色式を発射させるその銃は、シノグの力を消耗させていた。シノグは階段を駆け上がりながら息を切らして、一緒に登ってくる鬼の動きを一瞬でも止めるために銃を打ち続けていた。


「はぁ、はぁ」  


 螺旋階段の上を見ても、カナタと吉之の姿はない。恐らく最上階へ到着していることだろう。シノグが稼いだ時間は役に立っただろうか。鬼に何度目かの色式を食らわせるために、シノグは下段を見る。鬼は律儀にも階段を足で登ってきていた。歩みはゆっくりだったが、大きな足は開くと一歩が大きく、二・三段は階段を飛ばしていたためシノグと鬼の距離はそれほどゆとりはなかった。

 あの鬼が元々人間だったかもしれないと思うと、シノグは銃を向けることをためらいたくなる。だから邪念を捨てて足元を狙って青色式を撃つ。無理を承知で、もう一発。

 その時、塔の内部が突然に変化した。

 壁に回路のような光の線が下から上へ描かれていく。螺旋階段だけではなく、塔の内部全体が明るくなっていった。


「な。なんです」


 シノグは驚いて声を出す。

 考えられることは一つだった。カナタが何かを成し遂げ、ゼロの塔が何かをしたのだ。


「――やったのですね」


 呟いて、それからシノグは銃を懐へしまって螺旋階段を急いで上へ駆け上がることにした。カナタと吉之が心配だ。シノグは、そちらと合流することが先決だと思った。鬼は放っておいても勝手に登ってくるだろう。

 階段を登る途中、シノグはふと硝子のない窓の外を見た。たくさんの星が流れていると思った。だが何かがおかしいことに気づく。それは、流星などではない。雨だ。光の雨が地上に向かって降っているのだ。窓から身を乗り出してときわ大森林から先を見た。向うに見える失われた土地に、色が戻っている。

 シノグはその光景に、開いた口が塞がらなかった。


「色が……」


 だがこうして立ち止まっている場合でもないので、またすぐに階段を登り始める。

 シノグの中に驚きと、もしかしたらという希望が生まれた。もはや限界を迎えている体力を振り絞る。辛さと嬉しさがシノグの中で混ぜられて、泣いてしまいたかった。

 それから、どれだけ経ったかは定かではない。シノグはようやく見えてきた螺旋階段の終わりに、ほっと胸をなでおろす。そのころにはもう足は上がらず、たびたび階段に足を躓いていた。幸いにも鬼はずっとシノグの後ろで、ゆっくりと階段を登っていた。

 踊り場の扉のない出口を抜けると、目の前には倒れた吉之と、そのもう少し離れた所。塔の中央の機械の前に倒れているカナタを発見して、シノグは血の気が引くのを感じた。


「吉之。カナタ!」


 シノグはまず吉之に駆け寄り、息がありただ眠っているだけなのを確認すると、すぐにカナタのほうへと向かった。カナタのもとへたどり着くと、シノグはその華奢な身体を抱きかかえる。体重が紙のように軽く感じられた。

 シノグは目を丸くした。


「カナタ。カナタ!」


 名前を叫んでも身体を揺らしても、カナタは目を開けない。心なしか、カナタの身体が透けているように見えた。


「何で……。どうしてこうなったのですか」


 シノグはカナタの感触を確かめるように、彼女の肩を掴む手に力をいれる。

 そのとき。誰かの声が聴こえてきた。


「お前たちが望んだことの結果だ」


 驚いて顔を上げると、どこかからシノグの頬に無数の光の粒が落ちた。シノグの顔の左半分を覆った長い前髪の隙間にも光の粒が入り込み、シノグはその部分に違和感を覚えた。急いで顔を抑える。頭上には月白色に輝く巨大な箱船と、そこから零れ落ちてくる光の粒が見えた。


「あ……」


 ほんのりと温かいものが、シノグの顔の左半分を満たしていった。欠けていたものが埋まっていく感覚。もうずっと失っていた色が、シノグの元へと帰ってきたのだと直感的に理解した。しかし大事なものを取り戻せた代わりに、カナタを犠牲にしてしまったのかもしれないと事実に、シノグは素直に喜ぶことが出来なかった。


「その子はもう、もたないよ。力を使い果たしてしまったからね」


 その声の主は、いつの間にそこにいたのか。シノグの目の前に突然現れた。神々しく光るその身には、空から降る光の雨が溶けるように消えていく。白髪の割に顔は随分と若く見え、性別は男にも女にもどちらにも見えた。

 シノグはその人物が神だということを、すぐに察した。


「どういう意味ですか」


 言葉の意味がわからなくてシノグはその人物に向かって問いかけた。


「これは、その子が地上に落ちたときから決まっていたことだ。運命だと思って受け入れるがよい」

「何を……何を言っているのですか」


 シノグは顔をしかめていた。


「その子は、消滅する」


 はっきりとした口調で、その人物は言った。


「どうして」

「先ほども申したであろう。その子は塔を起動するため、神の力をすべて使い果たした。だから身体は維持できずに消滅する。これはお前たちが望んだことの結果だ」

「そんなことは、望んでいません。ただ僕たちは、あなたたち神の元へカナタを……。カナタを助けてください。お願いします」


 震える声で、シノグはその場で頭を下げた。目じりから涙が溢れてきて、透けたカナタの身体に落ちていった。それは何の意味もなくカナタの頬を濡らしただけだった。


「その子は、災いの子である。元より消滅の定めにあった。その子を生み出した親とも呼べる神は、その子を消滅させたくなくて地上へと逃がした。わたしたちがその子を助けるつもりはない。存在してはいけない子なのだから。その子は存在しているだけでこの世界を滅ぼすことができる」

