第76話 最終日

 チャイムが鳴って玄関を開けると、ドアの前に千木良が立っていた。

 カンカン帽に、上品な紺のワンピースを着て、小さなバックを肩に斜めがけにした千木良。

 千木良は、その腕にちょっとぐったりしたウサギの縫いぐるみを抱いている。


「どうした? 千木良?」

 突然、家まで来た千木良にびっくりした。


 玄関の外を見ると、例のセンチュリーが停まっていて、運転席にはいつもの運転手さんがいる。


「あ、あんたが、まだ宿題終わってないとかいうから、手伝ってあげようと思って来たんだけど」

 千木良がほっぺたをほんのり赤くして、上目遣いで言った。

 その腕に抱いたウサギの縫いぐるみを、ぎゅっと抱きしめる。


「そうなんだ、ありがとう」


 今日は9月2日。

 明日から新学期だっていうのに、僕はまだ、夏休みの宿題を残していた。

 それをLINEのグループで書いたのを見て、千木良はわざわざ助けに来てくれたらしい。


「べ、別に、あんたのこと心配したから来たわけじゃないんだからね! 宿題の提出が遅れて、あんたが新学期早々部活に出られなくなって、『彼女』の製作に支障ししょうが出たら嫌だから、来てあげただけなんだから!」

 千木良が必死に言った。


「うん、心配かけてごめん。さあ上がって、今、部屋でやってたから」

 僕は、千木良にスリッパを出す。


「えっと、私、男子の部屋に入るのとか、初めてだけど、いくらあなたが幼女好きだからって、密室で私に手を出したら許さないわよ。外で待ってる運転手さんは、元々自衛隊の第一空挺団くうていだんにいた人で、私の警護のために両親がスカウトした人だから、何かする場合は、それなりの覚悟をしなさいよ」

