第45話 彼氏さん

 やっぱり、来るべきじゃなかったのかもしれない。


 デパートの女性水着売り場には、女子とカップルしかいなかった。

 僕みたいな、彼女がいない男なんて、完全に場違いな場所だった。


 椰子やしの木や、砂浜のディスプレイで派手に飾られた、女性水着売り場。


 店員さんや他のお客さんから、こいつ何しにきたんだ? みたいな目で見られているような気がしてならない。

 痴漢ちかんに間違えられたらどうしようとか、僕はそんなことばかり考えていた。


 カラフルな水着が並ぶ売り場で、キラキラ目を輝かせている女子部員とうらら子先生の中で、僕は静かに、息を殺すようにしている。


 人生で初めて迷い込んだ、この女性水着売り場という空間に、僕は圧倒されていた。




「それじゃあ、僕はこれに決めたぞ」

 売り場に着いて五分もしないうちに、目ぼしい水着を見付けた柏原さんが、その水着を持って試着室の方に歩いていく。

 迷いなく、これ、って直感的に決めてしまうのが、柏原さんらしかった。


 反対に、綾駒さんと朝比奈さんは、どれにしようか、ずっと迷っている。

 これもいい、あれもいいって、売り場を行き来する二人が可愛かった。


 彼女ができて、買い物に付き合うときはこんな感覚なんだろうなって、僕は仮想体験する。

 二人は、こっちもかわいいし、こっちもかわいい、とか言ってるけど、僕からしてみれば、二人の方が可愛かった。

 おまかわだった。


 一方で千木良は、千木良にはセクシーすぎるビキニ売り場でずっと悩んでいる。

「千木良、千木良はこっちだ」

 僕は、フリフリが付いた幼児用のカワイイ水着のコーナーに千木良を抱っこして連れて行った。


 うらら子先生が、貝殻かいがらみたいな水着をじっと見詰めてるけど、それは無視スルーしよう。




「彼氏さん、彼女が呼んでますよ」

 女子達の様子を見てたら、突然、女性店員さんに声をかけられた。

 見ると、向こうの試着室で、柏原さんが僕に手招きしている。

「はっ、はい」

 僕は、顔を真っ赤にしながら店員さんに答えて、試着室の方へ向かった。


 店員さん、僕が柏原さんの彼氏なわけないじゃないか。

 柏原さんに失礼だし、ひどい勘違いだ。



「どうだ西脇、似合うか?」

 柏原さんが僕に訊く。

 試着室の中で、腰に手をやって仁王立ちしている柏原さん。


 柏原さんが選んだのは、白いビキニのトップに、ネイビーのショートパンツだった。

 柏原さんの褐色かっしょくの肌に、白いビキニが目に痛いくらいまぶしい。

 おへそが丸見えだから、中々直視できなかった。

 柏原さんのお腹の辺りは、きたえられて筋肉が割れていて、シックスパックが浮き出ている。


 この白いビキニは、活動的な柏原さんにぴったりの水着だった。


「うん。柏原さんにすごく似合うと思う」

 僕は、馬鹿みたいに思ったことを口にする。

 本当は、もっと気が利いたことを言ってあげたいんだけど、言葉が出てこなかった。


「そうか、西脇がそう言うなら、これにするよ」

 柏原さんはそう言うと、試着室のカーテンをシャーって急いで閉める。



「ちょっとあんた。こっちに来なさい」

 すると、いつの間にか隣の試着室に入っていた千木良が僕を呼んだ。


 試着室の中に、黄色いビキニを身につけた千木良が立っている。


「どう? この私のボディは?」

 千木良が一回転した。


「千木良、とりあえず、ビキニはやめようか」

 言えない。

 どっちが正面でどっちが背中か分からないとか、言えない。


「いや、千木良はもう少し、抑えめな方がいいんじゃないか」

 僕はアドバイスした。

 一部マニアには、絶大な支持を得るんだろうけど。


 千木良は、「なによ、もう」とか文句を言いながら、カーテンを閉めた。



「西脇くーん、どう?」

 今度は、売り場の反対側の試着室から、うらら子先生が手を振る。

 店中の人に見られながら、僕はそっちに走った。


「いえ先生、それって、どう見てもひもでしかないんですが……」

 試着室の中で、はすに構える先生。

 目をゴシゴシこすってみても、先生が二本の紐を体に巻いているようにしか見えない。

 いわゆる、マイクロビキニってやつだ。


即刻そっこく、他の水着にしてください!」

 僕は頼んだ。

 このままでは死者が出る(その第一号は僕だ)。


「そう? いつもコスプレで露出度が高い衣装ばっかり着ているから、私、ちょっとだけ麻痺まひしてるのかな?」

 うらら子先生が言う。


 いえ、ちょっとどころではありません。

 だいぶ、麻痺しています。

 「ちょっと」の概念がいねんが変わってます!



