第84話 美味しそうな体

 「彼女」が、外装を仕上げるために吊されている。


 柏原さんが作ってくれた作業台は、「彼女」の両脇に鉄のアームを差し込む形で「彼女」を空中に浮かせるようになっていた。


 八畳間の畳から、彼女は10センチくらい浮いている。

 力が抜けた「彼女」は、作業台の上でうなだれたみたいな姿勢だ。

 まだチタンの頭蓋骨ずがいこつだけで表情がないのに、自分がこれから何をされるのか、不安そうに見えた。


 八畳間は荷物が片付けられて、半透明のビニールシートでおおわれている。

 うらら子先生の衣装は縁側の廊下に移して、汐留み冬さんの球体関節人形は居間に避難させてあった。


 ビニールシートの中には、綾駒さんが作業しやすいように、「彼女」を囲む形で棚やトレーを置く。

 棚には、道具や素材がたくさん詰まっていた。


 八畳間はまるで、野戦病院って雰囲気だ。

 マスクにエプロン姿の綾駒さんは、差し詰め執刀医しっとうい


 でも、一つだけ場違いなのは、モデルの朝比奈さんが、水着姿で横に立ってることだった。



「こら、朝比奈ばっかり見るんじゃない」

 僕は、柏原さんに注意される。


「まったく、これだから男って」

 千木良が生意気なことを言った。


 全世界の男のみなさん、ホント、ごめんなさい。

 でも、自然に目が行ってしまうものは仕方ない。


 僕が見てることが分かって、朝比奈さんの体に少しだけ赤みが差したのが分かった。



 お風呂場で培養ばいようした皮膚を貼る前に、綾駒さんは「彼女」に包帯みたいな布を巻き付ける。

 メンテナンス用のハッチとかを避けて、包帯で「彼女」をぐるぐる巻きにした。

 この包帯には、繊毛せんもうみたいな細かいフックが無数についていて、皮膚の土台になるらしい。


 この前特注したおっぱいの部分も含めて、体全体に包帯を巻く。


 と、同時に、綾駒さんは体のラインが綺麗になるように包帯の下に樹脂製のパーツを入れていった。

 ぷにぷにと柔らかいパーツが、体の出っ張った部分を作っていく。

 綾駒さんはモデルの朝比奈さんを見ながら、そのパーツを削ったり、盛ったり調整した。


 それが、造形師の綾駒さんの腕の見せ所だ。



 チタンとカーボンだけだった「彼女」の体は、ふっくらと丸みをおびていった。

 生々しい、女性のシルエットに近づいていく。


「すっげー、朝比奈が出来ていく」

 作業を見守ってた柏原さんが思わず口にした。

 千木良なんて、口を半分開けたまま、見とれている。


 綾駒さんは、するすると、ものの一時間で包帯みたいな土台を巻き終えた。


「それじゃあ、皮膚を貼るよ。西脇君、持ってきて」

「うん」


 僕は、風呂場の浴槽に沈んでいる皮膚を、吊してある棒から外して液体から引き上げた。

 ステンレスのトレーに乗せて綾駒さんのところに持っていく。


 肌色で外郎ういろうみたいな感触の皮膚は、トレーの上でぷるぷるしていた。

 厚さ2センチ、1メートル四方の、巨大な外郎だ。


「美味しそう」

 僕が思わず口にすると、

「人の肌を見て美味しそうとか、ずいぶん猟奇りょうき的ね」

 千木良がそんなふうに言う。


 いや、そういう意味ではなく。



 綾駒さんは僕が持ってきた皮膚を、まず、右太股の包帯の上に貼った。

 平面の皮膚を曲面の太股に伸ばすように貼って、余分な部分をハサミで切り取る。

 さらに、その上から別の包帯を巻いた。

 今度の包帯は青紫色で、いかにも何かの薬品が染み込んでいそうな色をしている。

 実際、その包帯からはエナジードリンクを煮詰めたみたいな匂いがした。


「こうしておくと、自己再生機能で、肌が自然にくっついて切れ目も消えるから」

 綾駒さんが説明する。


 皮膚は、こんな感じで貼っていくらしい。


「それじゃあ、次持ってきて」

 綾駒さんに言われて、僕は風呂場に走った。





「あなた達、まだいたの? 今日はここまでにして、みんな、帰りなさい」

