第2話 甘くて痛い
「ケーキあるんだけど、食べる?」
冷蔵庫に入ってるケーキの存在を思い出した。
「ええ、いただきます」
頷く眞に冷蔵庫の扉を開け、母親が焼いたクリスマスケーキを取り出す。
ケトルに水を入れて火にかけ、俺は久方ぶりに会う親友に話し掛けた。
「今日さ、父さんも母さんもいないんだ、明美もどっかいっちゃったよ」
俺はそうしゃべりながら、切り分けたケーキをそれぞれ皿に盛りつけた。
眞のいるテーブルに運ぶ。
「おばさんの焼いたケーキでしょう? 嬉しいな、久しぶりだ」
ケーキにフォークをいれ、口に運ぶ眞の動かす口元に、よく知った笑みが浮かんだ。
あの翳りは、もうどこにもない。
「ん、おいしい、今日来てよかった」
「おまえ甘いの好きだもんな」
眞は黙々とフォークを口元に運んでいく。
ダイニングからケトルが口から湯気を噴いて、けたたましく鳴き出した。
慌てて席を立った俺は、ケトルを掴んでティーポットに湯を注ぎ入れようとした。
「あちっ!」
加減を誤って熱湯が指にかかってしまった。
指先が随分と派手に赤くなっている。
口を半分にあけて、俺はまじまじとそれを見つめた。
火傷をした事など久しくなかったから、すごくびっくりした。
「冷やさないと」
いつのまに後ろに立っていたのか。
眞は火傷を負った俺の手のひらを掴むと、水道の蛇口をひねった。
勢いよく蛇口から吐き出される冷水を、眞は俺の手を握ったままかけた。
ぴりぴりと痛む指先かかる冷水は、今度はずんと重い痛みを俺に与えて排水溝に吸い込まれて行く。
「も、もういいよ」
顔をしかめて俺は手を引っ込めようとしたが、掴まれている手はびくともしない。
「大丈夫だったら」
「もう少し」
同じように冷えてゆく眞の指先。
痛くはないのだろうかと見上げて、俺は彼の眉根が僅かに寄せられているのを見た。
神経の集まる敏感な指先は冷水に晒され、思考を奪うほどの猛烈な痛みを訴えてくる。
「い、いいいいいい、痛ぇ!」
足を踏み鳴らし、空いてる手で眞の胸を叩いて俺は声を張り上げて猛烈に抗議した。
「もういい、もういいってば!」
やっと取り戻した俺の指は、見るも無残に真っ白になって血の気の欠片もない。
「駄目ですよ由紀さん。火傷した時はしっかり冷やさなと」
「ば、ばか。こっちの方がものすげえ痛ぇよ」
「大丈夫、もう少しあててれば、感覚がなくなりますから」
しれっとそんな事を言う眞を睨んで俺は、そんなにやらなくてもいい!と口を尖らせた。
* *
生憎、薬箱には火傷につける薬の類は入っていなかった。
下手に絆創膏を貼るのもどうかと思ったし、火傷の指はそのままにした。
「平気だって大丈夫だよ」
眞は溜め息を一つ大仰についてみせ、薬箱の蓋を閉めた。
「お茶は僕が入れるから、由紀さんは座ってて下さい」
「え? そお? サンキュー」
どっちがお客さんかわからなくなっちゃったな、俺はそう言うとソファーの背もたれによりかかり、キッチンにいる眞の手許を眺める。
「紅茶、どこにあったっけ…」
眞はそう呟く。
このキッチンに眞が入るのは何年もなく、最後の記憶にある眞の姿と今の眞を比べて見る。
俺より年下のくせに、その体型はがっしりとしてもう大人の男の雰囲気があった。
なぜだか面白くないと感じるのこの感情はなんだろう。
俺の体型はどっちかっていうと、細い。
走っているから、あんまり体重はつけたくない。
そういえばあいつ、柔道習ってたっけ。
筋肉の付き方だって違うんだろうな、そう思い直して俺は眞の呟きに応える。
「そこ、頭の上の戸棚の中」
「ここ? 場所をかえたんですね」
眞は戸棚を開くとティーバックの入っている瓶を取り出した。
入れ物は一緒だ、と安堵した響きを含ませて呟く眞に、中身も一緒だよと笑いながら返す。
