第77話 新学期とトイレ掃除

 待ちわびた新学期、いさんで学校へ行くと、先に教室にいた雅史は、かなり陽に焼けていた。

「がっぽり稼いだぞ。この日焼けは、その勲章くんしょうだ」

 雅史が自慢するように言う。

 バイト三昧ざんまいの夏休みを過ごしたらしい雅史。


「それでお前は? 夏休み何してた?」

 雅史が訊いてきた。


「うん、うちの部の部員と、うらら子先生と、いばら学院女子新体操部の二十人と、顧問の望月先生と一緒に、女性だけで切り盛りしてる満珠まんじゅ荘っていう民宿で合宿して、一緒に寝たり、無人島でバーベキューしたり、花火をしたり、そこの飛鳥あすかさんっていう、働き者の女の子と知り合いになったり、肝試きもだめしでは朝比奈さんと手を繋いだり、とにかく、楽しかった」

 僕が思い出しながらニヤニヤして言ったら、雅史は僕のおでこに手を当てて、熱を計る。


 僕が平熱だったことが分かると、

かおる、妄想もほどほどにしといた方がいいぞ。妄想に肉付けして、民宿の固有名詞とか考えたり、その家族構成とかまで考え出すと、自分が考えた世界から抜け出せなくなる。そんな妄想は、夏休みと共に、置いていかないとダメだ」

 雅史は、僕の両肩に手を置いて、切々と訴えかけた。


 僕の言葉を、全然信じてないみたいだ。


「嘘じゃない。棘学院女子のLINEのグループにも入ったし、部員みんなのメアドとか、電話番号も教えてもらったし」

 どんなふうに話しかけたらいいか分からなくて、まだ一度も連絡したり、書き込みしてないけど、教えてもらったのは確かだ。


「おいおい、だったら証拠を見せろ」

 雅史が言う。


 僕は、売り言葉に買い言葉で、スマートフォンを取り出した。

 雅史に、僕の連絡先にずらっと並んだ女子の名前を見せてやろう。

 そう考えてスマホを操作してたんだけど……


 あれ?


 連絡先が消えている。

 烏丸からすまるさんをはじめとする棘学院女子新体操部部員の電話番号とか、メールアドレスとか、全部なくなっていた。


「おい、どうした?」

 雅史があせらせるから必死に探したけど、結局、どこにもなかった。

 僕のスマホから綺麗さっぱり消えている。


 そう言えば、昨日、宿題を教えてもらってるとき、千木良が自分のスマホのバッテリーが切れちゃったから、僕のスマホを貸してくれとか言って貸したけど、まさか、そのとき……



「馨、現実を見ろ。彼女とか、夏休みのバーベキューとか、花火とか、女子との肝試しとか、それは都市伝説だ。そんなもの、ツチノコ並の存在だ。妄想するなら、もう少し、地に足が着いた妄想をしろ」

 完全に僕を変人扱いする雅史。


 だけど、確かに雅史が言ったみたいに、それらの出来事が本当に僕の妄想だって可能性もある。


 あの夏の体験が、それくらいありえないことだったのは、間違いなかった。






 始業式を終えて部室に行くと、そこでは、部員の女子達が掃除をしている。

 新学期の活動に向けて、みんなで大掃除をしていた。


「よう、西脇!」

 玄関をいている柏原さん。

「はーい、西脇君」

 ちゃぶ台を拭いている綾駒さん。

「西脇君、こんにちは」

 朝比奈さんは、台所を片付けている。


 その中に、掃除を手伝う「彼女」の姿もあった。

 「彼女」は、雑巾ぞうきんで縁側のガラス窓を拭いている。

 ガラスはピカピカで、「彼女」のチタンの輝きが映っていた。


 それを見て僕は確信する。


 あれは僕の妄想じゃなかったんだと。


 合宿で柏原さんが仕上げてくれた「彼女」の体は完璧だった。

 こんなふうに、繊細せんさいなガラスの拭き掃除まで出来るようになっている。

 この成果が、本当に合宿をした証拠だ。

 あれは、僕の妄想じゃなかった。


 僕が微笑みかけると、表情がない「彼女」が、首を傾げる。



「遅いわよ!」

 僕も掃除にかかろうと荷物を置いたら、千木良がトイレから顔を出した。

 が付いたタワシを持って、マスクにエプロンの千木良。

 千木良はトイレ掃除をしてたらしい。


「ああ、ごめんごめん」

 言いながら、なんだか目頭が熱くなった。


 始めてここに来たとき、ここの和式トイレにびっくりして悲鳴を上げてた千木良。

 とんでもないお嬢様で、ノートパソコンより重い物をもったことがない千木良。

 学校の校門から家まで、センチュリーで送り迎えされてる千木良。

 そんな千木良が、掃除を手伝っている。

 それも、トイレ掃除だ。


「なによ」

 僕が熱い視線で見てたら、千木良が不審そうな顔をした。


 まずいまずい、千木良の成長に感動して、もう少しで、千木良のこと抱きしめるところだった。

 抱きしめてほっぺたすりすりするところだった。

 おでこをペロペロするところだった。


「なによもう!」


 千木良に会ったら、スマホの連絡先消したことを怒ろうと思ってたんだけど、そんな気持ち吹き飛んでしまう。


「いや、今日も千木良は可愛いなって思って」

 僕が言ったら、千木良は「馬鹿!」って言いながら、トイレに駆け込んで隠れてしまった。


 僕もすぐにジャージに着替えて、廊下の床を雑巾がけする。






「はい、みなさん集まりなさい」

 掃除に一区切りついた頃、職員会議を終えたうらら子先生が部室に来た。

 僕達は、いつものようにちゃぶ台の周りに集まる。


 今日の先生は、髪をきっちりと詰めてスーツを着こなした、敏腕びんわん教師のうらら子先生だ。


「さて、部長さん。新学期も始まって、我が部の活動方針は、どうなってるのかな?」

 先生が僕に振ってきた。


「はい、あの、えっと……、合宿で撮った動画と生配信が好評で、まとまった収入があるので……、その、『彼女』に搭載する頭脳用の部品を買う目処めどが立ったっていうか……」

 敏腕教師の方のうらら子先生の前だと、曖昧あいまいな答えは突っ込まれるから緊張する。


「パーツを揃えれば、もう組み立てられるわ。設計もしてあるし、本当にもう、あとは手を動かすだけよ」

 僕のふところに抱かれている千木良が補足してくれた。


「なるほど。で、『彼女』の外装の方は?」

 先生が続けて訊く。

 外装って、つまり、彼女の皮膚ひふとか、顔とかのことだ。


「そっちも、もうイメージは出来てるし、手を動かすだけですね。移植する皮膚の培養ばいように時間がかかるから、それはここのお風呂のバスタブを使って、そろそろ始めようかって、話してたんですけど」

 綾駒さんが説明してくれた。


「ふうん。それじゃあ、さっそく進めたほうがいいわね」

 先生が頷く。


「先生、急にどうしたんですか?」

 柏原さんが訊いた。


「ええ、だって、もうすぐ、あれがあるのよ」


「あれ、ですか?」

 柏原さんが訊き返す。


「私達文化部にとっての晴れ舞台、文化祭があるじゃない」



 ああ確かに、秋はそういう季節だ。

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