日も落ちてきていて、周囲は暗く。灯りと言えば宿の入り口にぶら下がっている二つの提灯だけだった。

 吉之は宿の前で、とある人物と対峙していた。酷い猫背の男だ。どこかで見たことがある気もする。確実にあげは会の人間だろうなと吉之は思った。


「悪いな。こんなところで」

「あんたは……」

「知らないか。俺、村瀬ってんだけど。まぁこっちが一方的に知ってるってだけだから、問題はない」


 村瀬の言葉に、吉之が戦ったことはない人物であるということだけは理解した。おそらくは、序列三位以上だ。美咲より上の順位にいる人物であるのは、間違いないだろう。


「どうしてここがわかったのかっていう顔をしているな。簡単な推測だよ。お前があげは町に現れたって聞いたからな。お前は必ず情報を求めにこの宿にやってくる。だからちゃんとした情報を、優木に流しておいたのさ。感謝しろよ」


 そう言って、村瀬は笑う。ひゃっひゃという笑い声に、吉之は気持ち悪さを感じた。

 手のひらで踊らされそうなそんな気がする。


「あんたはそれで、俺をどうしたいんだ」


 吉之は、素朴な疑問を口にする。


「悪いが、お前には消えてもらおうと思っていてな。お前が連れているあの二人。メイの人間だろう。俺はメイの人間が大っ嫌いでな。あの二人を消すにはまず、お前を消さなきゃならないっていう寸法だ。どうだ。お前が素直にあの二人を俺に差し出せば、お前を消さずに済むんだが」


 紙のように軽い口調で言う村瀬を、吉之は睨みつけた。

 メイの人間。つまりはカナタとシノグのことを指しているのだろう。シノグの方は元々彩の人間だが、今はそんな細かいところを気にしている場合ではない。


「あの二人には、手を出すな」


 吉之はそう言いながら、両手で橙色式を編み始める。


「おお、怖い怖い。けれど、残念。お前はここで消える運命なんだよ」


 村瀬が何かを構えるように腕を動かした。こちらに向けられた右手には、小さな両刃の武器を持っている。それは青い光を纏っていた。


「そんな運命は、ない」


 吉之がそう言った瞬間だった。視界から村瀬の姿が消えた。それは一瞬のことだった。


「どうかなぁ」


 目を見開いた吉之の背後から、村瀬の声がした。いつの間に移動したのか。吉之にはさっぱりわからなかった。

 反射的に振り向こうとしたが、首元に刃を突き付けられていることに気づいて、首は動かせなかった。とっさに村瀬の腕を掴んでいなかったら、今頃は血まみれになっていただろう。


「何をした」

「それを言っちゃうと、つまらないから」


 吉之は右足に橙色式を展開して、回すように振り上げた。その足は村瀬に当たらず空を蹴った。吉之はそのまま身体を一回転させていたので、後ろにいるはずの村瀬が再び消えたように見えた。


「おっと、危ない」


 村瀬の声が、また背後から聴こえた。

 何が起こっているのかわからない。吉之はゆっくりと後ろを振り向いた。そこに立っている村瀬の足元から膝上にかけて、青く白い光の式が展開されていた。

 吉之には、青色式がどんな現象を起こしているのかがわからない。


「その困惑した表情。俺は好きだよ」


 村瀬が笑う。


「あんたのその笑い方。俺は好きじゃない」

「よく言われる。でも、やめられないんだよね。癖になっているから。だから俺は、不快感を相手に与え続けている。自覚しているよ。ちゃんと」

「自覚しているならば、直す努力をしたほうがいいんじゃないのか」

「そうだねぇ。お前の言う通りかもしれない。でも、例えばそれをすることによってやめられたとして、それを持続することが俺には難しい。それに、俺がこの笑い方をすることを知っている人にとって、俺がこの笑い方をやめて別の笑い方をしたら違和感があって気持ち悪くないかな。そう考えるとどちらにしろ俺は相手に不快感を与えることになる」

「それは、そうかもしれないが」

「ようは、慣れだと思うんだ。慣れることがすべて。痛みだって慣れてしまえば平気だろ」

「まぁな」


 返す言葉がなく、吉之は同意する。


「だからさ」


 と言った村瀬の姿が、三度吉之の目の前から消える。


「お前もすぐに慣れるよ」


 背後から声がして、吉之はすぐに振り向く。


「いない」


 吉之は急いで周りを見回すが、村瀬の姿がどこにも見えない。


「どこへ」

「どこにも行ってないよ。ただお前の目には見えないだけ」


 村瀬の声だけが、聴こえてくる。

 吉之の頬に何かが触れた。痛みを感じたので手で触ると、血がついている。姿の見えない村瀬に刃物で切られたのだとなんとなく思った。


「うっ」


 身体のどこかに痛みが走るたび、声が出る。見えないものに翻弄されている。

 吉之はただ立ち尽くす。何もできない。こうしている間にも傷はどんどん増えて、衣服は切り刻まれていく。


「どこだ。どこに……」


 どこにいるかわからない村瀬を掴もうとして手を伸ばすが、その手は何も掴めないどころか、着けていた手袋が切り刻まれるだけだった。


「お前の悪いところは、目に見えるものしか見ないことだ。俺がどうしてこんな回りくどい戦い方をしていると思う」


 村瀬の声が質問を投げかけてくる。


「知ったことか。いいから姿を見せろ」

「どうして姿を消せる俺が、わざわざお前をこんなところに誘い出してまで、お前の連れを消そうとしたと思う」

「――え?」


 村瀬の言葉に、吉之は思わず宿のほうを見る。


「そう。時間稼ぎだよ」


 背後から村瀬の声が聴こえたとほとんど同時に、腹部に激痛が走った。


「ぐっ」 


 吉之は右膝を折る。腹を手で押さえるが、外套に血が染みていくのがわかった。


「俺は余計なおせっかいをすることが好きなんだ」


 そう言って、村瀬は笑っている。

 吉之は村瀬を見上げていた。全身の切り傷の痛みが、腹の痛みで上書きされたようだった。 

 急いで緑色式を編む。痛みを緩和させないと、動けそうになかった。色式を展開しながら、吉之は立ち上がる。

 まんまと村瀬に踊らされた。村瀬の狙いは、最初から吉之ではなかった。カナタとシノグのほうだった。あの二人と吉之を離れさせるために、吉之を宿の外に誘い出したのだ。カナタとシノグのもとにいかないといけない。二人が危ない。もうひとりの誰かが、二人を狙っている。

 吉之はそう理解して、色式での治療を続けながら駆け出した。

 村瀬の不快な笑い声だけが、薄暗いあげはの町に響いていた。

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