整備されていない道を、歩いている。カナタの足と気持ちはどんどん重くなっていく。そのことに気づかないふりをしている。前を歩く吉之は地図とにらめっこしていた。その隣を歩くシノグが何かをしゃべりながら吉之の持っている地図を指さす。木に目印が付けてあるらしく、それを探しているのだとか。

 学校を出てから、京太郎が手配してくれた馬車に乗った。その馬車は先ほどのものよりも少しだけ良い馬車だった。


「流石に色式士協会のトップは羽振りがいいですね」とシノグが言った。吉之は鼻で笑っていた。


 カナタとシノグと吉之は、その馬車の中で充分に身体を休めることが出来た。御者が失われた土地の手前まで馬車を止めたので、そこから先は徒歩で行くしかなかった。廃墟と瓦礫だらけの廃道をただひたすらに歩く。

 カナタには、もう二人の声がまともに聴こえていなかった。失われた土地を抜け、ときわ大森林へ入ったころから、再びあの声が聴こえ始めたのだ。二人には言っていない。余計な心配をかけると思ったからだ。

 声で頭の中を支配されている。それはまともに聴き取れる言葉であったり、そうでなかったりした。『ミツケタ』とは、何を見つけたのだろうか。もしかして自分のことかもしれない。とカナタは不安に思う。思いながら、付いてきてくれると考えを改めた吉之の背中を見つめた。


 ――大丈夫。あたしには、シノグと吉之が付いている。


 そう思うことが、今のカナタにできる唯一の事だった。


「あった」


 ふいに吉之の声が鮮明に聴こえて、驚いた。

 シノグが側にあった木に触れる。それは遠目では他の木と変わらないが、近くで見たら色が塗られている絵みたいな木だった。中央に四葉の文様が書かれている。それが印らしい。


「やはりそうですか」


 シノグが言った言葉に、カナタは首を傾げた。


「これ、色式で作った結界になっているんです」

「結界?」

「はい。この木が他と違うのは、色式で作った木なんです。この印もそうです。桃色と緑色と黄色と青色で塗られた四葉の紋章。これは確か色式士協会のものですよね。吉之」


 確認するかのように、シノグが吉之のほうを見た。

 吉之が頷いた。


「ああ。確かに。それは協会のものだ」

「なので、この木を他にも探してください。僕が地図を見て方角だけ教えます」


 そう言って、シノグが手に持っていたコンパスに視線を移す。


「鬼はこの木に近づけない。木に沿って歩けば、結界の中を安全に進めるってわけか」

「そういうことです」


 なるほど。とカナタは納得する。色式の木がカナタたちを守ってくれている。木の側にいるから鬼の声がカナタに聴こえなくなったのだ。

 ほっとした気持ちで、カナタが木に触れようとしたそのときだった。


「カナタ。触れてはダメです!」

「え?」


 シノグが止めたときには、もう遅かった。

 カナタの視界が白い光でいっぱいになった。何が起こったのかまったく理解できなかった。


「きゃあ!」


 指先に熱を感じて、カナタは悲鳴を上げた。後ずさると、カナタの身体をシノグが受け止めた。視界が戻ったのは数秒後。木が先ほどより大きくなっている気がする。


「な、何?」


 戸惑い目を丸くしていると、シノグが言った。


「これが、僕と先生がカナタに色式を教えなかった理由です」

「どういうことだ」


 吉之が顔をしかめている。


「カナタは、普通の人より色の力が強いんです。今なら理解できます。カナタは普通の人間ではないから、色の力が強すぎるんです。だから色式を暴走させてしまう。どうあっても、持ちすぎた力を操ることができないんです。僕と先生はカナタに色式を操ることは無理だと判断しました。それが教えなかった理由です」

「そうだったんだ」


 カナタは自分の両手を見た。火傷したかのように木に触れた右手の指先だけ赤くなっている。


「痛いですか」


 心配そうに、シノグが言った。

 カナタは首を横に振る。


「熱くてびっくりしちゃった。そっか。あたしやっぱり人間じゃないんだね」


 その事を実感して、少しだけ淋しく思う。そのことを察したのかシノグが慌てたように「あ、でも」とつけたす。


「おそらくそういう力の部分だけですよ。人と違うのは。あとはほら。僕たちと同じでしょう」


 シノグがカナタの両手に自分の両手を重ねた。その手がとても温かくてカナタは思わず握る。


「うん。ありがとう」


 それから微笑んだ。


「無理に笑うなよ」


 吉之が不愛想に言うので、カナタは彼のほうへ視線を向ける。


「無理してないよ」

「無理するぐらいなら、素直に泣けばいいだろう。不安なんだろう。淋しいんだろう。哀しいんだろう。そういうのもっと、素直に出してもいいんだ。――家族なんだから」


 吉之がそう言って、視線を逸らす。明後日の方向を見る吉之に、カナタは目を丸くした。


「今、吉之。家族って……」

「言いましたね」


 シノグが肯定してくれる。


「言ったら悪いか」


 吉之はそっけなく言う。もしかしたら照れているのかもしれない。


「ううん。ううん。嬉しい。嬉しいよ!」


 カナタは一生懸命に首を横に振った。吉之がついに自分たちを家族だと認めてくれたのだと思うと、胸の奥がじんわりと温かくなった。カナタは自分の胸を右手で抑える。この感覚を忘れないでいようと思った。


「理事長さんがね。あたしにも戻ってきてほしいって言ってくれた時、驚いちゃった。だってそんなことまったく考えていなかったから。当然のようにね。あたしは神たちの元へ帰って一緒に暮らすのかと思ってた。神に会って、地上の事。鬼の事。何とかしてもらえるかどうかわからないけれど、何とかしてもらって。その後のこと。そういう風に考えたことなかった」

「カナタ」


 カナタの言葉に、シノグが眉をひそめる。


「だからね。シノグと吉之がその後に淋しくないかなってことばっかり考えていた。自分勝手だったかもしれないね。自分が何者なのかわからなくて。自分がこの世界にいちゃいけないような気がしてた。でも、待っていてくれるんだよね。みんな。シノグも吉之も。理事長さんも。だから戻らなきゃね」


 そう言って、カナタは歩き出す。不安も淋しさも哀しさも恐ろしさもあるけれど、それ以上に安心も嬉しさもある。だから怖くない。カナタはひとりではないのだから。

 夜になる前に、ゼロの塔へ登らなければならない。

 カナタに押されるように、シノグと吉之も歩き出した。

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