第55話 びしょびしょの夏

「お兄ちゃん、どこに行くのさ」

 なし味のガリガリ君をかじりながら、妹の野々ののが訊いた。

 ピンクのタンクトップに、カーキ色のショートパンツ姿の野々。

 玄関で靴を履いていた僕を、二階から降りてきた野々が見下ろしている。


「こんなに暑いのに、どっか、お出かけ?」

「うん、部活だよ」

「部活って、、彼女がなんとかっていう部活?」

「ああ」

「わざわざ、夏休みに?」

「うん」

「この暑さの中で?」

「そう」

 僕が答えると、野々は首を傾げた。


「去年までのお兄ちゃんはどこにいったのさ? 夏休みはお昼過ぎまで寝てて、午後ロー見ながら朝ご飯と一緒の昼ご飯食べて、午後はネットのブックマークしたまとめサイトチェックして、夜はゲームしながら、ときどき野々の部屋に来ては、野々にちょっかい出して、キャミソールとパンツだけの薄着の野々をいやらしい目で見ていく、あのお兄ちゃんはどこにいったのさ!」


 いや、そんなお兄ちゃんなら、どっかに行ったままの方がいいと思う。


「今年は部活に入ったんだから、お兄ちゃんは夏休みも活動するんだよ」

 春に我が「卒業までに彼女作る部」を作ったとき、こんなことになるとは思ってもみなかった。

 去年までの僕からは想像出来ないけど、僕は、夏休みも学校に行くタイプの高校生になっている。


いじめられて、無理矢理学校に行かされるわけじゃないよね」

 野々が、そんな心配をした。

「もちろん。自分の意思で行くんだよ」

 幼女にパシリに行かされたり、膝の上に乗られて色々命令されたりするし、同級生がわざと僕の腕に胸をくっつけて、戸惑う僕の様子を面白がったりするけど、それは別に虐めじゃないと思う。


「それじゃあ行っておいで。受験勉強に忙しい妹を置いて、さっさと部活とやらに行くといいさ。日射病に気をつけるんだよ」

 野々がそんなふうに言った。

 中三の野々は、この夏は大人しくしてないといけないからつまんない、とかこぼしている。


「んっ」

 一口あげる、って感じで、野々がガリガリ君梨味を差し出してくるから、一口かじった。


 やっぱり、ガリガリ君梨味は、最強のガリガリ君だと思う(異論は認める)。



「行ってきます」

 玄関のドアを開けると、大きなドライヤーの前に立ったような熱風が、全身に吹き付けてきた。

「いってらっしゃい」

 結局、野々は僕を笑顔で送り出してくれる。




 太陽に焼かれながら、灼熱しゃくねつのアスファルトの上を歩いた。


 学校に着くと、グラウンドには野球部の姿もサッカー部の姿もなくて、閑散かんさんとしている。

 体育館を使うバスケ部やバレー部も、この暑さで活動をひかえてるらしい。

 校舎から、ブラスバンド部の楽器の音や、合唱部のコーラス、軽音部のギターやドラムの音が聞こえるけど、どれも弱々しかった。

 みんな、相当バテてるみたいだ。



 校舎裏に回って、林を抜けて部室に行くと、庭のビニールプールに、千木良とスイカがぷかぷか浮かんでいた。

 ビーチパラソルの日陰の下で、浮き輪の中に入った千木良が涼んでいる。

 千木良は、この前買ったミントグリーンに白い水玉の水着を着ていた。


「なにしてるんだ?」

 僕は膝を折って視線を合わせて、このお嬢様に聞く。

「暑いから、部活の前に涼もうと思って」

 千木良が答える。

 ここが林の中で、外からは見えないからって、気楽な奴だ。


「さっきまで、他の女子達もここで一緒に水のかけっことかしてたんだけど、水でびしょびしょになって、シャツがスケスケで下着が丸見えだし、パンツまで濡れちゃったとか言って、みんな、中で着替えてるわ」

 千木良が言う。


「さっきってそれは、どれくらい前のことだ?」

 僕は、千木良の両腕を掴んで訊いた。

「そうね、五分くらい前かな」

 千木良が、そんな残酷なことを言う。


 あと、五分、あと五分早く来てれば、僕は、そんな幸せな光景を目の当たりにしていたのか……


 あのとき玄関でもし、野々に呼び止められなければ、僕は、びしょびしょの女子達を見ることができたのかもしれない。

 スケスケの女子達を目に焼き付けていたのかもしれない。


 僕は、血の涙を流した。



 部室に入ると、Tシャツにショートパンツ姿の綾駒さんと朝比奈さん、そして、黒いタンクトップにショートパンツの柏原さんがいる。


「ちょっと今、下着が濡れちゃってて、裏庭に干して乾かしてるから、私達ノーブラだけど、あんまり見ちゃダメだよ」

 綾駒さんが言った。


 僕はそれを聞いて考え込んでしまう。


 見ちゃダメだよ。


 たった今、綾駒さんは僕に「見ちゃダメだよ」って言った。

 しかし、この場合、「見ちゃダメだよ」の「見ちゃダメ」は、本当に「見ちゃダメ」なんだろうか?


 僕は考える。


 当然、この「見ちゃダメだよ」って言葉は、その言葉通り受け取ると、ノーブラだから、Tシャツの胸をあんまり見ないでねっていう意味だ。


 だけど、もう一つの可能性として、これが「振り」であるってことも考えられなくもない。

 振りの場合、見るなは見ろってことだ。

 僕がここで本当に見なかった場合、僕は、ノリが悪い奴って思われて、女子達に呆れられるかもしれない。

 僕は、そんなに見たくはないんだけど、見ておかないと、失礼になる場合がある。


 この場合、どっちなんだろう?




「はい、みんなおはよう」

 僕が見ちゃダメについて真剣に考察してたら、林を抜けて、うらら子先生が部室に来た。


 ノースリーブの白いシャツに、ストライプのタイトスカートっていう服装の先生は、涼しげでありながらカッコいい。

 このシャツとスカートの下にこの前見た紫色の下着が……

 とか、考えたらダメだ!



「これ、職員室のほうに届いてたよ。たぶん、例の奴でしょ?」

 うらら子先生が、抱えていた段ボール箱を指して言った。


「届いたんですね!」

 柏原さんがその箱に飛びつく。


 先生が持ってきたのは、注文していた「リチウム空気電池」だ。


 実用化されたばかりで、一セット30万円もした電池を、僕達は「彼女」に採用することにして、メーカーに注文していた。

 地道に「ミナモトアイ」の動画配信で稼いだお金を、贅沢ぜいたくにつぎ込んだのだ。


 空気中の酸素と化学反応して電気を起こすリチウム空気電池は、今主流のリチウムイオン電池と比べて、10倍のエネルギー密度があるらしい(僕も、仕組みはよく分からないけど)。


「簡単に言うと、これがあれば、『彼女』が一日中走り続けたとしても、電池切れにはならないってことだ」

 柏原さんが説明してくれた。


「もうこれで、『彼女』は電源コードを引きずることなしに動けるぞ」

 柏原さんが興奮気味に言った。


「まだ、頭がないけどね」

 千木良が茶々を入れる。


 その頭の中身に、また、たくんさんのお金が掛かりそうなんだけど、それも地道に稼いでいくしかないんだろう。



「はい、でも、電池の取り付けはあとでね。まず、みんなに報告があります」

 うらら子先生が、僕達を居間に集めた。



「みんなのスケジュールと行き先の調整が済んで、合宿先が決まりました」

 僕達を見渡す先生。


「私達は、海辺の民宿で、一週間、合宿をします!」


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