第91話 おにぎり

「いっただきまーす!」

 ちゃぶ台の上の鍋を囲んで、みんなで手を合わせた。

 僕達の真ん中にある鍋は、いい具合に煮立っている。

 部室の居間は味噌の良い香りで満たされていた。

 陽が落ちた真っ暗な林の中で、ここだけ、オレンジの温かい明かりがともっている。


 僕の右隣には朝比奈さん、左隣には綾駒さんがいて、うらら子先生と柏原さんが対面に、そして、千木良は当然のように僕のひざに抱っこされるように座っていた。


 朝比奈さんと綾駒さんは、ワンピースにレギンスの部屋着に着替えている(朝比奈さんがピンクのワンピースで、綾駒さんがレモンイエローのワンピース)。

 柏原さんはTシャツに短パン。

 千木良はウサギの耳が付いたふわふわの白いパーカー。

 うらら子先生は、グレーのスエットっていう、ゆるい服装だ。



 ちゃぶ台の上の鍋は、朝比奈さんが作ってくれた石狩鍋いしかりなべだった。

 昆布と鮭のあらで出汁だしをとった本格的な鍋だ。

 大ぶりの鮭の切り身がごろごろ入っていて、見るからに美味しそうだった。

 大根、にんじん、ごぼうに里芋、焼き豆腐も、ほどよく煮えている。

 味噌の奥からバターがほのかに香って、それがまた食欲をそそった。



「ああ、こんなに美味しいそうな鍋があると、ビール飲みたくなるよね」

 うらら子先生が灰汁あくすくいながら言う。


「先生、飲んでいいですよ。僕達、今日はここに泊まっていくつもりなので、車で送ってもらう必要はないですから」

 柏原さんが勧めた。


「そう? あなた達、文化祭準備の初日から熱心ねえ」

 先生がニヤニヤしながら言う。


「ほら西脇、気が利かないな。冷蔵庫からビール持ってきて」

 柏原さんに言われて、僕はすぐに席を立った。


 部室の冷蔵庫の中には、たくさんの食材と共に、なぜかびんビールが三本入っている。

 先生が冷やしておいたものらしい。


 僕は、せんを開けて先生のコップにおしゃくした。


「ありがとう」

 先生はそう言うと、注いだ一杯をごくごくと一気に飲み干す。


「この世で、カワイイ教え子に注いでもらうビールくらい美味しいものはないよね」

 ぷはーって感じで、満面に笑みを浮かべる先生。

 先生の口の端に、ビールの泡がついている。

 先生が僕にコップを向けるから、僕は、もう一杯注いだ。


「やっぱり、この一杯のために生きてるわ」

 すぐに、先生のほっぺたがほんのりとピンクになる。

 うらら子先生は本当に美味しそうにお酒を飲んだ。

 なんか、年上の女性に対して失礼だけど、先生が子供みたいでカワイイとか思ってしまう。

 もしかして、先生と付き合う人って、いつもこんなカワイイ先生を見られるんじゃないかって、そんなことを考えた。



「それじゃあ、食べよう」

 朝比奈さんが、みんなのお椀にお鍋をよそってくれる。


 お鍋の他に、炊きたてで艶々のご飯と、カボチャの煮物、鶏の唐揚げに、厚焼き卵のおかずも用意してあった。

 朝比奈さんが手作りしてくれた、贅沢ぜいたくすぎる夕食だ。


「やっぱり、脂がのってて美味しいね」

 鮭を味わいながら、綾駒さんが言った。


「この、味が染みた大根がたまらないな」

 柏原さんが渋いことを言う。


「私、ごぼう嫌い」

 千木良が、自分のお椀によそってあるごぼうを、僕のお椀に入れてきた。


「ほら、千木良さん、好き嫌いしちゃダメでしょ?」

 うらら子先生がさとす。


「だってぇ」

 千木良がほっぺたをふくらませた。


「千木良ちゃん、ごぼう食べないと、おっぱい大きくならないよ。私はごぼう大好きで食べてたから、こんなに大きくなったんだよ」

 綾駒さんが千木良に向かってウインクした。


 なんだその、僕でも分かる嘘情報。


 すると千木良は、僕のお椀からごぼうを取り返して、もりもり食べた。

 お鍋の中にあるごぼうを全部かっさらう勢いでお椀にとる。


 綾駒さん、幼女に変なこと吹き込まないでください。


 僕は、抱っこしている千木良の後頭部に、千木良のちっぱいは至高って、念を送っておいた。



