第53話 酷暑の天使

「ほら! あんた達、出て行きなさいよ! 暑苦しいわね!」

 千木良が、僕達を部屋から追い出そうとした。


「もう、出ていってってば」

 千木良が言うけれど、誰一人としてそれに従わない。


 コンピューターや精密機器を守るため、部室の千木良の部屋には、エアコンがガンガンにかかって冷えていた。

 ここだけ、涼しくて乾いた空気で満たされている。

 だから、僕達「卒業までに彼女作る部」の部員は、全員が千木良の部屋にいた。

 機器で埋め尽くされた部屋で、わずかなスペースに、みんなで寄り添って暑さをしのいでいる。


 ふすまを開けて一歩部屋の外へ踏み出せば、そこは灼熱しゃくねつの世界だ。

 この部室は林の中にあって、校舎や校庭より涼しいのに、それでもうだるような暑さだった。

 日が当たる中庭は陽炎かげろうのように風景が揺らめいてるし、林の木々も、心なしか元気がない。


 エアコンが効いたこの部屋からは、一歩だって出たくなかった。


「もう、ホントに、暑いってば!」

 千木良が口をとがらせる。


 千木良は僕の膝の上にいて、左隣には綾駒さん(当然のように僕の腕に胸を当てている)、右隣には朝比奈さん。

 そして、正面に柏原さんがいる。


 狭い場所に五人で固まっていて、女子達の良い香りで酔いそうだ。

 みんな、ほんのり汗ばんでいて、ほっぺたが少し赤いし。



「ねえ、あんた台所の冷蔵庫から、私のカルピス持ってきなさい」

 千木良が僕を見上げて命令した。


「おお、西脇。外に出るなら、ついでに僕のコーラも頼む」

 柏原さんが言う。


「西脇君、私のお茶もお願い」

 綾駒さんも便乗びんじょうした。


「西脇君、もし良かったら、私のドデカミンも持ってきてくれたら、嬉しいんだけど」

 朝比奈さんまで僕に頼んだ(朝比奈さんの飲み物のチョイス……)。



 女子達にせがまれて、仕方なく、僕は襖を開ける。


 一歩、外へ踏み出そうとして、

「無理です!」

 僕はすぐにピシャリと襖を閉めた。


 かたまりのような熱気が隣の八畳間に詰まっていて、そこにいるだけで溶けそうだ。


「なによ、私を干からびさせる気?」

 千木良が文句を言う。

「なら、自分で行けばいい」

 僕は千木良に言って、その脇腹をくすぐっておいた。

 千木良が、くすぐったいって暴れる。


「もう! 暑いから二人でじゃれ合わないの!」

 綾駒さんに怒られた。



「そうだ!」

 突然、柏原さんが何か思い付いて、一瞬だけ、八畳間に出る。


 その八畳間には、汐留み冬さんの人形と、その横に、僕達の「彼女」が並んで椅子いすに座っている。


 この前、腕を動かすところまで完成した僕達の「彼女」は、首と頭以外の体の部位全部に、筋肉であるアクチュエーターをつける所まで完成していた。

 まだ、高価なバッテリーを手に入れてないから電源コード付きだけど、そのコードが届く範囲なら、動けるようになっている。

 頭がなくて、その位置には仮のカメラが載せてあるだけの首なしだし、外装もないから、オレンジ色のアクチュエーターとチタンやカーボンの骨がむき出しだった。


「『彼女』の電源入れてきた。『彼女』に台所まで飲み物取ってこさせよう」

 柏原さんが言う。


 さっそく、千木良がキーボードを操作して、「彼女」を動かした。

 「彼女」のカメラからの映像が、千木良のノートパソコンの画面に映る。


「こんなことに『彼女』を使うなんて……」

 僕は抗議した。

「しょうがないだろう。それとも西脇、もう一回行くか?」

 柏原さんが訊くから、僕はぶんぶん首を振る。


 椅子から立ち上がった「彼女」は、八畳間から居間を抜けて、台所に向かった。

 油が満たされたチューブの筋肉で動く「彼女」は、モーター音もしないし、金属音もないし、本当に人がいるような気配しか残さない。


