10話 月の螺旋

 話が付く頃には辺りは暗くなり始めていた。

 客人を送り出し、ふとケイトは思い出す。

 しばらくの間、顔を見せないシュウは何をやっているのかと。

 玄関から踵を返し、シュウの籠っている奥の部屋へと向かう。


 奥の部屋が見えたのと同時に、その扉が開き頭髪を手櫛で整えながら出てくるシュウ。

 それを見てケイトは言葉を失う。

 なぜなら、彼女が、シュウが手櫛で整えていた頭髪は、かつての美しい長髪のシルバーブロンドではなく、肩に付かないように切られていて、短くまとめられていたからだ。

 女の命とも言える髪を、あんなにも美しかった髪を、切ったことに驚いて固まっているケイトにシュウが話しかける。


「どうしたケイト? ああ、この髪か、思いの外邪魔だったからな」


 毛先を弄るシュウに、ケイトは独り言のように呟く。


「せっかく可愛いロングヘアーだったのに勿体ない……」

「ん? なんだ?」

「いえ! 長い髪も可愛かったですけど、短いのも可愛いなーと思いまして……子供だから仕方ないですか」

「おお、そうか! 分かるか! オレなりにしっかりと拘って散髪してみたんだ、特にこの……」


 ぽつりと呟いたケイトの言葉はシュウには届かない。

 嬉々として自分の髪型について語るシュウに、ケイトは愛想笑いを返すしかなかった。


「……ああ、そうだ、先ほど誰か来ていたみたいだったが、何かあったのか?」

「旅に出る前に、済ませておかなければいけないことがあったのですが、丁度用事があった人が来てくださったのでその話を」


 「そうか」と、聞いておいて素っ気ない態度のシュウ。

 あまり興味の無い話題だったのだろうか。

 シュウは客人についてそれ以上触れず、話を進める。


「旅立ちはいつだ?」

「そうですね……明日の早朝に出発しましょうか。ルチオンは直接向かうには遠すぎるので、一度森精種エルフの国シュプレムに寄ることになりますけど」


 森精種エルフという単語にピクリとシュウが反応する。

 目に見えてテンションが上がったシュウ、恥ずかしいのかテンションを必死に抑えているのが伺えるが、尻尾の動きと目の輝きが隠せていない。


「そうかそうか、遠すぎるのならば仕方ないな、本当はいち早くケイトの義手を手に入れてやりたいんだが、それは仕方ない」

「あはは、少しだけ観光しますか」

「少しだけだからな、いいか少しだけだぞ」

「はいはい」

「オレは荷物の確認をしてくる、ケイトも忘れ物が無いように確認しておくんだな」


 旅立ちが待ちきれないのか、荷物のある部屋へ駆けていくシュウ。

 ケイトはそれを微笑ましく見送る。


「大人ぶってはいますが、まだまだシュウも子供ですね……忘れ物ですか」


 ケイトは念の為に自分の部屋に入り、辺りを見回す。

 忘れ物は無いと思うんですけどね……。

 クローゼットやベットの下、部屋の隅々まで調べてみる。


確認を終えたケイトは、自分の部屋をじっくりと眺め瞼に焼き付ける。

 しばらくこの部屋にも、この家にも戻ることはない。

 思い出の家だ、帰る場所を忘れないようにしっかりと覚えておく為に。


「……まあ、入念に準備はやりましたし、確認も何度もやったので無いと思いますが……あっ、そろそろ夕飯の準備をしないと」


 早々に探索を切り上げ、リビングへ向かう。

 リビングにたどり着いて自分には両腕が無いことを思い出す。

 つまりは料理ができないことを。

 これではシュウの夕飯が準備できない。

 だがその心配は、食卓の上の光景を目にして彼方へと消える。

 食卓の上に並ぶのは、昨日ケイト自身がシュウへと提供したものと同じ料理の数々。

 奥に目をやると、調理場でシルバーブロンドの少女、シュウが楽し気に料理を作っていた。

 意外な事にシュウは料理ができるらしい。


「これは……」

「腹が減ったのだが、今はケイトが料理を作れないからな、アイに手伝って貰って作ってみた」


 得意げなシュウは、作り終えた最後の料理を食卓に置いて椅子に座る。

 それを見て、ケイトも対面の椅子に腰かける。

 目の前に並ぶとても美味しそうな見た目をした料理。

 二人は同時に目の前の食事を口に運ぶ。


「…………」

「…………」


 暫しの静寂と、身動き一つしない二人の様子は、まるで時間が止まったようにも見える。

