7
揺れに足をとられながら、シノグとカナタと吉之は螺旋階段を登っていた。かなりの高い位置まで登っているはずだが一向に到着しない。全体の半分まで来ているだろうか。誰も答えを知らなかった。
階段を上るペースを早めたので、息が上がるのも早かった。最初にギブアップしたのは勿論カナタだった。地下でしか生活したことのない彼女には、この長い階段を上るのは酷だ。加えて謎の声が頭の中で響いているという話だ。相当辛いだろう。
「大丈夫か」
ついに立ち止まったカナタの手を握る吉之。カナタの顔色は青ざめている。彼女は息を切らしながら顔を横に振った。
シノグは手すりから身を乗り出し、上と下を交互に確認する。光る階段の他はまったくの闇であった。
「何を――」
カナタがシノグの背後で呟いた。
そのとき、下方から何か大きな音がした。おそらくは鬼が外から結界を壊し、塔の壁を何度も殴りつけて瓦解させたのだろう。揺れが収まったかわりに、その巨躯がゼロの塔の内部に侵入してきたのがわかった。シノグが見ていた深淵の中に、さらなる闇が顔を出した。
シノグたちが登った段数分は足りなかったが、それでも鬼を伸ばしてしまえばすぐに捕らえられてしまうのではないかと思うぐらいに近い場所に、鬼の頭部が見えた。
「まずいですね」
シノグはそう言って懐から銃を取り出す。両手で構えてから、カナタと吉之のほうを振り返る。そして叫んだ。
「二人とも、先に行ってください!」
「シノグ? 何を言って」
戸惑うような声が、カナタの口からもれた。
「吉之。カナタを頼みます」
シノグはしっかりと吉之と目を合わせてそう言った。
「はぁ? ふざけんな。何かっこつけてひとりで行こうとしているんだよ」
吉之が怒ったように言う。
「ふざけているわけでも、格好つけているわけでもありません」
息を吐きながらシノグは返した。
「じゃあ、何だ」
「僕はあなたを信頼しているんです。人として、家族として」
シノグの放った言葉に、吉之が目を丸くしたのがわかった。
「必ず追いつきます。だから心配しないでください」
シノグはそう言って、微笑んでみせる。震える手を、声を隠しながら。
「……わかった」
一瞬の間を置いて、吉之が真剣な表情で返事をした。
「ちょっと、吉之?」
顔をしかめているカナタの身体を、吉之が両手で持ち上げてそのまま担ぐ。
「やだ、離して。吉之!」
肩の上で手足をばたばたさせて、カナタが抵抗した。しかし吉之はそれに動じなかった。冷静に両手でカナタの身体を抑える。
「悪いがそれは出来ない」
吉之がそう言うか言わないか。彼は身体に橙色の光を纏いだす。両手両足に、色式を編み始めたのだ。
自殺行為だ。とシノグは思ったが言わなかった。言えなかった。今この状況を打開する策は確かにそれしかなかったからだ。
「吉之? そんなことをしたらっ」
カナタも気づいたのか、慌てたように言った。だがもう遅かった。吉之が橙色式を展開した瞬間。吉之のマントの隙間から見えていた両腕の包帯が繊維を割かれてその役割を意味のないものにしていく。袴で隠れて見えないが、両足も同様の状態だろう。吉之の筋肉が今度こそ限界を超えてしまうのではないかと思うぐらい、膨れ上がっていた。
「死ぬなよ」
吉之がシノグに向かって言う。
「そちらこそですよ」
シノグは吉之に向かって言った。
お互い死ぬ気はないが、無茶をしようとしていることぐらい察していた。でも。それでもそうするしか選択肢はないように思えた。
それから、シノグと吉之はほぼ同時に行動を起こした。
「やめて――っ」
カナタの声が塔の中で反響している。
吉之は問答無用に再びその足で階段を駆けあがり始め、シノグは後ろ髪を引かれる思いで今まで必死で登ってきた階段を駆けおり始める。その手に握りしめた銃に力を込めて――。
ヒイラギ先生は、僕たちの選択をどう思うだろう。ふとそんなことを思ったが、足を止めるわけにはいかなかった。カナタを守ること。それがシノグにとって生きる意味であり続けていた。十七年前のあの日からずっと。カナタと初めて出会ったあの日からずっとだ。
鬼がぬっと片手を伸ばし螺旋階段の手すりを掴もうとしている。シノグは急いで銃に色式を展開し、その手を目掛けて青白い光の弾丸を放つ。鬼の手はあと少しで手すりを掴めるところで静止した。だが、このシノグの色式で造った氷はそんなに長くはもたない。せいぜい一・二分といったところだろう。それでも僅かに時間を稼ぐことが出来るのならばそれで良い。何度かかってこられても何度だって銃を撃つ。シノグにはそれしかできないのだから。
「ここから先は行かせませんよ」
震えるような声が、シノグの口から零れる。
後悔も劣等感もすべてかなぐり捨ててしまえたら、どんなにかよかっただろうと思う。背負った荷物をすべて放り出せたなら、どんなにかよかっただろうと思う。
「絶対に」
――それでも前に進むことが出来るのなら、恐怖に打ち勝つことが出来るはずである。
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