「畳の段差も、台所と土間の大きな段差も乗り越えられて完璧だね」

 朝比奈さんが言った。

 千木良のノートパソコンの画面には、FPSのゲームみたいに、部室が映し出されている。

 その映像を見る限り「彼女」は大小の段差をスムースに越えていった。


「この部室の三次元データは持ってるから、行き先を指定するだけで、特に操作することもなく、自分で歩いてるわ」

 千木良が言う。

 まだ、「彼女」には頭がないから、この処理をしてるのは、千木良のパソコンらしい。


 やがて冷蔵庫の前に立った「彼女」は、器用にドアを開けて、中から飲み物を取り出した。

 飲み物の種類や銘柄めいがらまで、ちゃんと認識している。

 みんなの分、手だけでは持てないって判断した「彼女」は、ちゃんと台所にあったかごにそれを入れた。


 千木良が育てている仮のAIは、かなり優秀だ。



「ありがとうな!」

 柏原さんが「彼女」から籠を受け取って、すぐに襖を閉めた。

 「彼女」はそのまま元いた椅子に座って、千木良が遠隔えんかくで電源を落とす。


 ホントに、こんなことに「彼女」を使っていいんだろうか?





「みんな、生きてる?」

 僕達がそんなふうに狭い部屋の中ですごしてたら、玄関の方から、うらら子先生の声が聞こえた。


 なんだろう?


 冷たい飲み物で一息ついた僕達は、勇気を振り絞って襖を開けて、玄関まで出た。


 そこで僕達が見たのは、うらら子先生と、大きな段ボール箱、そして、30代くらいの、Tシャツに作業ズボンの男性だ。


「第二応接室に設置される予定だったクーラー一台をぶんどって来たよ。これを今から、居間に設置してもらうから」

 先生が言った。


「ぶんどって来たんですか?」

「ええ、生徒と会議、どっちが大事だって校長に詰め寄って、勝ち取ったよ」

 うらら子先生が得意顔で言う。


 先生が天使に見えた。


「先生! ありがとう!」

 女子達がみんなで先生に抱きつく。

 いつも先生に反抗してる千木良さえ、先生に抱きついた。

 僕も、どさくさに紛れて、女子達の後ろから抱きついておく。


 クーラーがつくって聞いただけで、体感温度が五度くらい下がった気がした。




 手際てぎわがいい作業員さんのおかげで、二時間ちょっとで部室の居間にクーラーが設置される。


「涼しいねえ」

「文明の風だね」

「ちょっと千木良ちゃん、17度は下げすぎ」

 クーラーから流れる風を浴びて、みんなで涼む。

 女子達、目をつぶって顔に風を受けて、本当に気持ちよさそうにしていた。



「はい、じゃあ、みんな。夏バテしないように、少しお昼寝しましょう」

 うらら子先生がそう言って居間に布団を敷き始める。


「先生、昼寝ってまさか……」

「そう、ここで雑魚寝ざこねだよ」

 先生がウインクした。


「熱中症で倒れられたら困るからね。こういうときはちょっと昼寝するだけで、だいぶ違うんだよ」

 先生が言う。


 雑魚寝、いい響きだ。


「あの、僕は……」

 こういう場合も、僕は定位置に隔離かくりされるんだろうか。

 着替えとか身体測定の時みたいに、僕の定位置である、あの縁側に。


「もちろん、居間で一緒に寝ていいよ。私だって鬼じゃないんだから、この暑い中に西脇君を一人縁側に出したりしないよ」

 うらら子先生が言った。


 僕はその瞬間、この暑さに初めて感謝した。

 ありがとう、そして、ありがとう。

 猛暑のおかげで、僕は女子達と雑魚寝出来るのだ!


「そうだよ、西脇君、一緒に寝よ」


 嗚呼ああ


 朝比奈さんの言葉に、僕は一瞬、立ちくらみを覚える。

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