天啓を得てイイですか?
下吹越エリカと、未恋川騎士こと南雲仙太郎は、「餃子の大将軍」店内のテーブルを挟んで対峙していた。
テーブルの上の皿には、まだ餃子が在る。
「じゃあ、聞かせてください。先生のエロラノベ誕生秘話を……」
下吹越エリカはゴクリと唾を飲み込んだ。
ラー油がたっぷり付いた餃子は思いの外辛かった。
「いいだろう。聞かせてやろう、未恋川騎士の出世作、本格王道ファンタジー小説の誕生秘話を……」
南雲仙太郎は鋭い眼光で、彼女を見つめた。
そして、彼は長い話を話し始める前にと、たくあんを載せた白米を口の中に入れ、卵スープで流し込むのだった
そして、南雲仙太郎の昔話は
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「アルファ・ノクターン」は鳴り物入りのデビュー作として初版一万部で発売を開始するも、その売れ行きは伸び悩んだ。最初の一ヶ月では初版の半分も売ることは出来ず、その後の売上げもなだらかに落ち込んだ。最終的には初版は、三年ほどをかけて、そのほとんどを売り切ることになるのだが、発売から三ヶ月経った時点では、重版には大変悲観的な数字が出ていた。
正直なところ大賞作家でもない新人作家が、一万部を売り切れれば上出来である。しかし、そこに甘んじていれば先はない。
そもそもの南雲仙太郎の目標は「作家デビュー」ではあったが、実際に自分の作品が出版されると、今度はその売れ行きが気になる。そもそも、書籍を出版するのはより多くの人に読んでもらいたいからだ。読まれなければ意味がない。作家デビューという目標の達成に安住することなく、さらなる高みへと、
議論を重ねて、未恋川騎士と女性編集者の二人がたどり着いた結論は
――「アルファ・ノクターン」にはラノベとしてのフックが弱い。
ということだった。確かに、表紙絵も落ち着いたものだし、タイトルからは内容が見えて来にくい。「なりうぇぶ」出身作家が引っ張るラノベのトレンドからは大きく外れている。もとより、未恋川の作風はラノベというより、ライト文芸、もしくはキャラクター文芸であり、「なりうぇぶ」的トレンドを参考にするのが適切かどうかは分からなかったが。
「次回作では、ちょっと
そう切り出したのは、むしろ南雲仙太郎の方だった。
担当の女性編集者は、そこで一つの提案を出した。あくまで一つのアイデアとして、可能性としてだが。
「未恋川先生。もうちょっと、もうちょっとだけ、『えっちぃ要素』とか入れません?」
確かに「アルファ・ノクターン」ではSF要素はあるものの、純愛方向に振りすぎてしまって、コミカルさとか、セクシーさのような売上に直結しやすい、消費者文化的色彩はほとんど無かった。それで一万部売ったのだから、大したものだ、とも言える。
ライトノベルは文学である前にエンターテイメントコンテンツである。担当の女性編集者から「えっちぃ要素」を入れる提案を受けた南雲は、まさに目から鱗が落ちた気分だった。それはまさに天啓であった。
特に、自らがいい年こいたアラフォー男性作家であること、また、日頃からセクハラには気をつけないといけない職業に身を置いていること、等から、無意識に「えっちぃ要素」は避ける傾向があったのかもしれないと、その言葉は彼に気付かせた。
それを、うら若い女性編集者から指摘されたという事実が、未恋川騎士に「その手があったか!」という新しい可能性と、「やってもいいんだ!」という赦しを与えたのだった。
現実世界での真っ直ぐな恋愛モノよりも、王道の異世界ファンタジー、そして、そのファンタジーの冒険活劇の中で起きる恋愛物語にも挑戦してみようということも決まり、未恋川騎士の商業作品第二作目の大きな方向性が決まったのである。
――ちょっと「えっちぃ要素」のある本格王道ファンタジー小説
それが、第二作目として世に出ることになる著作、つまり、「