 千木良が言った。


 僕だって、自分の家で人をおそったりはしない。

 いや、他所よそでも襲わないけど。


 それに、僕の部屋には今…………



「ああ、千木良ちゃん、いらっしゃい」

 僕の部屋にいる朝比奈さんが声をかけた。

「いらっしゃい。やっぱり、千木良ちゃんも来たんだ」

 同じように僕の部屋にいた綾駒さんが言う。


「あんたたち、どうしてここにいるのよ」

 死んだ魚の目みたいな目で、千木良が言った。


 白いブラウスに臙脂えんじのリボンの朝比奈さんと、ドキドキするようなオフショルダーのシャツを着た綾駒さん。


「私達だって、千木良ちゃんと同じだよ。西脇君の宿題が心配になったから、手伝いに来たの」

 朝比奈さんが微笑む。


「あれほど先にやっておこうって言ったのに、この部長はサボってたからね」

 綾駒さんは、ヤレヤレみたいな感じで肩をすくめた。


 重ね重ね、心配をかける部長ですみません。



「やあ! 千木良、来たのか」

 すると、バスタオルで髪を拭きながら柏原さんが部屋に入ってきた。


「あんた、何してるのよ!」

 千木良がびっくりして大きな声を出す。


「ああ、トレーニングでランニングしてたら、西脇の家の近くを通りかかったんで、ちょっと寄ってみた。汗をかいてたから、シャワーを借りたんだ」

 柏原さん、バスタオルで頭をゴシゴシ拭く。


「西脇、このTシャツと短パンありがとな。ちょっと小さいけど、いい感じだ」

 柏原さんが、Tシャツの裾を引っ張りながら言った。

 洗濯してる柏原さんの着替えに、僕のTシャツと短パンを貸したのだ。


「もう! 人の家でシャワー浴びてるとか、信じられない!」

 千木良はプリプリしていた。


「千木良も、浴びるか?」

 柏原さんが訊く。

「いいわよ!」

「このTシャツ、西脇の匂いがしていい感じだぞ」

 僕のTシャツの匂いをくんくんぐ柏原さん。


 柏原さん、変なこと言わないでください。



「もういいわ。さあ、さっさと宿題終わらせるわよ!」

 指揮しきるように千木良が言った。


 僕達は、僕の部屋の小さなテーブルをみんなで囲む。

 八畳の部屋に、ベッドとか机、本棚なんかがあるから、女子達四人が入ると、すごくせまくなる。

 おのずと、みんなとの距離が近くなった。

 僕は、朝比奈さんと綾駒さんに挟まれて、千木良が指定席である僕の膝の上に座る。

 柏原さんは、僕の背後でベッドに座った。


「それじゃあ、僕は西脇のエロ本でも探すか」

 柏原さんが、ベッドの下とか覗き始める。

「エロ本なんて、ありません!」

「ホントか?」

「本当です! 全部、エロ画像だし!」


 あっ。


 自分から白状してしまった。


「やっぱり、西脇君もそういうの見るんだ」

 朝比奈さんが目を伏せて言う。

「いや、あの……」

 僕はしどろもどろになった。

「まあ、男の子なんだし、当然でしょ。むしろそれしか見てないよ」

 綾駒さんが言う。

「そんなことはありません!」

 僕は厳重に抗議した。


「あんたのパソコンハッキングして、どんな性癖せいへきがあるのか、あばいてやるわ」

 千木良が指をポキポキ鳴らしながら言う。


 やめてください、死んでしまいます。


「どうせ、幼女の画像ばかりなんでしょうけど」

 千木良が言った。


 いや、それは法律的にアウトだろ。


「逆に、熟女好きだったりしてな」

 柏原さんが言う。

「すっごい、特殊なプレイが好きとかだったら、私、困るな」

 綾駒さんが言った。


 なにが困るんだ……



 僕達がそんなたわいない会話をしてたら、外から聞いたことがある車のエンジン音が聞こえてきた。

 窓から庭を覗くと、駐車スペースに、うらら子先生のランドクルーザーが入ろうとしてるところだった。



「西脇くん、宿題手伝いに来たよ!」

 先生が、勢いよくドアを開けて入って来た。

 真っ白なシャツに七分丈のデニムっていう、いつものさっぱりした服装のうらら子先生。


「あら、みんないるのね」

 先生が、部屋の中の女子部員を見て言った。


 チッ、って先生、露骨ろこつに舌打ちとかしないでください。


「せっかく、西脇君に個人授業しようと思って来たのにさ」

 「個人授業」って、なんだその甘い響き。

 なんか頭蓋骨ずがいこつの裏側をくすぐられるような、甘酸っぱさがある。




 現役教師に、女子達四人っていう、豪華ラインナップで宿題を手伝ってくれた。

 そのうち一人は、小学校から飛び級した天才だ。


 僕達がしばらく勉強してると、「トントン」って部屋のドアがノックされる。

 僕達の様子を見に来た、妹の野々だ。


「みなさん、いらっしゃい」

 ドアから顔を出した野々が挨拶あいさつした。


 ここにいるみんなと野々は、以前僕が千木良の恋人役をしたとき、ちょっとだけ面識がある。


「で、そこの幼女は、なんで私の指定席であるお兄ちゃんの膝の上に抱かれてるのかな?」

 野々がすごんだ。


「なによ」

 千木良が立ち上がった。


 野々と千木良がにらみ合った。

 こういうのを、修羅場しゅらばって言うんだろうか?


「まあまあ、二人とも、僕のために争わないで」

 僕が言ったら、

「うるさい! 黙ってて」

 って、野々と千木良、両方に怒鳴どなられた。



「ちょっと待ちなさい」

 見かねたうらら子先生が、二人の間に割って入る。

 そして先生は、千木良を部屋のすみに呼んだ。


「あなた馬鹿ね。結婚すれば、彼女は小姑こじゅうとになるのよ。しょうんとすればまず馬を射よ、って言うでしょ? 野々ちゃんを籠絡ろうらくしておくのも悪くないと思うわ」

 先生が小声で言う。


 先生…………

 一体、なんの話をしてるんだ……



「ああ、妹の野々さんでしたか。失礼しました。私は、普段から西脇先輩にお世話になってる、千木良里緒奈といいます。どうぞ、よろしくお願いします」

 千木良が深々と頭を下げた。


 おい千木良、態度変わりすぎだろ(それに、今まで「西脇先輩」とか、一度も言ったことないじゃないか!)。


「そうだ。野々ちゃん。野々ちゃんも宿題残ってない? 一緒にやろうよ。お姉さん達、教えてあげるから」

 朝比奈さんが誘った。


「いいの?」

 野々の表情がくるっと変わって、嬉しそうに訊く。


「うん、いいよ。みんなでやろう。私、ケーキ焼いてきたし、それもあとで食べようね」

 朝比奈さんが言うと、野々は飛ぶように自分の部屋に宿題を取りに行った。


 結局、最後には、野々がみんなのことお姉ちゃん、って呼ぶくらい仲良くなる。

 そして、野々は千木良のことも、妹みたいに可愛がるようになった。


 僕は部屋の隅っこに追いやられたけど、まあ、大好きな女子達が仲良く楽しそうなのは、それはそれで嬉しい。




 こうして夕方までみっちり手伝ってもらったおかげで、僕は夏休み数時間を残して宿題を全部片付けることが出来た。

 夕飯食べていってという母の提案を断って、女子達は帰る。


「ここで夕飯まで食べて行くような図々しいことはしないで、控え目なところを見せて、お母様の心証しんしょうをよくすることも大切よ」

 うらら子先生が小声で意味が解らないことを言って、女子達は深く頷いていた。



 僕と野々が、みんなを門のところまで送る。

「それじゃあ、明日また、学校で」

 みんなと手を振って別れた。


 手を振りながら、僕は、早く明日にならないかなって思う。


 夏休みの終わりに、早く学校に行きたいって思うなんて、小学校中学校高校を通して、僕には初めてのことだ。

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