第73話 エナジードレイン

 目の前に、あかね色の着物を着た女の子が立っている。

 おかっぱ頭で、日本人形みたいな女の子だ。


 女の子が持っている蝋燭ろうそくの炎が、暗い廊下に怪しくゆらめいていた。

 その口元に、微かな笑みを浮かべている女の子。


 僕は、怖いというよりも、一瞬、その姿に見とれてしまった。

 それくらい、綺麗で整った顔をしている。


「誰?」

 僕がもう一度訊くと、その女の子は、すっと、音も立てずに後ずさりした。



 なるほど。



 僕はすぐにさとった。


 うちの部の女子達が、僕のこと脅かそうって、お化けに変装してるらしい。

 たぶんあれは、千木良だ。

 あの着物は、うらら子先生が用意したんだろう。

 コスプレイヤーの先生なら、それくらい簡単に用意できる。


 僕を怖がらせようって、朝比奈さんまでぐるになって、どっきりを仕掛けたに違いない。

 出掛けに女将おかみの千鶴さんが短刀を渡してくれたけど、あれも、った演出なのかもしれない。


 だとしたら、このままあの女の子に「千木良」って呼びかけるのもどうかと思った。

 せっかく女子達がここまで準備してくれたのに、得意になってそれをすぐにあばくのは無粋ぶすいだ。


 ここは、騙されたふりをして、もうちょっと乗ってみたほうがいいかもしれない。

 それが、女子達に対する礼儀ってものだろう。


「誰?」

 僕は、気付いてないふりをしてその女の子に呼びかけた。

 女の子は、ゆっくりと奥に下がる。


 僕も、それに合わせてゆっくりと歩いた。


 そんなふうに千木良らしい女の子を追ってたら、すぐ横の教室から、人の気配がする。


 やっぱりそうだ。


「たすけてぇ」

 しばらくすると、ドアが開いて、中から白装束しろしょうぞくの女性が現れた。

 長い黒髪で顔を隠した、いかにも、って感じの女性だ。


 一応、びっくりしといたほうがいいと思って、

「わっ!」

 って声を上げたら、その白装束が、「ううう」ってうなりながら、僕に抱きついてきた。


 それが綾駒さんだっていうのは、すぐに解る。


「うわあ、助けて!」

 僕は、悲鳴など上げてみた。


 ちょっと、棒読みっぽかったかもしれない。


 抱きついてくる白装束の綾駒さんをやり過ごすと、今度は隣の教室から、チェーンソーを持った背の高い女性が出てきた。

 その女性は、血で染まったグレーのつなぎを着て、顔にアイスホッケーのマスクを被っている。


 これは間違いなく柏原さんだ。


 チェーンソーを振り回せる腕力からしても、背が高いアスリート体型からしても、柏原さんに違いなかった。


「うおおお!」

 チェーンソーの某殺人鬼っぽい女性がうなる。

 マスクで、声がもって聞こえた。

 僕はその横をすり抜ける。

 思った通り、すれ違うとき鼻をかすめた香りは、柏原さんの匂いそのものだ。

 ココナツオイルと汗が混じった、僕が大好きな匂い。


 柏原さんが、僕に当たらないよう、気を使ってチェーンソーを振り回してくれるのが分かった。


「助けてください」

 僕は、情けない声を出しながら逃げる。


 やっぱり、ちょっと棒読みになってしまった。



 なんとか殺人鬼の攻撃をかわして、次に、二階の女子トイレから出てきたのは、真っ赤なドレスを身にまとった、金色の髪の女性だった。

 引きずるようなスカートで、肩を出した大胆なドレス。

 ハイヒールを履いて、見下したような視線で僕を見るのは、うらら子先生だ。


 たぶんこれ、某物○シリーズの吸血鬼のコスプレなんだろうけど、鮮やかなドレスを着た、ただの綺麗なうらら子先生でしかない。


「うわー、怖いー! 助けてー、血を吸われるー」

 一応、礼儀として先生にもびっくりしておいた。

 こんなドレスとか、金色のカツラとか持ってきてくれたのに、驚かないと申し訳ない。


 白装束と殺人鬼が後ろから迫ってきて、僕は簡単に吸血鬼につかまった。


うぬは、我が眷属けんぞくとなるがいい」

 うらら子先生が言って、僕の首筋にカプッって噛みつく。

 先生に首を甘噛あまがみされた。


 先生の犬歯が僕の首筋に当たって、くすぐったい。

 はむはむと、先生は柔らかく歯を当てた。

 なんだこの、超絶テクニック。


 でも、よく考えたら、これって、キスされるよりも濃厚な行為なんじゃないだろうか。

 教師が青少年にこんなことしていいのか?

