第72話 夜の学校

「夜の学校って、やっぱり恐いね」

 朝比奈さんが言った。

 フルートの音色みたいな、どこまでも耳に心地良い声だ。


「うん、そうだね」

 僕は答えた。

 だけど、朝比奈さんと恋人つなぎしながら歩いてるっていうこの状況にドキドキし過ぎて、僕は、お化けとか幽霊とか、全然怖くなかった。

 そういうのに出てこられても、握手してハグしてあげたいくらい舞い上がっている。

 今なら、全てのモノに「ありがとう」って言えそうな気がした。

 世界に平和が訪れる日が来るって信じられる。



「それじゃあ、入ろっか」

 朝比奈さんが言って、僕は頷いた。

 僕達は、二人手を繋いで学校の玄関をくぐる。



 廊下を歩くと、ギシギシと木の床が鳴る音が、昼間よりも響いた。

 微かにお線香の匂いがするのは、昼間、虫除けに蚊取り線香をいていたせいだと思う。

 なんか、おばあちゃんの家に行ったときみたいな、夏っぽい匂いだ。


 明かりは遠く廊下の先に見える非常口の誘導灯だけで、中は真っ暗だった。

 僕と朝比奈さんが持っている懐中電灯で照らすと、そこだけ明るくなる。

 でも、暗くて朝比奈さんの綺麗な顔が見えないからこそ、僕はギリギリのところで正気を保っていられた。

 これでもし、明るかったら、照れて顔を上げられなかったかもしれない。



 懐中電灯で足元を照らしながら、二人で歩いた。

 うらら子先生から渡された地図の巡回路通りに、玄関から右に折れて歩く。

 僕達の右手は職員室で、左側に事務室、そして、その奥が職員用トイレになっていた。

 廊下から職員室を照らすと、中は静まりかえっている。

 照らしたことで、ガラスに付いている指紋が目立った。

 小さいのから大きいのまで、無数の手形が浮かび上がる。


「なんか、『出してくれ!』って幽霊が訴えてるみたいだね」

 朝比奈さんが怖いことを言った。


 すると突然、職員用のトイレから、ぴちょん、って、水滴すいてきが垂れる音がした。

 タイルの壁に、その音が大きく響く。

 それを聞いた朝比奈さんが、びくってなって、僕の手をぎゅっと握った。


「ごめんね」

 朝比奈さんが謝る。

 その謝罪は、世界一無意味な謝罪だと思う。

 僕は、指の骨が砕けるくらい握ってくれても、全然かまわなかった。



「やっぱり、手を繋ぐより、西脇君の腕につかまってていい? その方が、安心できるから」

 朝比奈さんが遠慮がちに言う。


「うん、朝比奈さんがいい方で」

 僕が答えたら、朝比奈さんがすぐに僕の体と腕の間に手を差し込んできた。

 僕は、びっくりして心臓が飛び出しそうになる。

 朝比奈さんは左手で僕の右腕を掴んで、右手もちょっと添えた。

 あと一つ、なんか腕に当たってる気がするけど、そのことはなるべく考えないでおこう。


「やっぱり、この方が落ち着く」

 朝比奈さんが言った。

 こんな僕を、朝比奈さんが少しでも頼ってくれたと思うと、それだけで誇らしい気持ちになる。



 職員室を通り過ぎて、調理室の前も通り過ぎた。


 廊下の突き当たりまで歩くと、そこに机が一つあって、その上に、お札が一枚、置いてあった。

 長細い紙に、毛筆でなんか書いてある和紙のお札だ。

 達筆すぎて、なんて書いてあるのかは分からないけど、うらら子先生の字だった。


 そのお札の横に、ちょうど二枚分くらいスペースがあるから、そこにあったお札は、柏原さんペアと、うらら子先生ペアが取っていったってことだろう。

 少なくとも先行した二組は、ここまで辿たどり着いている。


 朝比奈さんがお札を取って、僕達は廊下の突き当たりにある階段から、二階に上がった。


 踊り場まで来たところで、

「きゃっ!」

 って、朝比奈さんが可愛い声を上げる。


