本章 2つの塔?~正しくは二つ目の塔~
第1章 準備及び前提知識
グルコースとクエン酸
4月11日木曜日午後4時30分。
三脚の上、セラミック付き金網に載せられた三角フラスコ内が沸騰し始めた。
これは理科実験道具で紅茶を入れる工程のひとつ。
つまりはまあ、学園探検部のいつもの光景だ。
入学式から僅か3日後、ここに慣れてしまった自分が悲しい。
「今日はグルコースとクエン酸がいる人はいるですか?」
「私は自分でいれるからいいぞ」
「私はグルコース1匙、自分で入れますわ」
「僕もストレートだからいい」
勿論紅茶の葉っぱ以外は全部薬品庫から調達した物だ。
グルコースとはいわゆるブドウ糖でクエン酸はレモン代わり。
2日目の僕のように間違えてクエン酸小さじ1杯なんて入れると酷い味になる。
僕はその後紅茶をストレートでしか飲めなくなった。
無論この部屋限定だけれども。
よい子は決して真似しないように、トラウマになるからな。
「さて、早速だけれど土曜日に地下道体験会をやろうと思うんだ。いいよな」
「待っていたのです!」
早速佳奈美が飛びつく。
「ただ体験程度でも最低限の装備は必要だ。それで明日の放課後、街に買い出しに出かける。100円ショップで買えるものを買って、残りはホームセンターで揃える。全部込みで1万円はしない。大丈夫か」
「大丈夫ですのよ」
「私も大丈夫ですわ」
「僕もなんとか」
一応教科書代や着替え等購入費として家からそこそこ貰ってきている。
1万円位なら何とかなる額だ。
「行きは保健の香取先生の車に乗せて貰う。これは既に交渉済みだ。
帰りは駅からタクシーの予定。これは多分3,000円ちょっとで、1人900円あれば余裕で足りる。これを含めて1人1万円予算になる訳だ」
うん、それなら買い出しにも行ける。
僕らは頷いて同意を示す。
神流先輩はそれを見て、
「これがこの学園の地下道を体験するのに必要な装備一覧だ。あらかじめイメージしておけよ」
どれどれ、僕ら3人は早速プリントに目を通す。
○ ヘッドランプ
○ ヘルメット
○ 雨具上下
○ 長靴
○ 軍手
○ ゴム手袋(分厚い物)
雨天決行という感じの装備だ。
「何か水がたまっていたりする場所があるんですか」
「それもあるし、上から水しぶきが落ちてきている場所もある。あとは汚れ防止というところだな。この格好なら多少汚れても気にならないだろう」
なるほど。
「今回はお試しコースだからガイド用のタコ糸やザイル、ハーケン、ボルト、ハンマー等の登攀具はいらない。まあ登攀具は先輩が残したものがあるけれどな。
あと場合によっては武器も必要だ。でも今回はいらないだろう」
「何で武器がいるんですか」
「今回はいらないから気にするな」
今回は、という台詞が非常に気になる。
「きっとゴブリンでも出るのですよ」
いやそんなの現実にいないから。
「洞穴ですとゴブリンよりオークとドワーフですわ」
雅もだいぶ違うから。
さて、雅のことは最初は石動と名字で呼んでいた。
でもそのたびに、
「雅と呼んで下さいと言ったはずですわ」
と何回も言われたので雅と呼ぶようになった。
そして雅は僕の事は名前で朗人さんと呼ぶ。
この件でも教室では大分言われた。
でも今日の昼には誤解も解けてきたように思う。
雅が強烈天然系である事はクラスの皆さんも既にご承知だし。
神流先輩も
でもこれは断固として神流先輩で通す予定。
そうでなくても何か誤解を生んでいる今日この頃だ。
無用な誤解は最小限にしたい。
「初めての探検わくわくなのです。カメラマンさんと照明さんも欲しいのです」
「隊長はその後から入るのですわ」
佳奈美と雅は妙な感じで盛り上がっている。
それはテレビ番組の探検隊だしネタとしても古すぎる。
半世紀近く前のネタだけれど何でお前らそんなの知っているんだ!
あ、僕もか。
◇◇◇
そんな訳で金曜日の7時限目。
眠くて長い古文の授業の終わりを告げるチャイムの音が鳴り響いた。
さて今日は買い出し。
さっさと教室を出ないと面倒な事になりかねない。
僕は雅より佳奈美より早く教室を出る事を心がけている。
その方が面倒な事案が起こらない事を学習したのだ。
万が一何か起こっても教室内より廊下での方が被害が少なくて済む。
どうやって誤解を解こうか苦心する朝はもうたくさんだ。
そう思ったのだが。
「朗人く~ん、早くお買い物、いこ!」
いきなり教室出口からそんな声がする。
おい何なんだ。
見るとすらっとした長身の一見美人に見える女子が出口から僕の方を見ている。
言うまでも無く神流先輩だ。
教室内の視線が怖い。
「今度は先輩に手をつけたのか」
「同好会の買い物です!他意はありません!」
交野に白い視線で返された。
僕はとっさに助け船を求めて雅の方を……
奴め、既に教室を出ていやがる。
「本当に同好会の買い物ですから」
「お買い物したらお食事して帰ろうね」
こら先輩ダメ押しするな。
「そうやって普段と違う口調まで使ってからかうのはやめて下さい」
「えーっ、昨日約束したじゃない。お買い物してお食事しようって」
「食事までは聞いていません」
あ、何かだんだんまわりの視線が辛くなってきた。
「あくまで同好会の買い出しですからね」
「ごゆっくり」
交野に非常に抑揚のない声でそう言われてしまった。
視線がかなり厳しい。
うん、これ以上この場で傷口を広げるのは避けよう。
とりあえず現場離脱だ。
僕は速やかにカバンを手に持ち逃げるように教室を後にする。
逃げるように、というのは違うな。
今回は本当に逃げたのだから。
「はあー」
ため息ひとつ。
「どうした。ため息をつくと幸せが逃げると言うぞ」
ため息の原因の口調はもう元に戻っている。
「誰のせいですか、誰の」
「後輩をからかうのは先輩の特権だ」
「そんな特権使わないで下さい」
そして後ろをそしらぬ顔でついてきている2人にも一言。
「雅も佳奈美もああいう場合、少しは助けて下さいよ」
「いえ、お取り込み中に口を挟むのも失礼かなと思いまして」
雅さん、そんな心遣いは別の場合にして下さい。
「とりあえず面白そうだから観察していたのです」
佳奈美は完全に
まあそれが確定したところで言い訳する相手ももうここにはいない。
全て手遅れ。
今度はどう釈明しようか気が重い。
「まあ気を落とすな。昔の人も言っている。『あとは野となれ山となれ』」
「完全放置ですかい」
はあ。
僕はもう一度、大きくため息をついた。
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