 職員室から部室を見に来た先生が僕達に声を掛ける。

 集中してたから分からなかったけど、林の中は暗くて、午後七時で外は真っ暗になっている。


「やりかけだから、私、皮膚を張るの最後まで終わらせたいんですけど」

 額に汗を浮かべた綾駒さんが言った。


「でもねぇ」

 先生が渋い顔をする。


「ノってきたところだし、手を止めたくないんです」

 綾駒さんが食い下がった。


 さすが綾駒さん、芸術家肌だ。



「それじゃあ、仕方ないわね。綾駒さんだけ作業を続けなさい」

 うらら子先生が折れた。


「あの、僕も残ります」

 僕が言うと、

「私も残るわ」

「私も残ってご飯とか作るよ」

「僕も残るぞ」

 他の女子部員三人も続いた。


 みんなの真剣な眼差しに、部長として涙が出そうになる。



「ダメよ。あなた達は帰りなさい。綾駒さんの手伝いは、先生が残ってするから」


「でも……」


「そのうち文化祭の準備で、みんな嫌でもここに泊まることになるんだから、今日のところは大人しく帰るの。いい?」

 先生が、腕組みしてちょっと厳しい表情をした。


 先生がこういう表情になったら、僕達はもう引き下がるしかないことを分かっている。



 千木良は迎えの車で帰って、柏原さんはバイクで帰った。

 僕も朝比奈さんと駅まで帰る。



「じゃあね。西脇君、また明日」

 朝比奈さんが手を振ってくれて、僕達は別れた。


 ホームが向かい合った朝比奈さんの電車が出るのを見送ったあと、僕は、学校に引き返す。


 やっぱり、部長としてはそうするべきだと思った。

 綾駒さんをこのまま一人で作業させるわけにはいかない。


 僕は、コンビニでお菓子とか買って、部室に戻る。





「まったくもう!」

 僕が部室に帰ると、玄関の上がりかまちの上から、うらら子先生が怖い顔で僕を見下ろした。


「だって、先生は仕事で疲れてるじゃないですか。ただでさえ忙しいのに、こうやって夜まで綾駒さんの助手してたら大変だし、それは僕がやります。僕は部長だし」

 昼間、僕達のような高校生を相手にして、さらにうるさい他の先生も相手にしてるうらら子先生は、毎日相当疲れてると思う。

 夜まで部活に付き合わせるのは、申し訳なかった。


「まったく、君って子は……」

 先生は何か言いかけて、僕の髪をくしゃくしゃってする。



「それじゃあ、先生、夕飯に何か作るよ」

 先生がシャツを腕まくりして台所に立った。


 僕は、綾駒さんの助手として、その作業を手伝う。



 綾駒さんの横顔が生き生きとしていた。

 普段の、僕の腕におっぱいを押しつけてくる悪戯っぽい綾駒さんもいいけど、こんなふうに真剣な眼差しの綾駒さんも、素敵だった。

 こうやって、横にいて手伝えることに、わくわくする。



 作業は九時すぎても続いて、僕達はうらら子先生が作ってくれた親子丼を食べてお腹を満たした。

 先生の親子丼は、卵がとろとろでおいしい。


 遅い夕飯のあとも、皮膚の張り付け作業を続けた。

 風呂場の皮膚の在庫がほとんどなくなって、「彼女」は、顔以外の部分が大方おおかた皮膚で覆われている。

 青紫の包帯で覆ってるから、どんな姿をしてるのかは見えないけど、包帯の上から見る限り、「彼女」は朝比奈さんみたいな、出るところは出てる、綺麗なスタイルをしてると思う。


 作業の間にうらら子先生が居間の柱に寄りかかって眠ってしまったから、僕は、先生に毛布を掛けておいた。

 無防備な先生の寝顔がカワイイとか言ったら、怒られるだろうか。



「先生、寝ちゃったね」

「うん、相当疲れてるみたいだね」


「私達、二人きりだね」

 綾駒さんがそう言って、居間と八畳間の間の襖を、後ろ手に閉めた。


「それじゃあ、西脇君、脱いで」

 突然、綾駒さんがそんなことを言う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る