沸かし直したケトルは再び鳴き出し、今度はすぐに火を止められ黙りこんだ。
先ほど俺の出してきたカップにティーバックを入れて湯を注ぐと、あたりにふわりと紅茶の香りが漂う。
カップを運んで俺の待つテーブルの上へ置き、向かいのソファに腰を下ろす。
「ありがと」
一口含んでカップをテーブルの上に置く。
視線を上げると眞の眼差しにぶつかった。
なぜか思わず視線をそらせてしまった。
「本当、久しぶりだよな」
取り繕う俺に気がつかないふりをして、眞は会話を続ける。
「そうですね…、高校も違うし。由紀さんの方はどうなんですか、最近の事よければ教えてくれませんか」
「最近の事?」
そうだなあ、と俺は少し考えて、乞われるままに思いついた事を話し始めた。
学校での出来事、クラブ活動や、最近の人間関係……。
眞は俺の話に静かに耳を傾けて聞き役に徹していた。
何回かそれとなく水を向けてみたけど、あいつはぽつぽつといくらか話す位で、いつの間にか喋りたてているのは俺の方。
なんていうのかな……妙に落ちつかない。
ちらりと上目遣いに盗み見た眞の表情は、知ってる穏やかさを保っている。
せわしなく話題を変え喋りつづけた俺は、とうとう話すことが何もなくなってしまった。
「ふうっ」
大きく息を吐いてソファに沈み込む。
軽い疲労感を覚えた。
眞が来てくれて確かに嬉しい、嬉しいけど……こんなに気を使う相手だったっけ?
息を吐きながら俺は天井を仰ぎ見た。
「なあ、なんか音楽かける?」
なんとかこれで間がもてばいいけど。
父さんの自慢のオーディオを指さして席を立ち、自室に行って箱に入れたCDを持ってきて眞に見せた。
見せられたCDの中の一枚に眞は目を止めている。
「……?」
眞が引っ張り出したケースは、いくつかの傷が付きひび割れていて、その割れたケースの向こうに、遠くを見つめるような女性の横顔が印刷されている。
「これ……」
「え?」
「うれしいな、まだ持っててくれたんですね」
ケースの蓋を開けて中からCDを取り出して眞は言う。
「あ……」
思い出した。
遠い日のクリスマス、交換したプレゼント。
俺は眞にマフラーと両手一杯のバルクのディスク(眞がそれがいいと言ったからだ)を、眞は俺にサッカーシューズとこのCDをそれぞれとりかえた。
俺としては、CDよりもサッカーシューズの方が魅力的だった。
俺は毎日シューズを履き続け、履き潰されたシューズは、とっくに母さんが処分してしまって既に手許には無い。
残ったCDは当時流行りの女性歌手のもので、お義理に一回聞いただけで、そのまましまい込んでいた。
「そ、そうだったよな、これおまえからもらったんだよな」
忘れていたとも言えずに、誤魔化しの笑いを口元に貼りつかせ、俺は空々しく頭を掻いた。
「この曲……好きだったんです、由紀さんにも聞いてほしくて」
懐かしそうに目を細めて、眞はディスクを眺めている。
「これかけてもらえますか」
渡されたCDを受けとって、俺は父さんのオーディオの電源を入れる。
プレイボタンを押すと、程なく流れてくるのは、どこにでもあるような他愛もないラブソング。
それを聞いて俺は当時の記憶が克明によみがえってくる。
プレゼントの箱の中、シューズと一緒に入っていたこのCDを見たとき、正直意外に思ったんだ。
芸能界には興味がなくて、と事あるごとに言っていた眞のくれたこのCDは、当時爆発的に人気のあったアイドル歌手のものだった。
これのどこに眞が惹かれたのだろうかと俺は思ったけど、それを眞に尋ねる事はついになかった。
「今日は特に連絡もしていなかったし、居ないかもしれないって思っていたんですけど」
居てよかった、笑って眞は言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます