02話 食事
長い長い睡眠から目覚めるように、徐々に意識が覚醒する。
まず認識できたのは、ふわりと香る花の匂い。
耳に入るのは静かな寝息のみ、近くに動物がいるみたいだ。
どうやら、今いる場所は森らしい。
次に、瞼を徐々に開く。
未だ霞む視界に存在するのは二つの山。
次に、体を確認する……の前に気付いたことがあった。
「山、でかいな」
そう、オレが見ていた山は、かつてオレが地球で高校生をやっていた時に見ていた山よりも、一回りも二回りもでかいのだ。
確かに、地球の山と似てはいるが、生気を感じるので似て非なるものらしい。
それならば納得もできる。
……と、いうより、妙に山との距離が近い気が?
手を伸ばせばすぐにでも届きそうだ。
試しに、片方の山へ手を山へ伸ばしてみる。
もにゅん、柔らかく心地よい感触が手のひらを包み込む。
もにゅんもにゅん、もにゅもにゅ。
もにゅんもにゅん、もにゅもにゅ。
程好い柔らかさがとても心地良い。
触ったことのない感触に、夢中になって揉み続ける。
今度は、さっきよりも感触を確かめるように強めに。
「ひゃう」
「ひゃう?」
突如聞こえた声に手が止まる。
そして、意識が完全に覚醒し、状況を完全に把握した。
花のような甘い匂い。
目の前の柔らかい二つの山。
気付かなかったが、頭の下に感じる、柔らかくも弾力に富んだ感触……
膝枕だこれっ!
シュウは慌てて飛びのく。
シュウを膝枕していた彼女は、まだ眠そうに間抜けな声を上げる。
「ふえ?……私としたことが、うたた寝してしまっていたようです……あっ、おはようございます」
「あっ、ああ、おはよう」
つい反射的に挨拶を返してしまったが、挨拶なんて四百年以上していない。
いや、今はそれより……
「すまん、寝ぼけていたとはいえ、その……胸を揉んでしまった、申し訳ない!」
勢いよく頭を下げながら謝るシュウに彼女は言う。
「頭を上げてください、女の子同士ですし、気にすることではないですよ」
「ああ……そうか、ありがとう」
そうだった、オレは今生物学上女なのだ。
頭を上げて、彼女と改めて対面する。
彼女の頭に生えるのは、前側に力なく垂れた白い兎の耳。
夜の闇の如く真っ黒の長い髪に、黄色く輝く瞳は、満月を彷彿とさせる。
にっこりとほほ笑む彼女は、とても神聖なモノに思えた。
ただし、服装はオーバーオールに白シャツと、神聖さの欠片も無いが。
「……ここは?」
シュウは周囲を見回す。
木造の部屋、壁は丸太を重ねた造りになっていて、インテリアだろうか、観葉植物らしき植物が置いてある。
家具は全てウッド調で、彼女が腰かけているベッドと枕元に小さめの本棚、そしてクローゼットがあった。
「ふぅあぁ~……ここは、私の家で、私の部屋ですよぉ~」
背伸びをする兎耳の彼女。
彼女の眠気が覚めてきたのだろうか、先ほどまで垂れていた兎の耳がピンとする。
「オレを助けてくれたのはグゥ~……」
「……」
「……」
質問の途中で盛大にシュウのお腹が鳴り、両者共に無言になる。
やめろ! そんな優しい笑顔で見つめられると恥ずかしくなってくるだろうが!
「……まずはご飯にしましょうか」
リビングに移動し、彼女が料理を作るところを四人掛けの木製の食卓に腰かけて眺める。
リビングもまた、綺麗に整理されており、小さな実のなった植物が、天井から吊るされた籠の中に飾られていた。
小声でアイに話しかけるシュウ。
(アイ、彼女は?)
(【回答】空腹で倒れた主様を見つけ、救助してくださった方です。敵意はないと判断、主様の身を委ねました)
(空腹?)