 どうしたのかと思ったら、朝比奈さん、階段の踊り場の鏡に映った僕達二人の姿にびっくりしたみたいだ。

 鏡には、目を見開いた朝比奈さんと、その横でこわばっている僕が映っていた。


 鏡の中の朝比奈さんが赤くなる。


 僕が思わず笑ってしまったら、朝比奈さん、

「いじわる」

 って、ほっぺたをふくらませた。


 声を大にして言いたいんだけど、朝比奈さんって、怒った顔もカワイイ。

 僕達が作る「彼女」には、こんなふうにほっぺたを膨らませる機能を絶対付けるって、その時僕は心に誓う。




 階段を上って、二階に着いた。


 僕達は、そこでしばらく息を殺して様子をみる。

 辺りは物音一つしないで、静まり返っていた。

 人の気配も、人以外の何者かの気配もない。


「先生!」

「柏原さん!」

「千木良!」

「綾駒さん!」

 二人で暗闇に交互に呼びかけてみたけど、返事はなかった。


 懐中電灯で廊下を向こうまで照らす。

 だけど、光が弱すぎて端までは届かない。

 廊下の先は、暗闇のままだ。



「次のチェックポイントは、二番目の教室だね」

 朝比奈さんが地図を照らした。


 周囲を警戒しながら歩いて、その教室の前まで来る。


 コンコンって、朝比奈さんが引き戸をノックした。

「誰かいますか?」

 僕は、わざと大きな声で言ってみる。

 人がいたらすぐ分かるし、幽霊とかにも、こっちの存在を知らせたかったのだ。


 しばらく待ったけど、中から反応はなかった。


「開けるよ」

 僕が言うと、朝比奈さんが僕の腕をぎゅっと掴んだ。


 僕は、立て付けが悪くなっている木の引き戸を慎重に開けた。



 教室の中は、机と椅子が後ろに寄せてあって、左隅に、古いアップライトピアノが置いてある。

 これは、昼間見たときの教室と変わらないと思う。



「西脇君、あそこ」

 朝比奈さんが、ピアノの鍵盤けんばんに懐中電灯の光を当てた。

 ふたをした鍵盤の上に、お札らしきものが見える。


「僕が取ってくるよ」

 僕は朝比奈さんに言った。

 何が飛び出して来るか分からないし、朝比奈さんを行かせるわけにはいかない。


「気を付けてね」

 朝比奈さんが僕の腕から手を放した。

 手を放されても、まだ、僕の腕はぽかぽかしている。

「うん」

 僕は、警戒しながら教室に入った。


 机の後ろから誰か(何か)出てこないか注意しながら、ピアノに近づく。


 ピアノの前まで行って、お札に手が届こうとしたときだ。


 ガラガラガラ、って音がして、教室の引き戸が閉まった。


「朝比奈さん?」

 振り返ると、引き戸の所にいた朝比奈さんがいない。


「朝比奈さん?」

 僕は急いで教室を出た。

 廊下で辺りを照らしたのだけれど、朝比奈さんがいない。


「朝比奈さん!」

 僕は暗闇に呼びかけた。

 でも、返事がない。


 朝比奈さんが忽然こつぜんと消えてしまった。


 ただただあせっていると、突然、廊下の先にぽつんと灯りがともる。


 弱々しい光は、蝋燭ろうそくの炎だった。


 目を凝らすと、蝋燭の奥に、色の白い女の子がいる。

 女の子は、あかね色の、古そうな着物を着ていた。

 ちょうど千木良が同じくらいの背丈。

 おかっぱ頭で、前髪をぱっつんにしている。

 その肌は、病的なくらいに白い。青白い。

 整った顔で、まるで日本人形みたいな女の子だ。


 その女の子が、蝋燭を立てた燭台しょくだいを持って、こっちを見て立っていた。


「誰?」

 僕は訊いた。


 するとその女の子は、口の端を少しだけ持ち上げて、微かに笑う。

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