「西脇くん、こっちはどう?」

 今度は、別の試着室で綾駒さんが呼んだ。


 おうふ……


 綾駒さんは、上品なピンクのワンピースの水着を着ていた。

 特別、凝ったデザインではない、普通のワンピースだ。

 これだけ立派なものを胸に二つ持っていながら、あえて普通のワンピースを選ぶ、綾駒さんの悪戯いたずらなセンス。

 僕は、二次元だけに許された想像の産物である乳袋ちちぶくろが、本当にこの世に存在するって確認した。


「それでいいと思う。すごく、似合ってる」

 この破壊力を前にして、僕はやっぱり普通のことしか言えない。


「ホント? それじゃあ、これに決めるね」

 綾駒さんのクラスの男子達よ、この水着を勧めた僕に対して、感謝するがいい。


 そんなふうに綾駒さんと話してたら、

「ねえ、それじゃあ、こっちはどう?」

 千木良が、また僕を呼ぶ。


「だから千木良! ビキニはやめなさい!」

 五分ぶり二度目。


 それも、千木良はなにを血迷ったのか、黒のビキニを身につけている。


「どうして? 男なんて、肌の露出が多い方がいいんでしょ?」

 千木良が言った。


「いや、その辺は中々複雑なんだ。全部見えてればいいってものじゃない。隠れているほうが、想像をかき立てる部分もあるんだよ」

 僕は、幼女相手になんの説明をしてるんだろう?


「解ったわ。別のにする」

 千木良が不満そうに言ってカーテンを閉める。



「彼氏さん、あちらでも、彼女が呼んでますが……」

 なんか、店員さんが、こめかみの血管をピキピキさせながら僕を呼んだ。


 試着室のカーテンから顔だけ出して僕を呼んでるのは、朝比奈さんだ。

 朝比奈さんの頬は、ピンク色に染まっている。


 僕は、飛んで朝比奈さんの試着室に向かった。



「恥ずかしいから、あんまり見ちゃダメだよ」

 カーテンから顔だけ出した朝比奈さんが前置きする。


 恥ずかしいから、あんまり見ちゃダメだよ。


 恥ずかしいから、あんまり見ちゃダメだよ。


 恥ずかしいから、あんまり見ちゃダメだよ。



 僕は、心の中で何度もそのセリフを反芻はんすうする。


 なんて、夢があるセリフなんだ……


 「恥ずかしい」と、「見ちゃダメ」の間に、「あんまり」が入ることで、前後の言葉を無限の可能性があるセリフに昇華しょうかさせている。



「生まれて初めて、ビキニに挑戦してみたんだけど……」

 朝比奈さんが言った。

「挑戦、いいと思います」

 僕は食い気味に言う。

「人類っていうのは、そうやって挑戦してきたからこそ、ここまで進化したんだと、僕は思う」

 僕が力説すると、朝比奈さんが笑った。


「どうかな?」

 朝比奈さんが、ゆっくりとカーテンを引いて試着室から出てくる。


 朝比奈さんは、胸元にリボンがある、花柄のビキニを着ていた。

 まだ恥ずかしいらしくて、おへそを隠すみたいに手でお腹を押さえている。


「変じゃない?」

 朝比奈さんが、恐る恐る、手をお腹から外した。

 形のいい胸に、引っ込んだお腹。

 健康的な太股に繋がる、大きなお尻。

 水着の花柄が、朝比奈さんの白い肌をいろどっていた。

 胸元で結んだリボンが華やかで可愛い。


「もう、そんなに見ないで!」

 マズい、僕はいつの間にか、魅入みいられたみたいにガン見していた。


「ちょっと、派手じゃない?」

 朝比奈さんが訊いた。

「ううん。朝比奈さんの華やかさが勝ってるから、全然派手に見えない」

 僕が言うと、朝比奈さん、びっくりしたみたいに目を見開く。


 僕、なに恥ずかしいこと平気で言ってるんだ……


「それじゃあ、これにするね」

 朝比奈さんはそう言うと、逃げるように試着室のカーテンの後ろに隠れた。

 僕は目を瞑って、たった今目の前で繰り広げられた光景を再生する。


 今までの十七年間で、僕の網膜もうまくに映った、最高の景色だったと思う。



 そのあと結局、うらら子先生はホルターネックの黒いセクシーな水着を選んだ。

 千木良も、お姉さん達から選んでもらった、ミントグリーンに白い水玉のワンピースに落ち着く。


 こうして僕は、ヘトヘトになりながら、女子達の買い物のお供を終えた。


 ってゆうか、水着売り場にいるカップルの男の方とか店員さんが、僕のこと、親のかたきみたいな目で見てるけど、やっぱり彼女がいない男は、こんな所に来ちゃいけないんだろうか?

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