第75話 永遠の夏休み

 朝起きて、部屋の掃除をした。

 一週間お世話になった部屋だし、感謝を込めて念入りに掃除する。


 布団をベランダに干して、はたきでほこりを落とした。

 掃除機をかけたあとに、コロコロで絨毯じゅうたんの上に残ったゴミをとる。

 窓ガラスを拭いて、机とテーブルもみがいた。

 本棚の漫画は全巻順番通りに並べて、壁のポスターが剥がれたところも直す。


 僕が初めてこの飛鳥さんの部屋に来たときよりも、綺麗になったと思う。



「おはようございます」

 いつの間にか、僕の後ろに飛鳥さんが立っていた。


 早朝、海に行ってきたのか、飛鳥さんの髪が濡れていて、潮の香りがする。

 飛鳥さんの肌は、一週間前より焼けていた。

 お母さんを手伝うとき以外は、海に出てるのかもしれない。



「みなさんが、西脇さんのこと好きなわけが、今、はっきり分かった気がします」

 飛鳥さんが、部屋を見渡して言う(みんなは、僕のこと好きなわけじゃなくて、ただオモチャにしてるだけだと思う)。


「この部屋を使って、掃除して帰る人なんて、初めてです」

 そう言って、僕の目を覗き込む飛鳥さん。

 その真っ直ぐな目に、僕はドキッとした。


「それに、相変わらず、私の机とかタンスの引き出し、開けないでいてくれたみたいだし」


「それは、人として当たり前です。だから開けてません」

 僕は、キリッとした顔で言う。

 ホントは、一瞬でもいいから飛鳥さんのパンツが入った引き出しとか見たくて、引き出しに手を掛けたまま、小一時間、悩んだんだけど。


「そうですよね。もし開けてたら、私が書いた手紙を…………いえ、なんでもありません」

 飛鳥さんは言葉をにごした。


 ん?

 手紙って?


 引き出しの中に、何が入ってたんだろう?