「おかわり!」

 さっそく空になったご飯茶碗を、柏原さんが朝比奈さんに差し出す。


「最後におじやを作るご飯は残しておいてよ」

 うらら子先生が言った。


「大丈夫です。締め用のおうどんを用意してありますから」

 朝比奈さんが大盛りのご飯をよそって柏原さんに渡しながら言う。

 朝比奈さんって、本当にどこまでも気が利く人だ。



「ねえ、ご飯たくさんあるなら、おにぎり作っていい?」

 突然、千木良が訊いた。

「千木良ちゃん、おにぎり食べたいの?」

 朝比奈さんが訊くと、千木良は首をふる。


「じゃあ、どうして?」

 朝比奈さんに訊かれて、千木良は僕の膝から立って、朝比奈さんの耳に口を寄せた。

 二人で、なにか内緒話をしている。


「うん、そういうことなら、おにぎり、一緒に作ろうか?」

 朝比奈さんが笑顔で頷いて、二人は仲良く台所に行ってしまった。


 台所で二人、なにか話ながらおにぎりを握っている。

 千木良、なんで急におにぎりなんて作るんだろう?



「西脇君、真っ暗で危ないから、千木良ちゃんを駐車場まで連れてってあげて」

 しばらくして、台所から出てきた朝比奈さんが言った。


「うん、いいけど」

 一緒に出てきた千木良は、おにぎりが三個くらい入っていそうな花柄の包みを持っている。

 僕は、なにか分からないまま千木良を抱っこして林を抜けた。



 駐車場には、千木良のセンチュリーが停まっている。

「ちょっと、ここで待ってなさい」

 千木良が言うから、僕は千木良を腕から下ろした。


 千木良はおにぎりの包みを抱えてセンチュリーの運転席に近づくと、ドアのガラスを叩く。

 運転手さんがドアを開けると、千木良は声をかけながら包みを渡した。

 帽子を取って笑顔で包みを受け取る運転手さん。

 立派な体格で精悍せいかんな顔つきの人だ。


 運転手さんは深々と千木良に礼をすると、車のエンジンをかけて駐車場から出ていった。



「今日はここに泊まるから帰っていいわって、言ったの」

 車を見送りながら千木良が言う。


「なるほど、それで、運転手さんに夜食のおにぎりを差し入れしたのか」

 スマホで連絡することも出来ただろうけど、千木良はおにぎりを手渡ししながら伝えたかったらしい。


「ええ、だって、私だけ美味しい夕ご飯食べてるのは悪いから。ホントは、もっとった料理とか、作れればいいんだけど」

 千木良…………


 千木良があまりにも健気けなげなことを言うから、僕は思わず抱き上げて抱きしめてしまった。

 抱きしめてほっぺたすりすりする。


「こら! 幼女をフランクに抱きしめるな! ほっぺたすりすりするな! 事案だぞ!」

 千木良が、僕の腕の中で暴れた。

 だけど、その暴れる力は弱い。


 このお嬢様、僕に対してはわがままだけど、周りの人のこと、ちゃんと考えてるらしい。

 なんかそれが嬉しかった。


 千木良も成長したなあ、とか、しみじみ思う(僕はまだ千木良と出会って数ヶ月しかたってないけど)。




 僕達の幸せな夕飯と先生の晩酌ばんしゃくは、時間をかけて夜遅くまで続いた。


「ああ、もうお腹いっぱい」

 とうとう鍋が空になって、綾駒さんがそのまま畳の上に仰向けで寝転がる。

 僕も千木良も柏原さんも、みんなで真似して畳に横になった。


「じゃあ、締めのうどんいらない?」

 朝比奈さんが訊く。

「ううん、それは別腹」

 寝転がったまま綾駒さんが言った。

「デザートに、フランボワーズのアイスクリームも用意してるんだけど」

「それも別腹!」

 千木良が言う。


 作る側も、食べる側も、幸せそうな顔をしていた。


「ねえ、僕達って、今、なにしてるんだっけ?」

 柏原さんが思い出したように訊く。


「ん?」


 そうか、これ、中間テストが終わった鍋パーティーじゃないんだ。


 文化祭準備のために部室に残ってるんだって、すっかり忘れてた。

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