ゼロの塔の周りには、それこそ何重にも張り巡らされている結界があった。ヒイラギと京太郎が協力して結界を張ったのだろう。来るべきこの日に備えていたのだ。

 入り口から塔の内部へと足を進めると、広い空間の中央に螺旋階段が見えた。階段は塔のてっぺんまで伸びていた。そのまま屋上に出られそうだった。


「これを登るのですか」


 ため息交じりに、シノグが言った。

 いくら吉之でもこれは体力が持つかどうかわからなかった。


「急がずに、ゆっくり登ればいい」


 吉之はそう言いながら、硝子の入っていない窓の外を見る。綺麗な臙脂色の夕焼けが見える。

このままだと塔のてっぺんに付くまでには夜になっているだろう。

 色式士協会とあげは会が衝突するまで、あと数時間といったところだろうか。


「気になりますか。あげは会のこと」


 吉之の顔を覗き込みながら、シノグが言った。ごまかしても仕方がないので素直に答える。


「気にしても仕方がないとは思っている。仙道京太郎の言うとおりだよ。結局は、俺ひとりの問題じゃないから、俺が何をしたって意味がないんだ。なら本来の役目を全うするしかない」


 決意するかのように、吉之は右手の拳に力を入れた。

 シノグは眉を八の字にして笑った。


「これは僕の憶測で、確証はありませんが。もしも争いが一瞬でも止められるとしたら、それは僕たちにしかできないことです」

「ん?」


 シノグの言葉に、吉之は首をかしげる。


「この塔はどこまでも高くて。地上都市のどこからでも姿を見ることが出来ます。僕の言いたいこと、わかりますか」

「本当に確証のない話だな。それとも、何が起こるか知っているのか」

「実は、あなたには言っていないことがありましてね。先生の研究ですよ」


 シノグは言いながら、螺旋階段を登り始めていた。というのも、カナタが先に登り始めてしまっていたからだ。吉之もシノグの後を続いて階段に足を乗せた。


「僕はあなたより、先生から聞いている情報が多いんです。先生は彩に来るたびにこの塔の研究もしていたそうです。それで、何度か調べてわかったことがひとつ。この塔は巨大な何かの装置だということ」

「装置だと?」

「はい。先生はこの螺旋階段を全て登ったわけでもなさそうでしたが、調べてわかったことがあったそうです。この塔は彩の技術ではなく、メイの技術が使われて建築されています。そして神の箱船の逸話の疑問点。箱船はどうやって空の上にいったのか。――何度も言いますが、これは憶測です。箱船と塔。それから色式。この三つが何か関係しているのかもしれないという」

「何かか。そう言えば理事長も塔のてっぺんには何かがあるって言っていたな」


 思い出し、眉をひそめる。はっきりとしない情報ではあるが、それは最初からすべてがそうであった。ヒイラギの話と例の本の信憑性について、吉之は先ほど色式で創られた木に触れたカナタの身体の中にある色の力量を見るまでは、薄いと思っていた。完全に信じていなかったわけではない。半信半疑だっただけだ。そうでなければこんなところまで護衛を引き受けなかっただろう。

 真上に視線をやると、螺旋階段の中心部は黒い穴のように見えた。今にも吸い込まれそうな感覚に陥り、恐ろしさを覚える。どこまで続いているのか見当もつかない。

 吉之は首を振り、今登っている階段に意識を集中させる。考えたって仕方がない。進むしかないのだ。


「ねぇ!」


 螺旋階段の上のほうの手すりから身を乗り出して、カナタが吉之たちを呼んだ。いつの間にかカナタとの距離が開いてしまっていたらしい。

 吉之とシノグはカナタのほうを見上げていた。


「何か聴こえない?」

「え?」


 カナタの質問に、吉之とシノグはほぼ同時に首を傾げた。


「何も聴こえませんが。どうかしたんですか」


 シノグがそう返事をしたときだった。

 地鳴りのような音と共に、足元が揺れた。その影響で吉之は階段を踏み外して一段降りた。急いで手すりに捕まる。

 カナタの悲鳴が小さく聴こえたが、揺れに驚いたのだろう。


「何だ」


 まだ何もしていないのに、何かが起こっているようだった。

 吉之と同じように手すりに捕まっていたシノグが、「まさか」と声を上げた。慌てた様子でシノグが塔の窓の外を覗いた。その行動を見て、吉之はシノグが何を察したのかが何となくわかってしまった。


「おい。シノグ。まさか結界が破られたのか」

「まだ大丈夫なようですが。時間の問題かもしれませんね。でもどうして。鬼は色式には触れないはず。それにこんな狂暴化するなんてこと、あり得ない」


 シノグは何かまだぶつぶつと言っていたが、吉之はシノグの横を通ってカナタのいる段へ登った。カナタはうずくまっている。


「おい。カナタ。大丈夫か」


 尋ねるとカナタは首を横に振った。


「声が。また大きくなっている」

「声?」


 吉之は首を傾げた。下段からシノグがカナタに話しかける。


「カナタ。声は、何と言っていますか」

「ミツケタって。ヤットミツケタって。それともうひとつ」

「もうひとつ?」

「ユルシテって」


 カナタの言葉を聞いて、シノグが顔をしかめていた。二人の会話を、吉之は理解できていなかった。

 こうしている間にも、塔は酷く揺れていた。地下鉄の揺れとも、馬車の揺れとも違う。何かに殴りつけられている衝撃で揺れているみたいな不規則なものだった。


「カナタ。まだ歩けますか」


 シノグの問いに、カナタは頷いた。


「とにかく急いで登りましょう」


 深刻にシノグが言う。

 螺旋階段が煌々と光を帯び始める。外が暗くなってきたから自動で灯りが付いたのだろうとシノグが説明してくれたが、吉之は「階段じゃなくて、エレベーターを造ってほしかったな」と悪態をつく。


「ホントですね」とシノグが言った。

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