「また、来年も合宿に来てくださいね」

 飛鳥さんが言う。


「はい、もちろん。すごくいい環境だし、ご飯も美味しいし、最高の宿です」

 そして、美人の母娘がいるし。


「私は将来この民宿を継ぐつもりなので、そう言ってもらえると嬉しいです」

 飛鳥さんって、もう、自分の将来を決めてるんだ。


「合宿といわず、一人で来てくれても、いいんですよ」

 飛鳥さんはそう言うと、廊下を小走りで走って行った。




 朝食を食べて荷造りする。

 チェックアウトして、玄関前に集まった。


 棘学院女子のみんなと並んで、千鶴さん、美咲さん、飛鳥さんに「ありがとうございました」って、お礼を言う。


「また来てくださいね」

 千鶴さんが、優しい笑顔で言った。

「美味しい魚捕って待ってるからね」

 美咲さんも言う。


 丁重にお礼を言って、うちの部と、棘学院女子、それぞれの車に向かった。


「西脇君、同じ部長として、これからも情報交換してこうね。帰ったら、合宿の反省会しよ」

 烏丸さんが一人、僕のところへ走ってきて言う。


「う、うん」

 僕は震える声で答えた。


 僕の周りをうちの部の女子達がおしくらまんじゅうみたいに囲んでいて、烏丸さんをにらんでるし、プレッシャーがハンパない。


 この感じだと、烏丸さんとの反省会なんて、とても出来そうになかった。




 烏丸さんと別れて、僕達は、うらら子先生のランドクルーザーに乗り込む。


「あれ?」

 エンジンを掛けようと鍵を回して、先生が首をひねった。


「どうしたんですか?」

 助手席に座った僕が訊く。


「ええ、エンジンが掛からないの」

 何度も鍵を回しながら、先生がエンジンを掛けようとした。

 メーターのランプがついて、セルモーターが回る音は聞こえるのに、なかなかエンジンが掛からない。


「ボンネット開けてください」

 柏原さんが言って車から降りた。


 先生がボンネットを開けると、

「ああ」

 って、柏原さんにはその原因がすぐに分かったみたいだ。


「点火プラグのコードが、全部抜いてある」

 柏原さんが肩をすくめて言った。


「誰が、そんなことを……」

 うらら子先生が表情を曇らせる。

 知らない間に車が悪戯されてたなんて、気味が悪い。


 柏原さんがコードを元に戻したら、エンジンはすんなりと掛かった。

 一応、柏原さんが他も点検したけど、おかしなところはなかった。



「あっ!」

 千木良が、突然思いついて、ノートパソコンを取り出す。

 パソコンの画面に、なにかのファイルを開いた。


「やっぱり! 昨日の夜から今朝にかけての、のログが消えてる!」

 千木良が興奮気味に言った。


 千木良が言う「この子」っていうのは、僕達の「彼女」のことだ。


「あの、無人島のときと同じよ」

 そういえば、無人島でボートが消えたとき、その犯人を目撃してたはずの彼女の行動ログが、全部消えてたんだった。


 あのときは、無人島からボートが消えて、僕達は島に残され(実際は、歩いても渡れたけど)、今は、先生の車が悪戯されて、出発できないところだった。



「もしかして……」

 朝比奈さんが口を開く。


「ねえ、もしかしたら、これ、『彼女』がやったって思わない?」

 突然、朝比奈さんがそんなことを言いだした。


 「彼女」が?

 「彼女」にそんなことを出来るんだろうか?

 出来たとして、なぜ、そんなことを。


「私、昨日、花火の最後に寂しくなっちゃって、この夏が、いつまでも終わらなければいいのにね、とか言ったでしょ? 『彼女』が、それを聞いてたんだったら……」

 あの時は確かに、彼女も花火の現場にいた。


「それを聞いた「彼女」が、先生の車を動かないようにして、私達が出発出来ないようにしたってこと?」

 綾駒さんが訊いて、朝比奈さんが頷く。


 僕達を、ずっとこの民宿に留めて、夏休みのままでいさせようとしたってことか。


 だとしたら、あの無人島でのことも、「彼女」の仕業なんだろうか?

 島まで渡ったボートが流されて、僕達が無人島に取り残されたこと。

 そして、電波が届かなくなって、スマートフォンが使えなくなったこと。


 僕は、あのとき、このまま無人島で、みんなとずっと居たいとか、思ってた。

 この部員の女子達と、誰にも邪魔されず、ずっと一緒だったらって、思ってた。

 その意思を「彼女」がんで、島を出るためのボートを流した、ってことだろうか。


「そんなはずはないわ。この子のAIはまだ仮のものだし、自我じがを持つどころか、まだ、人の言葉を完全に理解するまでも育ってない。体は自由に動くけど、中身は赤ちゃん以下よ」

 千木良が言った。


「確かに、無線装置を積んでるから、ネットに繋がって、車を動かなくする方法とか検索出来るし、逆に無線の電波を使って、私達のスマホの電波のジャミングとか、しようと思えば出来るけど」

 千木良は腕組みして考え込んでしまう。


 本当に、「彼女」がそんな手段を使ってやったんだろうか?


 ボートを流したって、車を動かなくしたって、僕達の夏休みが伸びることはない。

 夏は必ず終わる。

 そういう意味では、犯行が稚拙ちせつだから、彼女がやったんじゃないかって、思えないこともなかった。



「仮のAIとはいえ、天才千木良のプログラムなんだろう? それくらい、出来るのかもよ」

 柏原さんが笑いながら言う。


「まあ、そうだけど」

 千木良は、考え込んだままだ。


 ランクルの座席に積んだ当の「彼女」は、無表情で座っていた。



 もし、僕達に永遠の夏休みをくれようとして「彼女」がそんなことしたなら、頭をでてやりたい気分だった。

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