝た。


 だけど、テントの中でも柏原さんの羽毛の寝袋のおかげで全然寒くなかった。

 夜中、ちょっと暑くて、寝袋から腕を出して寝たくらいだ。

 寝袋からはココナツオイルの香りがするし、本当に、柏原さんに包まれてるみたいに眠れた。

 寝心地が良くて、こうやってテントで生活するのも悪くないって思ってしまう。


 それにしても、本当に柏原さんの香りが強い。

 まるで、柏原さんが隣で寝てるみたいに、って、


「わーーーーーーーーーーーーーーー!」


 顔を横に向けたら、そこに、柏原さんの顔があった。

 僕が入っている寝袋に添うようにして、柏原さんが横になっている。

 ジャージ姿の柏原さんが、片肘をついて僕を見ていた。


「おはよう」

 柏原さんがいつもの元気な声で挨拶する。

「お、おはよう」

 いや、返事してる場合じゃない。


「柏原さん、なんでここにいるんですか?」

 僕は、当然の質問をした(なぜか、敬語を使ってしまう)。


「ああ、早起きして、毎日の習慣になってるトレーニングで10キロ走って来たんだけど、テントで西脇が寝てるのを思い出して、目覚めのコーヒーでも振る舞ってやろうと中に入ったら、西脇があまりに可愛い顔をして寝ているものだから、起こさずに添い寝して顔を眺めてたんだ」

 柏原さんが悪びれる様子もなく言う。


「いつからですか?」

「1時間くらい前かな」

 1時間も、無防備な寝顔を眺められてたかと思うと、恥ずかしい。


「安心しろ、西脇には指一本触れてないぞ。指以外で、触れたかもしれないけどな」

 柏原さんがわけの分からないことを言って笑った。


「よし、それじゃあ西脇もそろそろ起きろ。もうすぐ朝ごはん出来るみたいだぞ」

 柏原さんが起き上がって、テントの入り口をまくり上げる。

 外からは、ひんやりとした空気と共に味噌汁の香りが漂ってきた。

 朝比奈さんが朝食を作ってくれてるらしい。


 僕はテントから這い出る。


 なんか、おでこが微かに湿っていて、ココナツオイルの香りがするけど、なんだろう?




「西脇君、おはよう」

 部室の居間でちゃぶ台に配膳はいぜんしていた綾駒さんが言った。

 綾駒さん、オレンジ色のパジャマを着ている。


「おはよう、西脇君」

 ご飯のおひつを抱えて、エプロン姿の朝比奈さんが台所から出てきた。


「まったく、お寝坊ね」

 くたっとしたウサギの縫いぐるみを抱いた千木良が、僕に抱っこしろって、背中を押しつけてくる。

 千木良は白いネグリジェを着ていた。


 縁側の先からトイレで水を流す音が聞こえたかと思ったら、

「おっはよー」

 って、朝からテンションが高いうらら子先生が出てくる。

 まだ髪の毛がボサボサで、すっぴんのうらら子先生。


「なに? もう、すっぴんだから、そんなに見ないで!」

 僕が先生をまじまじと見てたら、先生が僕に抗議する。


「いえ、自然な感じの先生も綺麗です」

 僕が言ったら、先生、ぽかんと口を開けたまましばらく固まった。


「危ない危ない、朝から、教え子を抱きしめるところだったよ」

 うらら子先生が言って首を振る。

 でも、本当にすっぴんの先生も綺麗なんだからしょうがない。



「さあ、それじゃあ朝ごはん食べよう」

 先生が言って、僕達はちゃぶ台についた。


 朝食は、炊きたてのご飯に、アジの干物、卵焼き、ちりめんじゃことゴマの納豆に、オクラとトマトのサラダ、そして、豆腐とわかめの味噌汁っていう、絵に描いたような朝ごはんだった。


「ああ、朝比奈さんを嫁に欲しいよ」

 納豆をかき混ぜながらうらら子先生が言った。

「美人教師と教え子女子高生の同棲生活ハアハア」

 朝から綾駒さんが興奮している。


「まあ、不味まずくはないわね」

 千木良が偉そうに言った。

 千木良がサラダからオクラを外すから、僕は、それを戻して自分の分のオクラも追加してやる。

「もう! 意地悪!」

 千木良が僕の膝の上で暴れた。


「ごめんね千木良ちゃん。嫌いなモノ言っておいてくれれば、明日から出さないから」

 朝比奈さんが言うと、千木良は恥ずかしそうにコクリと頷いた。


 こんな朝食、文化祭準備のあいだだけじゃなくて、ずっと続けばいいと思った。

 みんなと、ずっと一緒に食卓を囲んでいたい。




「それで、『彼女』の方はどうなってるの?」

 朝食も終わろうとする頃、うらら子先生が訊いた。


「さっき見たら、更新データの再構築も終わってるし、再起動かけると動き出すわ。起動したらもうしゃべれるし、疑似だけど人格を持った一人の存在として行動する」

 千木良が説明した。


「それじゃあ、それは今日の午後にしましょう」

 先生が言う。

 授業が終わって、部活の時間になったら、いよいよ、「彼女」と会話できるのか。



「それで、名前は何にするの?」

 千木良が訊いた。


「名前?」

「再起動したらすぐ、『彼女』を呼ぶ名前が必要だわ。人格を持った一人の存在になるためにも、それは鍵になるわね」

 そうか、僕たちは今まで「彼女」のこと「彼女」って呼んできたけど、当然「彼女」には名前が必要だ。


「朝比奈さんそっくりだからって、花圃かほって朝比奈さんの名前で呼ぶわけにもいかないしね」

 綾駒さんが言う。


「ふさわしい名前を付けてやらないとな」

 柏原さんは腕組みして考え込んだ。



「やっぱり、里緒奈がいいんじゃないかしら」

 千木良が言う。

 里緒奈って千木良の下の名前だ。

「それは却下!」

 僕が言うと、千木良はほっぺたを膨らませる。

 ただでさえ面倒な「里緒奈」が二人もいたら、ややこしい。


「顔立ちから言うと、シャルロットとか、フランソワーズって感じよね」

 うらら子先生が言う。

 それは、うらら子先生が「彼女」に金色の髪のウイッグを被せてるせいもあると思う。


「逆に私は、華子とか、静香とか日本っぽい名前がいいと思うな」

 綾駒さんが言った。


「よし、ここは奇をてらって、信長とか秀吉とかにしよう!」

 柏原さんが言う。

 それは確実にボクっ娘になりそうだから、却下。


「で、部長は?」

 綾駒さんが訊いた。


「えっ?」

 みんなが、僕の顔を覗き込んでくる。


「えーと……」

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