「嘘です。そんなこと、この子に出来るはずがありません」


 シノグはそう言って、首を横に振った。


「何故そう言い切れる」

「この子はとても非力です。僕たち人間とさほど変わりない。ただ少し力を多めに持っているだけの。何もできない人間と同じです」


 カナタはただの少女だ。十七歳の普通の少女だ。シノグはそう言いたかった。


「そうであってほしいのだろう。その子がいる限り緩やかに世界は衰退していくぞ」


 神の言葉に、シノグは何も言い返せなかった。

 わかっている。それこそシノグの願望で、事実とは異なる。カナタは十七年前。最初にヒイラギ先生が連れて帰って来たあの時から、普通ではなかった。カナタが大泣きすると屋敷は揺れ、身体は白く発光した。彼女の身体を調べると、普通の人より多くの色の力を持っていることがわかった。それ以来、カナタに色の力を使わせない。使い方を教えないようにとヒイラギ先生と二人でそう決めた。

 最初からそうだったではないか。カナタは普通の女の子ではない。


「おや」


 不意に、神が何かに気づいたような声を出した。シノグが顔をあげると神が綺麗な顔を歪めていた。


「出口で詰まっているな。そこまで大きくなっているのなら当然か」


 神がそう言いながら、先ほどシノグが通ってきた出入り口の方向へ静かに歩いていく。神の足はしっかりと床を踏みしめていたのに、足音さえしなかった。

 神が向かった先に視線をやると、巨躯を狭い出入り口に差し込もうとしたのか、鬼の顔と片腕だけが見えた。

 神は鬼の前に立つと、ゆっくりと右手を上げて言った。


「良い。許してやる。お前たちは何も悪くない。間違いを正そう。我々はお前たちを守ろうとした。良き隣人であると共に良き友であったからだ。お前たちは我らを憎んでおったようだが本来なら憎む必要はない。だから光を喰うのはもうおやめなさい。それを喰ったところでお前たちの身体が肥大するだけ。何の意味もないのだから」


 神は鬼の頭に手で触れた。指先から眩い光が伝っていったのか、鬼の身体が蒸発するように形を失っていった。後には何も残らず鬼は完全にその姿を消失させた。

 シノグは訳もわからない恐怖を感じ、カナタの身体をしっかりと抱き直した。

 神が振り向きもしないでシノグに語りかけてくる。


「君たちが鬼と呼ぶあれは闇の塊だ。我らを恨んで死んでいった人間たちの怨念のようなものだ。彼らは生きている人間を取り込み。自分たちと同じ苦しみを共有しようとしたのだ。同じに我らを憎むものにしたかったのだ。人間が持つごく僅かな光を喰ってまでな」


 神はゆっくりとシノグのほうに振り向いた。

 シノグは、神に向かって問う。


「鬼に喰われた者が鬼になってしまうのは、闇を共有されたからですか」 


 神は静かに頷いた。


「同じものになってしまうからだ。人間のもつ光の力は、神よりも弱い。簡単に吸収されてしまうのだよ。でも、もう安心してほしい。先ほどの光が地上をすべて新たな光で満たすだろう」


 つまりは、もう鬼が出現することはないと神は言いたい様子だった。そのことにシノグはほっとした。けれど言いようのない不安がシノグの中にはあった。では何故、この神はわざわざここに降りてきたのだろう。シノグの目の前に立っているのだろう。

 シノグは神を怯えた目で見ていた。 


「そう怖がるでない。君が大人しくその子を離してこちらに渡してくれるのならば、何もしない。すぐにでももう一度船を隠そう。我らは共存してはいけないのだ。再び同じ悲劇を繰り返してしまう」


 神がそう言って、両手を差し出してくる。


「カナタをどうするつもりですか」

「こちらのやり方で弔おう。このまま地上で消えゆくよりも良いだろう」


 神の言葉に、ふざけているとシノグは思った。怒りにも似た感情が芽生えた。神の都合でカナタは地上に落とされたというのに、連れ帰って弔うなどと。


「戯言だと思うか。お前の憤りは正しい。しかし、その子のことを考えてみればあるべきところであるべき最後を迎える方が良いのだ。それにお前たちはもともと、その子を我々に返すために我々を呼んだのであろう」


 シノグは、神に対して何も言い返せなかった。すべて神の言うとおりだった。すべてを見透かされいる。それが神なのかもしれない。だがシノグは人間だった。ただの人間だったのだ。

 シノグはカナタを抱えたまま右手で懐から銃を取り出し、静かに神に向けた。


「何のつもりだ」


 神はその綺麗な顔を歪めた。


「僕は今までずっと、誰にも我儘というものを言ったことがありませんでした。両親にも、先生にも言ったことがありません。我儘なんてものは、言ったらいけないものだと思っていました。だから先生の言うことに従ったし、今回カナタをあなたたちの元へ届けると決めたときも、それを自分の意見だと思い込もうとしていました。それが先生の願いだからと。でも実際は吉之の言う通りただ先生の言いなりになっていただけです」


 シノグは認めることで、今の自分の行動を正当化しようとしていた。とんでもないことをしているとわかっている。けれど、目の前の神が人間のことを理解していると信じてみたかった。


「ですが人間という生き物は本来、我儘な生き物なんです。だから僕もひとつだけ我儘を言います。――カナタは渡しません」


 シノグは、真っすぐに神と視線を合わせた。自分の意思をしっかりと示した。そして銃に色の力を込めて色式を編んだ。


「吉之!」


 シノグは神に向かってではなく、その後ろに標準をあわせて銃を撃った。

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