第七章 月白色の箱船
1
一段とばしに登る階段。華奢な身体のカナタを担ぐ腕とそれを支える手。足が、腕が、手が。悲鳴を上げていた。腕のかろうじて残っていた肌色の部分が、青色で埋まっていく。ちぎれた包帯の端切れを腕から取って捨てた。
「吉之。お願い。降ろして……」
震えた声でカナタが懇願するが、吉之はそれを無視して階段を駆けあがる。
カナタに触れているせいで吉之の操っている色式が暴走していることは、わかっていた。ときわ大森林で見たあの色式で造られた木と同じ状態だ。カナタの力で色の力が増幅されてしまっているのだ。吉之の身体にはいつも以上の負担がかかっている。
「吉之。シノグ。みんなあたしのせいで――」
吉之の耳元で、カナタの震える声が聴こえた。カナタの両手の指が十本とも吉之の背中の皮膚に食い込むほどに力が加えられていて、カナタの腕は苦しいほどにしっかりと吉之の首元に回されていた。
「やめろ。お前のせいじゃない。これは俺たちが勝手にやっていることなんだ」
吉之は出来るだけ優しい口調でカナタを宥める。
「でもっ」
「いいかカナタ。俺はともかくシノグの勇気は無駄にするな。あいつだって恐怖で心が圧し潰されそうなはずだ。それでも鬼に立ち向かうことを決めた。俺たちを信頼してくれた。それだけは忘れたらだめだ」
自分に言い聞かせるように吉之は言った。
そうでないといけないと思った。そうでなければシノグに申し訳ないとさえ思った。
「……うん。わかった」
泣きそうな声で小さく頷いたのがわかった。いや、吉之の目には見えないだけで泣いているのかもしれなかった。カナタは素直に納得してくれたようだった。それからはただ黙って吉之に担がれていた。吉之は先の見えない不安と両手両足の痛みが頭の中を支配していくことに、恐怖を覚えていた。吉之の耳に聴こえるのは、距離が開くにつれ段々と小さくなっていく下方で鳴る銃声と、自分の荒い呼吸音と、カナタの静かに泣く声だけだった。
たんたんと続く光る階段。いくら先を見据えても、螺旋階段の彼方の闇はなかなか消えてくれなかった。
何度目かの大きな振動を感じて、吉之は一瞬だけ立ち止まった。けれどすぐにまた階段を登りだす。足をとめてしまえばもう前に進めなくなると、そう思ったからだ。
螺旋階段の終わりが見えたのは、それからしばらく経ってのことだ。吉之は思わずカナタの尻を軽く叩いた。
「おい。もうすぐ着くぞ」
吉之が教えると、カナタが身体を少しだけひねって吉之と同じ方向を見る。
「本当だ」とカナタが呟いた。
やっとの思いで踊り場に着くと、吉之はゆっくりとカナタの身体を降ろす。扉のない出口があり、それは外に続いている様子だった。カナタは地面に足をつけると、急いでその出口から外へでていった。吉之はそれを見るとカナタの後をついていこうとしたが、それは叶わなかった。カナタから離れた瞬間、吉之の身体は瓦礫のようにその場に崩れ落ちた。意識が飛びそうになっているところを必死になって耐えた。動かない身体をなんとか引きずるように動かして、外へ出た。
見るとカナタは目の前にある光景に呆然としていた様子だった。
中央には巨大な機械がある。それは塔からさらに上に先の尖った極太の針のように伸びており、大きな液晶画面が機械の下のほうにくっついていた。
吉之はもう限界だった。見届けることはできないかもしれないと思った。うめき声をあげるとカナタが吉之のほうに気づいて、駆け寄ってきてくれた。
「吉之。大丈夫じゃないよね」
ひざを折り両手を床につけて、泣き腫らしたような目で吉之の顔を覗き込んでくる。吉之はもう動けなかった。うつぶせに倒れ、顔だけをあげている状態だった。
「カナタ。あとは任せていいか」
弱々しい声で、吉之は言った。
カナタが頷く。
「うん。頑張ってみる。だから吉之、死なないでね」
「死ぬわけないだろう。緑色式を、編んで。すぐ、動けるようになるから……」
上手く口が回らない。吉之はとぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
「ごめんね。あたしが色式を使えないから」
他意はなかったのに、どうしてかカナタは申し訳なさそうに謝ってくる。
「何で謝る。お前は、力を貸してくれたらそれでいい」
「うん……」
カナタが小さく頷いて、右手を差し出してくる。吉之はその手を取り、緑色式を編んだ。カナタの力で増幅されて、色式はすぐに吉之の身体を癒しだした。緑色の光が吉之の周りを飛び交っている。身体の痛みが嘘のようにひいていく。
「ありがとう」
「吉之。あたし、あの機械を触ってすぐに戻ってくるから。ここで待ってて」
「ああ。安心して行ってこい。きっとシノグも鬼を何とかして、ここに来るから。そうしたら、お前を一緒に見届けて――」
瞼が重たくて、吉之はそれ以上言葉を続けることが出来なかった。
色式が吉之を優しく包んでいた。布団の上で眠っているように感じられて、吉之は自然に眠りに入っていった。最後に見たのは、母のように優しく微笑むカナタの姿だった。
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