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藤代川に面して立つ「餃子の大将軍」の店内。下吹越エリカと南雲仙太郎が挟むテーブルのお皿の上の食事はほぼ平らげられ、二人っきりのディナーが終わりに向かいつつあることを象徴していた。
「そして、未恋川騎士の代表作となる『
そう言って、南雲仙太郎は大変長かった回想をハードボイルドな語り口で終えた。
二人しか居ないのに、宣伝を挟み込んでくるのは何故だろうか。
話を聞いている間に、皿うどんを平らげた下吹越エリカはナプキンで口を拭く。
「つまり、その女編集者が諸悪の根源だと……、先生はおっしゃりたいんですね?」
バッサリである。
「『諸悪の根源』とは失礼だなぁ~。ある意味で神の啓示を伝えてくれた
このあたりでも、「聖☆妹伝説」をエロラノベと断定する下吹越エリカと、大ヒット王道ファンタジーと位置づける南雲仙太郎では、事実認識の仕方が異なる。そこだけは平行線だ。
「でも、そもそも、ちょっとだけ『えっちぃ要素』を入れる予定だったんですよね?」
「もちろん、そうだよ。そして、僕は見事にそれを書き切ったわけだ!」
自信満々に南雲仙太郎は握りこぶしを作る。
「いやいやいやいや、ファンタジー世界で戦う前にいつもオッパイ揉むとか、妹が最初から最後まで基本的に全裸だとか、ちょっとだけ『えっちぃ要素』入れるって範疇超えてますから!……完全に、単純にエロですからっ!」
「し……しかし、R18指定は受けずに乗り越えたんだぞ……! きちんと研究して、勉強して、計算し尽くして、R18指定には届かない、ギリギリラインに差し込んだんだっ!」
どうだっ!と言わんばかりに未恋川騎士こと南雲仙太郎は右手にVサインを作って見せた。
なんでも、「えっちぃ要素」を取り込むに当たって、よく売れている異世界ファンタジーライトノベルを大量に読み、その中の「えっちぃ要素」の分析を行い、また、その城壁の向こう側「R18指定」の世界にまで足を踏み入れ、これまたR18指定ファンタジー小説を大量に読み、R18指定レベルだとどのような「えっちぃ要素」が存在するのか、また、どの範囲であればR18指定されない城壁の内側に収まるのか、について研究を重ねたのだという。
さすが、
(いや、しかし、……何かがズレている)
下吹越エリカは水を一口飲んでから「あの……」と遠慮がちに肘を曲げて右手を挙げる。南雲仙太郎が「どうぞ」と発話権を譲渡する。
「……そもそも、なんで、『えっちぃ要素』を入れるのに、『ギリギリのライン』を目指す必要があったんですか?」
そこである。正にそこである。
――ちょっとだけ、えっちぃ要素とか入れません?
という女性編集者からの何気ない示唆が、あの、エルフのおっぱいを背後から合法的に揉んで『やぁめぇれぇ~』と悶えさせる話になるのは超展開すぎるのだ。
下吹越エリカが、そう尋ねると、南雲仙太郎は「なんだ、そんなことか」とでも言わんばかりの表情で当然のように返した。
「もちろん、何事も、やるからには、徹底してやる。妥協しない。最高のラインを目指してベストを尽くすもんじゃないか」
そう言う南雲仙太郎の表情は「夢は叶えなくちゃいけない!」と若者に熱く語る時の表情と、全く同じ表情をしていた。
(そこかー! そこをそっち方向に努力しちゃったのかーっ!)
優秀な人間が、優秀だからこそ、負けん気が強いからこそやってしまう、残念な事故の典型を、下吹越エリカは、そこに見た気がした。
こんな先生を、引き留められる立場にありながら、引き留めなかった担当女性編集者は、やっぱり「諸悪の根源」と呼ばれても仕方ないと、下吹越エリカは思うのだった。
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