教授が中二でイイですか?

 夏の終わりの上叡大学・東山キャンパスの総合C棟の屋上では、子猫が日向ぼっこをしていた。子猫は、あまりの暑さにゴロニャンと転がり、屋上ポンプ棟の日陰へと転がり込んでいった。

 そんな夏の終わりのある日のことであった。


 特に屋上では何も起きないので、ちょっとカメラを屋上から二階へと下ろしていって、総合C棟二階、南雲仙太郎教授室へと、物語の場面を移したい。


 部屋の中央には四人掛けのテーブルが置かれており、その席の一つには大人びた風貌の女子大学生が右肘を突いて座っている。左手はテーブルの上に置かれ、手のひらの下には分厚い原稿の束があった。


 女子学生の対面の方向の壁際には二、三人掛けのソファーがあり、その左端の方には毛布が生活感溢れる様子で丸められていた。中央には、よれたワイシャツを身にまとい寝起き独特のはねた髪の毛を頭部に生やした男性が、ソファの上で完全な正座の体勢をとりつつ女子学生に向き合っている。


「下吹越くん」

 真剣な表情で、南雲なぐも仙太郎せんたろう下吹越しもひごしエリカを見つめる。


「なんでしょう?」

「泣いていいですか?」

 その言葉のとおり、泣きそうな顔を浮かべる南雲仙太郎42歳。下吹越エリカは思わず、支えていた右手から顎を落とし、机の上に突っ伏した。


「……なんでっ!」

「だって! ……こんな! 自分のゼミ生に自分自身のラノベ作家としての裏の顔がバレてしまうなんてっ! 学生バレだ! 学生バレ! これはやばいっ!」


 ワナワナと震えながら、挙動不審に陥っている指導教員を見て、下吹越エリカは大きくため息をついた。


「だったら、大学に、こんな封書届かないようにしたらいいじゃないですか。プライベートのことなら、ご自宅に送られればいいでしょう?」


 そのとおりだ。下吹越エリカは自分がいかに真っ当なことを言っているか噛みしめながら、うんうん、と頷いた。


「いや、ダメだろ。それじゃ、家族バレする」

「家族にも秘密なんかーーーーーーいっ!」


 思わずツッコんでしまった。はっとして、振り上げた右拳を膝の上に戻す。


(いけない。ダメだわ……。なぜか、南雲先生、もとい、未恋川みれんがわ騎士ないとのペースに乗せられている。私自身が、こんな卑猥な小説なんかに振り回されちゃだめよ……)


 思わず声を上げた下吹越エリカを、南雲仙太郎はじっと見つめた。

 その視線に、下吹越エリカも気づく。


「……な、……なんですか? 先生……」


 教授は小首を傾げると、訝しそうな表情で尋ねた。


「下吹越……。おまえ、そんなキャラだったっけ?」

「誰のせいだと思ってるんですかぁぁーーーーーっ!」

 下吹越エリカは再び盛大にツッコむと、バンバンバン、と両手で四人掛けテーブルを叩くのだった。


「そもそも、何ですか? この未恋川騎士ってペンネームは? そこはかとなくダサいですよ!」

「うっ! いいじゃないか! ラノベっぽくていいだろ! しかもラブロマンスを書く作家が未恋川とか、未だに恋に恋してるような雰囲気で良い感じじゃないかっ!?」

「そこは百歩譲ったとしてっ、騎士って書いて『ナイト』って読むのは、最高級にダサいです。」

「そこは、あれだ。そう、お約束だ。やはり、漢字の英語読みというのは、厨二病的ロマンがある……」

「先生、今、何歳ですか?」

「四十二歳」

「お子さんは?」

「長男が十三歳で、長女が十歳」

「長男さんの学年は?」

「中一」

「で、お父さんのマインドは?」

「中二……」

「……痛いですよねぇぇぇぇ?」

 

 南雲教授はソファの上に正座して泣き出しそうな顔をしている。下吹越エリカは、はぁっ、とため息をつくと、左手で著者校正原稿の左下をつまみ、ページを捲ろうとした。


「待てっ!」

 エリカのその行為を、南雲教授は右手を出して、神妙そうな顔で静止する。


「……それより先は、……危険だ」

「なんでですか?」

「その本の内容は、健全な女子大学生が読むには、敷居の高い、高尚に洗練された内容なのだ……」

 南雲仙太郎は少し言いにくそうにしながら、右斜め下に視線を泳がせた。


「ていうか、先生がソファで眠っておられる間に読んじゃったんですけど?」

 パラパラパラ、と原稿を捲りながら、下吹越エリカはジト目で、南雲教授を見る。

「え……? まじで?」

「はい、まじで」


「終わった……、おれの大学人生、終わった……」

 そう言うと、まるで世界の終わりを悟ったように、南雲仙太郎はソファの上にバタリと倒れた。ついでに、倒れ込むときに、ソファの右アームで側頭をゴツンと強打して、痛そうだった。ソファの上で横になりながら先生は「いてててて……」と、頭の側面をさすっている。


(いろんな意味で、終わってるな〜、先生……)

 もはや、同情の感情すら、下吹越エリカの心の中には湧いてこなかった。なんだか全ての感情が、心の中に広がった「なんかどうでも良くなってきた感」の海原の中に、飲み込まれてしまうようだった。


「もう、そんなに、見られたくないものだったら、鍵開けっ放しの部屋の机の上に、出しっ放しにしとかなきゃいいじゃないですか……」

 改めて、下吹越エリカは机の上に頬杖をつくと、窓の外を眺めながら、ため息がちに言った。


「だって、そんな誰かが無言で侵入してくるとか、思わないじゃないか……」

「いや、わたし、ノックしましたし、声かけましたし……、先生が寝てただけじゃないですか〜」

「うっ……、でも、そんな……、そんな、急に部屋に侵入されるなんて、思わないじゃないか……?」

「全然、急じゃないでしょ? 私、ちゃんとメールで今日十六時ってことでアポイントメント取りましたよね? 卒論のテーマについて相談がしたいって言ったら、先生が、『一六時頃に来い』っておっしゃって……」

 下吹越エリカは、トートバッグからスマートフォンを取り出して、メールアプリを開くと、受信済みメールリストの中から、四日前に南雲教授から送られてきたメールを開いてみせた。キチンとメールには☆マークが付けられている。


「ほら」

 下吹越エリカが見せたスマートフォンの画面を確認すると、やおら、南雲仙太郎は、机の上に放り出されていた自分のスマートフォンをたぐり寄せ、カレンダーアプリを開いた。そこには確かに、午後4時から一時間分のスロットに予定が書き込まれており「下吹越(ゼミ生) 訪問」と予定のタイトルが書き込まれていた。


 南雲仙太郎はソファから立ち上がると、はだけたワイシャツを整え、袖口のボタンを留め、シャツをパンツの中に入れ、壁に掛けていた紺のジャケットに袖を通す。そして、ジャケットのラベルを二度ほど引っ張って身だしなみを整えると、第二ボタンだけを留めた。

 テーブルの対角線上の椅子を引き座ると、南雲教授は両手を合わせて握り、組んだ足の上に置いた。真剣そうな顔で、改めて、下吹越エリカの顔を覗き込むと言った。


「それで、卒論のテーマで相談って何かな?」

 

 しばし沈黙。


「先生、今更、教授っぽくなっても、遅いです」

「あ、やっぱり?」


 窓の外でカラスが鳴いた。

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