彼氏がエロラノベ読んでてイイですか?

 カフェのテーブル席に座る柊ケイコは、自分の髪を、黒いVネックのニットの隙間から露出した胸の前で、苛立たしげに右手の人差指に絡まらせてもてあそぶ。


「あんなの、マジで気持ち悪いわよ。生理的に受け付けない。あんな趣味を、私に隠してたのかと思うと、本当に腹が立ったし、完全に裏切りだわっ!」

 ケイコは本当に腹立たしそうだ。


「でも、それって、彼がケイコに、そういう趣味を打ち明けるタイミングが無かったってだけじゃないの?」

「……え? エリカは、そういう趣味オッケーな方なの?」

「あ、いや、そういうわけじゃないけど……」


 そうケイコに言われて、エリカはごく最近読んだ、ラノベ作家の書籍の内容を思い出していた。もちろん、そのラノベ作家は未恋川騎士。

 やっぱり、思い出すだけで、ちょっと頭が痛くなった。無駄に主人公に胸を揉まれる女の子キャラクタ-、最初は主人公に反抗的な女性キャラクターが、良く分からないタイミングで主人公に恋に落ちる謎展開。そして、それでも、最後には無理やり物語が盛り上がり、ちょっぴり感動させてくる腹立たしい展開。

 思い出すと、やはり、むしろ、大いにケイコに賛成したい気持ちがムクムクと膨れ上がってきた。


「しかもさー。ラノベ作家って、みんな変な名前なのね。ペンネームが変っていうか、頭おかしいんじゃないかって思うの」

「え? たとえば?」

 ちょっとドキドキしながら、エリカは尋ねた。

「えー、そんなの覚えてないけど……。……エリカ、興味あるの?」

 そうケイコに聞かれて「ん〜、ちょっとね」と曖昧に苦笑いした。


「いくつか強烈にダサかった名前は覚えてるんだけどね-。インパクト強かったから……。えぇっと、○○○○でしょ、……それから△△△△」

 前者はこの三週間で少しラノベについてネット検索したときに良く目にした名前だった、後者の方は知らない。


「あと一つ、ダサイ名前だなーと思ったのは、恋がなんとかって名字で、下の名前が騎士って書いて『ナイト』とか読んでんの……」


「……未恋川みれんがわ騎士ないとっっ!?」


 思わず声が出た。

 ケイコは、驚いたような顔で「それそれ」と言って、エリカを見ると「知ってるの?」と聞いた。

 エリカは視線を斜め上に逸らしつつ「うぅぅぅん~……。まぁ……、ちょっとねぇ~……」と曖昧に返事するしかなかった。


「まぁ、そんな感じで、彼には愛想がつきたって感じ?」

 ケイコはそう言って、マグカップの紅茶を一口すすった。

「え?……それだけで?」

「……それだけって? エリカ、私の話きいてた? あんなの、十分な裏切りよ」

「その……、彼はなんて?」

「彼? なんか、『違うんだー』とか、『これはこれで、君は君だー』とか、訳わかんないこと言ってたけど」


 全然、訳わからなくないが、まぁ、ケイコの心に響かなかったのであれば、意味の無い釈明だったのだろう。相手の男性を少し可愛そうに思うが、そもそもケイコを相手に選んでしまったのが運の尽きだ……。安らかに眠りたまえ。

 

「ほんと、ああいう、ライトノベル……? なんて言うのかしら? エロラノベ? ああいうの読んでる男とは付き合いたくないわよねー」

 ケイコは、「そんなの常識よね?」とでも言わんばかりに同意を求めてくる。

「う、うん……」

 エリカはなんとも言えない思いで、愛想笑いを浮かべながら曖昧に相槌を打った。


「でも、ああいう、ちょっとエッチなラノベ? いま、凄い人気みたいだね……」

 エリカがそう言うと、ケイコは、大きくため息をついた。


「そうみたいね~。もう、信じられない。本当に、世の中の男達はどうなっちゃったのかしら。ああいうの読むくらいなら、実際の女の子と浮気でもすればいいし、無理なら、風俗に行くか、アダルトビデオでも見てた方がまだマシだと思うんだけどね~」

「うーん……、そこは同意しかねるかなぁ~?」

「そう? でも、ああいう物語りを書く作家も何考えてるんだろうね? 気持ち悪い。その、未恋川みれんがわ騎士ないと? その考えられないほどダサいペンネームの作者も、一回死んだらいいのよ」

 ケイコは「そうしたら平和になるのにねー」と言って、また、右手の人差し指で、肩から前にながれてきた髪をクルクルと巻いて、弄った。

 エリカはそんなケイコの野放図ではあるが、特に悪意の無い発言を聞きながら、ソファで毛布にくるまって倒れていた南雲仙太郎先生、つまり、未恋川騎士のことを思い出していた。


 確かに、あの「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」は変な作品だし、女性キャラの扱いについても、無理矢理な異世界設定についても、ツッコミたいことは山積みだ。エリカ自身も、自分の彼氏がああいう本ばかり読んでいると知ったらちょっと嫌だろうし、ああいう本ばかりじゃなくて、もっと普通の小説が多く読まれたほうが良いようにも思う。

 でも、だからといって「未恋川騎士なんて、死んだらいい」は言い過ぎだと思う。


 未恋川騎士の肩を持つ気はさらさら無いし、未恋川騎士の小説に理解を示すつもりもほとんど無い。でも、夜を徹して、パソコンに向かいながら、著者校正を詰めていた先生のことを思うと、そこにはやっぱり真っ当な情熱と、誠意があったんじゃないかなって思うのだ。

 作品のことを批判したり、批評するのは良い。だけど、ああいう努力とか、真剣さ自体に、まったく思いを馳せないで、生き方自体を全否定することは、やっちゃダメなんじゃないかな。そういう風に、下吹越エリカは思うのだった。


 ひとしきり、言いたいことを言ったケイコは、「はぁ~」と大きなため息を漏らすと、テーブルに肘を付いて、ガラスの壁の向こうを眺めながら、アンニュイなムードを漂わせて、


「あぁあ~。どっかに、南雲仙太郎先生みたいな、独身でイケメンで大人な、イイ男は居ないのかなぁ~」


 と呟いた。


 ――その、南雲仙太郎先生こそが、あなたが今、死ねばいいのにって言った未恋川騎士なんですけどぉぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!


 エリカは腹の底、横隔膜の遥か下から、そう叫びたかった。


 でも、叫ばなかった。

 なんだかんだで、下吹越エリカは、先生の秘密を守ってあげる、健気ないいやつなのである。

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