 条例とかに引っかからないんだろうか?


 先生の甘噛みで、僕は本当に血を抜かれたみたいに骨抜きになる。

 これが、世に言う「エナジードレイン」ってやつか……


「もう、先生、そろそろ離れてください!」

 我慢できなかったみたいで、白装束の綾駒さんが地の声を出した。


「そうです。西脇にくっつきすぎです!」

 チェーンソーを持った柏原さんも言う。


 ドレスのうらら子先生は、二人掛かりで僕から引き剥がされた。


「西脇君、ごめんね」

 教室に隠れていた朝比奈さんが、あわてて出てくる。


「どっきりだったの、びっくりした?」

 朝比奈さんが小首を傾げて訊く。

 朝比奈さんは、手に「大成功!」って書いたプラカードを持っている。


「びっくりした、っていうか……」


 朝比奈さんと手を繋いで歩いたり、綾駒さんに抱きつかれたり、うらら子先生に甘噛みされたりして、僕的には大成功ですけど……


「なんか、バレてたみたいだね」

 朝比奈さんがそう言って舌を出した。



「顔隠してたのに、なんで、私って分かったの?」

 綾駒さんが訊く。


「だって、飛びついてきたとき、胸が当たって、その柔らかさが、いつも綾駒さんが僕の腕に当ててくる柔らかさと、同じだったから」

 僕が答えたら、女子達、ちょっと引いた。


「おっぱいの柔らかさで人が判別出来るなんて、西脇は『おっぱい鑑定士』か!」

 柏原さんが半分呆れて言う。


 「おっぱい鑑定士」って、なにその、全世界の男子高校生があこがれそうな職業……


「じゃあ、僕は、なんで分かったんだ?」

 柏原さんが訊いた。

「そんなに背が高くてスタイルがいいのは柏原さんだし。ココナツオイルの大好きな匂いがしたから」

 僕が言うと、柏原さんが「そっか」って頭を掻く。


「じゃあじゃあ、先生はどうして分かったの?」

 うらら子先生が訊いた。


「先生は、そのまま先生ですし……」

 これは、間違いようがない。


「まあ、そうだよな」

 柏原さんが笑った。

「それもそうだよね」

 綾駒さんも朝比奈さんも釣られて笑う。



 僕達が廊下で笑ってたら、トイレの前の教室から、小さな影が出てきた。


 それは、背中にコウモリみたいな羽根を背負って、とがったハートが先端についた尻尾しっぽをお尻に生やし、三つ叉のほこを持って、頭に二本の角がある。


 小さな悪魔。


 まさに、小悪魔って感じの千木良だった。


「もう! あんた達が不甲斐ふがいないから、私が出て行くタイミングがなかったじゃない!」

 千木良が、うらら子先生達にダメ出しをする。

 計画では、先生の吸血鬼の次に、千木良の悪魔が出てくる予定だったらしい。


「ごめんごめん」

 って、みんなが千木良に謝った。


 でも……


 んっ?


 あれ?


 っていうか、千木良が小悪魔の扮装ふんそうでここにいるってことは……



「あの、あれは、誰がコスプレしてるんですか?」

 僕は、廊下の先に立つ和服の女の子を指して訊いた。


「あれって?」

 女子達が、僕が指した女の子の方を向く。


 それを見た女子達が固まった。

 口を半開きにしたまま、ぽかんとしている。


 茜色の和服の女の子は、無言で廊下にたたずんで、こっちを見ていた。

 その口元に、微かな笑みを浮かべている。

 透き通った肌は、あらためて見ると、本当に透き通っていた。

 透き通って、後ろの壁が見えている。



「あれは、ほっ、本物……かな」

 うらら子先生が言葉を絞り出した。



「うわああああああああああああ!」

 次の瞬間、女子達が廊下を反対方向へ逃げ出す。


 僕は、立ったまま気を失っている千木良を抱き上げて、一目散に逃げ出した。

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