地下からの脱出行

「こちらは高等部の学探。そちらの所属はどこですか」

 先輩は普段と違う口調で尋ねる。

「こちらは大学のワンゲルだ」

 向こうから男性の声が返ってきた。

「な、言っただろう。地下道につきものの探検者だ」

 今度は普段の口調で先輩はこっちに向かって言う。

 だったら先にそう言ってくれ。


 すぐにおっさん顔の青年に引率された5人ほどが姿を現した。

「新人歓迎期間だからもっと多くの連中が中にいると思ったんだがな。思ったより会わないもんだ」

「こっちは高等部H3から入って初めてです。そちらは」

「サークル棟DS2から。もう1組、5人パーがリング逆回りで回ってるよ」

 どうもこの地下道、思った以上にメジャーな場所の模様。

 僕がそう思った時だ。

「ワンゲル金井からAパーティ」

 急にそんな声が聞こえた。

 おっさん顔がポケットから無線機らしきものを取り出す。


「Aパーティ久保だ、どうぞ」

「Bパーティ、リングHB合流地点。

 報告。現在地点においてヒューム値が急激に下降しているのを確認。現在地点でヒューム値0.9。このままリングを進むのは危険と判断、引き返す。体育館Gで脱出予定。Aパーティも脱出願いたい」

 ヒューム値とは何だ。

 HBとかGとかは確か地点番号だよな。

 確か地下道の図で見た気がする。

 ただ説明を求めている状況ではないようだ。


「Aパーティ久保了解。こういうことかい」

 おっさん顔はそう言って舌打ちする。

「ここだと一番近くて楽なのはDAだな。こっちは脱出する。そっちはどうする」

「こちらもそうしましょう。今日は単なるお試し探索ですから」

 神流先輩の言葉におっさん顔は頷く。

「それが賢明だな。ちくしょう。フル装備してくりゃ良かったんだが。で、隊列は一緒にするか」

「そうですね。出来れば後を頼みます。私はこれでも種別Wですので」

 この種別Wという単語も僕にはわからない。

 でもおっさん顔には通じたようだ。

「心強いな。なら俺が殿しんがりに行くからトップ頼む」

 おっさん顔はそう言ったあと、自分のパーティに向きなおる。

「この高等部のパーティの後について行って脱出する。俺が一番最後に回る。あとは今までと同じ順番でついていけ」

 そんな訳で有無を言わさず脱出行になってしまう。


「それじゃ説明は後だ。行くぞ」

 先輩はこっちにはいつもの口調でそう言って歩き出す。

 佳奈美も雅も無言でついていく。

 さっきまでより明らかに早足で、十字路をそのまま直進方向へ。

 しばらく歩いて分岐を右へ。

「低くなっているから注意」

 高等部のところと同じように天井が低い部分を抜ける。

 突き当たりにぼんやりとした明かりが見えた。

 近づくと扉についているガラス窓だとわかる。

 神流先輩はその扉を普通に開いた。

「ここからは校舎だから安心して大丈夫だ」


 そんな訳で扉から入って上方向への階段の踊り場のような場所に出た。

 大学部の連中も続いて入ってくる。

 いずれも高校出たてという感じだ。

 最後にあのおっさん顔が出てきた。

「セーフ、っていったところか」

「ここのヒューム値はまだ誤差範囲内ですし大丈夫でしょう」

「そうだな。ところで何か原因に心当たりはないか」

「どっちかというと占術部の範囲ですね、私はちょっと」

 おっさん顔はうんうん頷く。


「まあそうだよな。でも先頭ありがとうな」

「こちらこそ。殿の方が精神的に疲れますから」

「先頭も嫌なもんだぜ、間違いなく」

 おっさん顔は肩をすくめて見せ、そして自分の隊員のほうへ向き直った。

「一度部室へ戻るぞ。地上から探査する。これはお試しじゃ無いからな」

 そう言って他を引き連れて階段を上っていった。

「さあ、こっちも出るぞ。色々説明も聞きたいだろう」

 僕を含め3人とも頷く。


 階段を上って出口から出る。

 振り返ってみると大学の講義棟Aの東側の出口だった。 

 すぐ先に高等部の一般教室棟が見える。

「あれだけ色々あったような気がしたのに、たったこれしか歩いていないのです」

「実際にはただ地下道を歩いただけですのにね」

 ただ歩いて大学のパーティと会い、そして講義棟Aの地下から出てきただけ。

 それなのに随分色々あったような感じだ。


「まずは理化学実験準備室で一服するぞ。気分的に結構疲れただろう」

 確かにそうだな。

 そんな訳で元の理化学実験準備室に戻ってきた。

 普通に地上を歩けば3分もかからない。

「佳奈美、紅茶を入れてくれ。ちょい濃いめに」

 そう言って神流先輩は縄ばしごを引き上げ、蓋を閉じる。

「了解なのですよ」

 佳奈美は例によって三角フラスコとガスバーナーでお湯を沸かし始めた。


「さて、まずは用語解説からいこうか」

 全員分の紅茶が入ったところで神流先輩は口を開く。

「まずヒューム値。これは元々SF系の共同制作コミュニティで作られた仮想の用語だ。正確な定義はよく知らんから私なりの定義で言うぞ。

  ○ 我々が現実と信じている状態がこのまま永続的に続く状態が1

  ○ 現実性を変化しようとする力が働くと数値は1より大きな値になる

  ○ 変化させられようとする状況になると1より小さな小数値になる

 こんな感じだ。

 完全に現実や継続性、論理性が破綻している状態が0。それ以下は想定していない。まあ現実性が0というのも人間には想像不可能な事態ではあるがな」


「でも現実の値としてヒューム値という言葉を使っていたのです。しかも測定器を持っているような会話もあったのです」

 神流先輩は頷く

「そう。少なくともこの学内においてはヒューム値とは測定可能な現実の指標だ。測定器も存在する。何を隠そう普通に購買部で買えるんだな。ま、私は特殊事情があって使用できないが」

 僕には思い当たる言葉がある。

「種別Wですか」

 神流先輩はにやりと笑った。

「半分正解だな。まあ種別の話は面倒だから後にするぞ。まずはヒューム値の話だ。朗人、物理実験資材の棚の一番左、真ん中の引き出しを開けてくれ」


「それなら私が近いですわ」

 雅が立ち上がろうとするのを先輩は手で制す。

「雅じゃ駄目だ。これは朗人が開ける必要がある」

 何故だろうと思いつつ僕は言われた通りにする。

「そこに何かデジタルメーター付きの機械があるはずだ。それを出して、この部屋の隅で起動してくれ。あとその間、誰も朗人に近寄るなよ」

 何か変な指示が多いが取り敢えずそれに従う。

 電源というか、正面にON-OFFのスイッチが1つあるだけだ。

 なのでスイッチをONにする。


「電源を入れました。デジタル表示が1を示しています」

「それがヒューム値測定器だ。作動原理の説明は省略。1というのは現実性の破綻が無い状態。つまりはまあ、普通の状態だな」

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