第83話 その肌に触れる

 日直の当番で担任の先生に用事を言いつけられたから、部活に出るのが遅くなってしまった。


 僕は、林の中の部室に急ぐ。


 今日から、綾駒さんが「彼女」に外装を取り付ける作業を始めているはずだった。

 その作業に最初から立ち会いたかったのに、遅れてしまった。

 僕は、廊下を全力で走る。



 林の木々をかき分けて部室に着くと、開け放しになっている縁側えんがわから、奥の八畳間に水着の女子が座っているのが見えた。


「あれ?」

 僕は思わず独りごちる。


 その女子は、朝比奈さんそっくりで、八畳間に置いた椅子の上に静かに座っていた。

 首をかしげて、完全に力を抜いて椅子に体を預けている。


 僕は、びっくりして玄関に寄らずに縁側から直接八畳間に上がった。



 どこまでも整った完璧な美少女。

 それが椅子に腰掛けている。


 もしかしてこれは…………


 僕が日直の仕事でのろのろしてる間に、綾駒さんが「彼女」を完成させちゃったんだろうか。

 綾駒さんの職人的作業で、「彼女」の外装がもう出来上がってしまったんだ。


 「彼女」が身に付けているビキニ、僕はこれに見覚えがある。

 この、胸元にリボンがある花柄ビキニは、朝比奈さんのビキニだ。


 なるほど、外装が終わった彼女は、一糸まとわぬ生まれたままの姿だから、綾駒さんが朝比奈さんからビキニを借りて、それを着せたんだろう。

 この「彼女」は朝比奈がモデルなんだから、その服も朝比奈さんのがぴったり合うはずだ。


 それにしても、なんて再現度だろう。


 ほんのりの赤みをさした顔といい、艶々つやつやの黒髪といい、出るところは出ている体型といい、これはもう、朝比奈さんにしか見えない。

 整いすぎて人形に見えるくらいの顔は、もしかしたら、朝比奈さん以上かもしれない。


 綾駒さんの造形技術に、僕はびっくりを通り越して呆れてしまった。


 体から匂う香りも、朝比奈さんと同じ、桃の香りがする。

 あまりに人間に近すぎて、すーすー寝息を立ててるって錯覚さっかくさえした。



 そんな姿をずっと見てたら、自然と「彼女」に触れてみたくなる。


 部員の女子達は台所にいるみたいで、そっちからみんなの声がするし、八畳間のふすまが閉まってるから向こうからこっちは見えない。


 誰も見てないし、「彼女」はまだ起動してないみたいだし、ちょっとくらいなら許してもらえるだろう。

 それにこれは、僕が培養ばいようした皮膚がちゃんと機能してるか調べるためなんだから、触ったってなんにも後ろめたいことはないはずだ。


 そうだ、僕は「卒業までに彼女作る部」の部長として、皮膚がちゃんとできてるか、調べるだけなのだ。

 そのために触る。


 僕は、「彼女」の右腕を指で突っついてみた。


 柔らかい。

 本当に、人に触れたような感触がした。

 ちゃんと体温も感じるし、脈打ってる感じも分かった。

 よく見ると産毛うぶげみたいのも生えてるし、人の肌とまったく同じだ。


 僕は、肩とかペタペタ触ってみた。

 鎖骨さこつでてみる。

 さわさわしてると、皮膚の下にちゃんと骨が入っている感覚が分かった。


 引き締まったお腹が目に入って、千木良にするみたいに脇腹もふにふにしてみる。


 お腹は、千木良のより引き締まってる気がする。

 アンドロイドなのにおへそがちゃんとあって、カワイイ。


 ほっぺたをツンツンして、千木良にしてるみたいにすりすりしてみる。

 ほっぺたは、幼女の千木良のもちもちっとした触感と変わらなかった。

 幼女のほっぺたの感触と同じだなんて、この合成皮膚、あなどれない。

 細い指は、合宿で朝比奈さんと手を繋いだときの感触と一緒だ。



 僕が見たアンドロイドの中で一番すごかったのは、汐留み春さんのところのリセさんだけど、正直、これはそれを越えていた。


 これなら、来たるべき文化祭で大々的に発表できると思う。

 文化祭の展示のコンテストでは、我が「卒業までに彼女作る部」が優勝すること間違いなしだ。



 椅子に座る「彼女」を見下ろしてたら、その胸にある二つの丘がどうしても気になった。


 ダメだ。

 絶対にダメだ!


