カナタと吉之がゼロの塔の屋上に着いた頃。太陽は完全に落ちていて、夜風がカナタの頬を優しく撫でていった。今が何時かはわからない。あとどれだけで再び陽が昇るのかも、見当つかなかった。 

 カナタは吉之が気絶するように眠ったのを確認してから、床につけていた両手と両膝を持ち上げた。羽織っていたマントはもうすっかり汚れてしまっていて、中の洋服の代わりに汚れたのならそれは仕方のないことだと納得するしかなかった。むしろ可愛いお洋服が汚れてしまわないので助かっている。シノグの言うとおりにマントを羽織って正解だったのだ。


「泣いている場合じゃないや」


 カナタは呟いて、中央にある機械と向き直った。ひとりで操作出来るか不安だったが、とにかく触ってみるしかない。カナタは機械の傍まで行き、画面を見た。それがタブレットであればこの大きな液晶画面を手で操作する必要があったが、どうやらそうではないようだった。

 カナタが近づくと機械はひとりでに明るくなった。人感センサーでもついているのだろうか。


『ようこそ。ゼロの塔へ』


 突然、機械音声が流れてカナタは飛び上がるほど驚いた。機械がしゃべることなど地下出身のカナタには珍しいことではなかったが、ここは地上だ。地上では機械が珍しいものと聞いていたから、それがここにあることを予想していなかったのだ。


「何だろう。これ。人工知能も搭載しているのかな」

『はい。どのようなご用件でしょう』

「えっと。あの」


 カナタは一生懸命にヒイラギ先生の言っていたことを思い出す。目的は、神々のいる空の上へ行くこと。そして神々に会って話をすることだ。


「神たちに会いたいのだけれど。あたしを空の上に連れて行ってほしいの」


 正直に言うと、機械は一拍置いて返事をした。


『――それは出来ません』

「どうして?」


 カナタは首を傾げた。


『箱船は既に空の上にあります』

「あ。そっか。ならどうしたらいいのかな」


 カナタは考える。ヒイラギ先生なら。シノグなら。どうするか思考を巡らせる。神は箱船を造って空の上へいった。と本には書かれていたらしい。ならば――。


「箱船を呼び戻すことは出来るの?」


 カナタは機械にそう質問した。


『可能です。そのためにはゼロの塔の完全な起動が必要になります。今は非常用の電源をしようしており、操作が限定されています』

「なら、ゼロの塔を起動して」

『塔を起動するためのエネルギー不足です。エネルギーを注入してください』


 抑揚のない声が返ってくる。カナタは困ってしまった。エネルギーと言われてもどうしたら良いのかさっぱりわからないのだ。


「エネルギーって、どうすればいいの」

『エネルギーとは、神の力のことです』

「神の力?」

『はい。神の力は光の力でもあります』

「光の力……」


 言葉を反復して、カナタは気が付いた。もしかしたらという思いで、カナタは機械の横にあった長方形の台座を見る。それに片手でそっと触れた。一瞬だけ台座に電のようなものが走り、カナタの身体は眩く光りだした。身体の中の力が何かに吸い込まれていく感覚がした。いや、実際に吸われていたのだ。このゼロの塔という機械に。


「うっ」


 カナタは小さく呻いた。

 ゼロの塔のエネルギーとは、神の力・光の力。即ちカナタたちが認識している体内にある色の力と同じものであるらしかった。

 ヒイラギはずっと色の力は神聖な力だと評していた。恐らくこれを理解していたためだろう。

 カナタの身体は浮遊感に苛まれていた。最初の数秒は問題なかった。そのうちに立っていられなくなり、カナタは右手だけを台座に触れさせたまま崩れるように床に両膝をついた。手が震えたので左手で右腕を抑えた。最後の力が吸われたのを感じ取った時、カナタは虚脱状態だった。


『エネルギーの充填が完了しました。発射までのカウントダウンを始めます』


  ゼロの塔が動き出す。エネルギーはすべて中央の巨大な針のような柱を通っているようで、柱が眩い光を放っていた。特に柱の先端に集められた光のエネルギーは、風船のように膨れ上がっていく。

 しかしカナタは、もう立ち上がることが出来なかった。十から始まったカウントがゼロになるまで持たなかったのだ。カナタは遠のく意識の中で、夜空に打ちあがった光彩の玉を見た。


    *



 それは雲の中で爆ぜ、空を晴らした。月白色に輝く巨大な建造物が現れた。それは船の形をしていた。神々を乗せた箱船は、ずっとゼロの塔の真上にあったのだ。

 空が晴れると同時に、弾けた光の玉が雨のように地上に降り注いだ。地上全体に、赤や青。色とりどりの光を降らせた。その光は地上にある色を失ってしまった数々の建物に当たり、本来の色を取り戻していった。失われた土地に色が戻ったのだ。

 最初に異変に気づいたのは、誰であったのだろうか。

 真夜中の零時であった。

 そんな時間に起きていた者がひとり。仙道京太郎は明日のあげは会との抗争に備えて、仮眠から起床したばかりであった。胸騒ぎがして、ときわ大森林のほうを見た。森の中心に見えるゼロの塔が光っていた。それから数秒の後、塔のてっぺんから光彩が放たれたのが見えた。夜空を覆っていた雲が晴れた。京太郎は自分の目を疑った。

 塔の上に巨大な船が一隻、浮いている。船体は、ときわ大森林全体を空と地上を遮るかのように存在しているように見えた。

 京太郎が空を見上げていると、頬にほんのり温かいものを感じた。それは光の粒のようだった。それは肌に溶けるように馴染んで、消えた。

 不思議な雨だった。光る雨。しかもそれは赤や青色に光って見えた。色とりどりの光の粒が、雨のように降っていた。


 ――綺麗だ。


 その光景に見蕩れていて、京太郎は気づいていなかった。

 京太郎の自室にあるカナタの日記が、その形を失おうとしていることに。

 気づかなかったのである。京太郎の背後に迫る、ある人物の姿に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る