 しかし実際は時間が止まったわけではなく、その口にした料理の不味さに、二人の動きが固まっていただけに過ぎない。

 とても食べられた物ではない、と取り立てて言うほどではないが、料理の見た目は昨日と全く同じなのに、味がまるで違う。

 塩と砂糖を間違えた、などという次元の問題ではなく、味そのものが違った。

 オムレツが芋味だったり、スープが甘かったり。

 シュウが首を傾げてぽつりと呟く。


「おかしいな、昨日の見た目通りのはずだが」

「見た目だけは完璧ですけどね、素材も調味料も全然違いますよ」


 滅茶苦茶な料理に苦笑いするケイト。

 そして、再び食事を始めたシュウに提案する。


「今度機会があったら、料理教えましょうか?」


 目をぱちくりさせて、料理を頬張りながらケイトを見つめるシュウ。

 何をそんなに驚いているのか分からないけれど、食べていた料理を急いで飲み込み、目を輝かせて喜んでいるシュウを見ると、やはり、旅に連れて行くのは間違えていると再認識させられる。







 シュウは、料理を食べ終えて空になった皿を流しに運ぶ。

 あの料理は捨てるのも勿体ない、と二人の意見が一致したので全て平らげた。

 意外にも、目を瞑って食べてみるとなかなかどうして、これはこれでありかもと思えるくらいではあったのだ。

 それでも言うまでもなく、やはりケイトの料理を食べるのが一番だが。

 全ての皿を運び終えると、ケイトが前触れもなく話しかけてくる。


「シュウ、少し外で話しませんか」





 外に出ると、既に辺りは闇に飲まれていた。

 薄っすらと見える木々は、より一層闇を深める。

 ケイトは玄関前の階段に腰を下ろして、「隣に座ってください」とジェスチャーで伝える。

 家の明かりが二人の背中を照らす。


「話とはなんだ?」


 まず切り出したのはシュウだ。

 無垢な表情にケイトは一瞬躊躇って、それでも言わなければ、とシュウの方を向き直す。


「シュウもエスペランサのみんなと一緒に、アルカに移住しませんか?」

「……つまり、オレに旅に付いてくるなと言いたいのか?」

「はい、考えたんですけどやっぱり、子供を連れて行くわけには……」

「断る――ケイト、お前はなんの為にルチオンに行くんだ?」


 シュウはケイトの言葉を最後まで聞かない。

 そして問いを投げかけた。

 この問いに、困惑してケイトは答える。


「なんの為って、義手を作りに……」

「それは過程だ、お前が目指している所はそこか? 違うだろう」


 勿論違う、ケイトが目指すはその後。

 腕を元に戻して、家庭菜園をしたり料理をしたり、子供達と笑って過ごせる日常を取り戻すこと。

 最高の幸せを取り戻すこと、それが今の夢だ。


「同じだ、オレにも目的がある。言っておくがオレは強欲だ、何かを成す時、一つだけでなく二つ狙っている。一度だけ言うぞ、オレと共に旅に出ろ」

「しかし……」

「くどい、これはオレの献身ではなく、オレとケイトの協働だ」


 ケイトの義手が第一の目的であることには変わりない。

 だが、シュウにはそれとは別に魔法と変異魔法ストレンジアーツを学ぶ目的があった。

 つまり、ケイトは旅においての目標は義手を手に入れることで、それにはシュウの手助けが必須である。

 一方シュウの目標は、同じくケイトの義手だがこの世界についての知識がない、故にケイトの手助けが必須である。

 お互いの協力無くしては、この旅は完遂できない。


 キツイ言い方だとシュウは自覚しているが、ケイトはシュウに頼ろうとしない嫌いがある。

 まあ、こんな猫耳幼女の姿では仕方ないのだが。

 年上(実際はオレの方が年上だが)として、年下に頼れない面もあるのだろう。


「…………ごめんなさい、私がしつこかったです」

「分かれば良い」


 シュウの言葉にケイトが折れる。

 やっと分かってくれたケイトを、シュウは笑って許す。


「明日は早い、もうオレは寝るぞ」

「そうですね、私も寝ます」


 家に入ろうと立ち上がり、ふと天を見上げる。

 そこに浮かんだ月は、一部をドリルで貫いたように螺旋で抉られており、輝きが褪せていた。

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