 それをしたら、引き返せなくなるような気がする。

 僕はもう、戻れなくなるだろう。


 でも、この作り物のおっぱいにはこの前も触ったんだし、それと同じことじゃないか。

 僕の中で、そんなふうにつぶやくやつがいる。


 僕の手は自然とそれに触っていた。

 両手をその上に置いてみる。


 あのときよりも張りがある気がした。


 きっと、綾駒さんが調整してくれたんだろう。


 そうなるともう、この「彼女」に欠点はなかった。

 なにからなにまで完璧な「彼女」だ。




「ああ、西脇君、来てたの?」

 突然、声がして振り返ったら、女子達がいた。


「玄関通らなかったから、気付かなかったよ」

 綾駒さんが言う。


 僕は、光の速さでおっぱいから手を離した。

 完成したばかりの「彼女」のおっぱいを隠れて触ってたとか知られたら、みんなから軽蔑けいべつされる。

 もう、一生口を聞いてくれないかもしれない。



「あれ、朝比奈さんまだ寝てるんだ。朝比奈さん、起きて」

 綾駒さんがそう言って、「彼女」の腕を揺すった。


「ん? 朝比奈さん」


 すごく嫌な予感がする。


「ああ、綾駒が『彼女』の造形をするのに、朝比奈が横にいてくれた方がイメージを固めやすいってことで、朝比奈が水着になってモデルをしてたんだよ」

 柏原さんが説明する。


「モデルしてもらってる間に朝比奈が眠っちゃって、じゃあ、この辺でこっちも休憩にして、お茶でも飲もうってなったんだけど、気持ちよさそうに眠ってる朝比奈は寝かせておいたんだ。僕達でお茶の準備をするのに、ちょっと手間取っちゃってさ。普段、台所は朝比奈に任せっきりだから、お茶がどこにあるとか、分からなくて」

 柏原さんがそう言って頭をかく。


「まったく、お茶くらいちゃんと入れないさいよね」

 自分を棚に上げて、千木良が言った。


「ってことは、これは『彼女』じゃなくて、本物の朝比奈さん?」

 僕は訊いた。


「はあ? 当たり前じゃない。『彼女』は隣の作業台に吊してあるよ」

 綾駒さんが言った。


 綾駒さんが指す方には、黒い布をかけた物体がある。


「制作途中だし、生々しいから布かけてあるの」

 綾駒さんが布をめくると、中から包帯のような布を巻いた「彼女」が姿を現した。

 両脇に入った鉄のアームで吊された彼女がぶら下がっている。

 まだ、ところどころ骨格のチタンとかカーボンがむき出しだ。


 ってことは、やっぱり……



「ほら、朝比奈、そろそろ起きろ。風邪引くぞ」

 柏原さんが、朝比奈さんの腕を揺すって起こす。


「ん、んんー」

 朝比奈さんが目を覚ました。

 目をパチパチさせて、大きく伸びをする朝比奈さん。


 目を覚ました朝比奈さんが、胸を守るように手を交差して、少し震えた。


「どうした? 朝比奈」

 柏原さんが、水着の朝比奈さんにタオルを掛ける。


「うん、なんか、すごく怖い夢を見たの」

 朝比奈さんが眉を寄せて言った。


「怖い夢?」

 柏原さんが訊く。


「うん。なんか、変質者に追いかけられて、体全体を嫌らしい手つきで触られる夢だった」

 朝比奈さんが思い出しながら震えた。


「なんか、本当に触られたような感覚まであるの」


 ああ……


「わっ! 西脇どうした!」

 かすかにかに柏原さんの声を聞いた気がする。


 気がつくと僕は、柏原さんのたくましい腕に抱かれていた。


「突然倒れたからびっくりしたぞ。どうした?」

 柏原さんが訊く。



 僕がその場にぶっ倒れた理由は、みんなには絶対言えない。

 言ったら僕は、このまま柏原さんにぶっ飛ばされて、月まで飛んでいくと思う。

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