(【肯定】転生は肉体のみの生成、つまり内容物は空)
(なるほど、買ったばかりの充電式おもちゃと同じってことか)
「それにしても、喋ることのできる魔石が実際にあるなんて、私驚いちゃいました。その指輪、魔石に精霊でも宿っているんですか? それとも魔具の一種ですか?」
彼女は料理をしながら、後ろにいるシュウに話しかける。
どう回答するべきかと、シュウは少し考えて答えた。
「……どちらかというと魔具だな」
「へぇ~そうなんですか、初めて見ましたよ」
彼女は両手に持った大きな皿をシュウの目の前に置く。
皿の上には、バケットにチーズとハムを挟んだサンドイッチが四つ乗っていた。
そして、はっと気付いたように自己紹介を始める。
「そうそう、自己紹介がまだでしたよね。私はケイト、ケイト・ルナ・クレシエンテです」
にっこりと笑う彼女に、こちらも自己紹介を返す。
「オレはヒナタ・シュウだ。で、こっちの喋る魔石がアイ」
「【挨拶】よろしくお願いします」
シュウが左手の薬指にはめたアイを見せると、ケイトは物珍しそうにのぞき込んできた。
シュウは頭を下げ、感謝を示す。
「……オレを助けてくれたそうだな。その上飯まで……あのままだと、オレは確実に野垂れ死んでいたな、深く感謝する」
「いえいえ、早朝に膨大な量の魔力を感じたので、見に行ったら小さな子供が倒れてるじゃないですか。あんな所に子供を放置しておくなんてできませんよ。野垂れ死にどころか、魔獣に食べられちゃいます」
恐らく、膨大な魔力はオレが転生する際に発生したのだろう。
あまり、詮索されても今後生きづらくなるだけなので、その話題は流させて貰いたい。
それにしても、この世界には魔獣がいるのか、余計に助けてもらったことに感謝しなければいけないようだ。
魔獣がどれほど危険かわからんが、気を付ける必要がありそうだな。
そして、こちらの世界についての情報は聞き出したいが、いきなり『異世界から来ました!』と言っても疑われるだけだろうからな、ひとまずは世間知らずの田舎者の設定にするか。
まだこちらの地理には詳しくない。
自分の出身も、村や町と明確にしないほうが良さそうだ
「あ、ああ、田舎から来たものでな、気を付けるよ」
「ということは、アルカに避難ですか?」
避難? なにかあったのだろうか。
「……いや、家出みたいなものだ。こっちの方じゃ何もなかったが、どこかでなにかあったのか?」
「パパとママは何も言わなかったんですか?」
「親父とお袋は死んだよ」
とっさに嘘をつく。
あながち間違いではないかも知れないが。
ケイトはとても悲しそうな顔をする。
「そう……ですか、ごめんなさい……最近は戦争が頻繁に起きていて、巻き込まれることも珍しくないそうです。さらには人さらいまで出てくる始末で……ですから避難だと思ったのですが……」
戦争か、どこの世界でも戦争は起こるものだな。
戦争は起こるべくして起こるらしいが、まあオレには関係ないことだ。
家出に何も言ってこないあたり、珍しくもないのだろうか。
神妙な空気の中、ぐぅ~と、再びシュウのお腹の虫がなる。
「あはは、よっぽどお腹が空いているんですね。いいですよ先に食べててください、もっと料理作りますね」
ケイトは重くなった空気を払拭するように軽く笑って、キッチンに戻る。
コホンと咳払いをして、頬が赤くなったのを誤魔化し、ケイトが作ってくれたサンドイッチに手を伸ばす。
一口食べてシュウはその美味さに驚く。
外は固めで中はふわりと柔らかいパン、レタスのシャキシャキとした水々しい新鮮な触感、チーズの酸味とトマトの甘味。
そもそも、食べ物を口にするのも四百年以上振りだった。
あの例の玉座の間の世界で、シュウは十七歳から一切年を取らなかったし、腹も減らなかったのだから。
それを除いても、ケイトの手料理はとても美味かった。
シュウは夢中でケイトの出す料理を貪り喰う。
次に出されたスープも、固焼きの丸いオムレツも全部。
「いやぁ、喰った喰った」
ケイトに出された料理をたらふく食べたシュウはとても満足していた。
まさか、食事にこれほどの幸福感を覚えるとは……なぜ今まで気付かなかったのだろうか。
あの時、高校生の時は何を食っていたのかと、思い出そうと試みた時――
「ケイトお姉ちゃーん! 遊ぼー!」
玄関方面から元気な大声が聞こえてきた。
可愛らしい女の子の声だ。
「はーい待っててくださーい、今行きますからー」
食器を洗っていたケイトが、ハンドタオルで手を拭いて玄関へ出迎えに行く。
しばらくすると、ガヤガヤと賑やかな団体を連れて戻ってきたケイト。
団体は食事が終わったにも関わらず、未だに食卓から微動だにせず、幸福感に溢れた表情をしているシュウと対面し固まった。
「……誰?」
最初に口を開けたのは、金髪ショートヘアで狐獣人の女の子だった。
どうしたものかと考えあぐねていると、ケイトが間を取り持つように仕切り出す。
「この子はシュウさん、アルカに向かってるところらしいです」
「ヒナタ・シュウだ、よろしく」
シュウが挨拶すると、今度は短髪のいかにもやんちゃそうな、牛の角を生やした男の子がからかってくる。
「ヒナタ・シュウ? 変な名前」
「こら! そんなこと言わないの! ごめんなさいねシュウちゃん」
狐獣人の女の子が叱ると、牛獣人の男の子は、ちぇっ、と言っていじけ始めた。
このグループでは、狐獣人の女の子が一番強いらしい。
「私は皿洗いが残っているので先に庭で遊んでいてください、すぐ行きますから」
ケイトの提案に、子供たちは一目散に庭に駆け出していく。
食事を終えたばかりだったので、食休みをしたかったがシュウだが、狐獣人の女の子に手を引かれて行かざるを得なくなってしまう。
それでも、この体がどこまで身体能力があるのか確認もしたかったので良しとした。
子供たちは全員で五人だった。
狐獣人族でみんなを引っ張っていく、お姉ちゃん的存在のマリネ。
マリネの後ろに隠れる、みんなのアイドル的存在、羊獣人族のリン。
やんちゃなガキ大将、坊主頭の猪獣人族、グアル。
グアルと一緒にはしゃぐ、牛獣人族のハルテ。
他の男二人に振り回されながらも、楽しそうにしている狸獣人族のメディ。
シュウは遊ぶという名目の中、黙々と身体状態を確かめていった。
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