二人を守らなければ。と吉之は思っていた。

 橙色に光る腕を振り上げ、必死にその強化された筋肉で鬼に攻撃を仕掛ける。ひと振り目は鬼の右足に直撃したが、鬼はその巨体を少しも動かさない。固くも柔らかくもない。ただそこに何かがある感覚があるだけなのに、当たったという確証がある。

 吉之は橙色式を右手右足、左手左足に展開する。助走をつけるように走り、鬼の後ろに回り込む。鬼は吉之の姿を追うように首を振った。

 鬼に弱点があるとすれば、おそらく頭だろう。吉之はその色式を展開したままの両足で飛び上がる。外套がひらりと風になびいて広がり、中に着ている着物と袴があらわになった。

 しかし、もう一度飛び上がらないと頭まで届かない。吉之は鬼の体に蹴りを入れるとその反動で再び飛び上がる。

 鬼の口元まで来ると、吉之は拳を振り上げる。

 そのとき。鬼が口を大きく開けた。

 吉之は目を見開いた。

 喰われるという恐怖心が、一瞬だけ吉之の心の中を侵食した。


「吉之!」


 シノグの叫び声が聴こえた。

 しまったと吉之は思った。

 眼前には鬼の大きな口が開かれていて、丸のみにされる一歩手前だった。頭まで飛ぼうと思ったときに、口のことを考えなかったわけではない。予想外だったのは、鬼の口が裂けているのではないかと思うぐらいの大きさだったことだ。顔と思われる部分の半分が口だった。その大きさが初めからわかっていればそんな危険なことはしなかった。頭の上に着地していればまだ大丈夫だったかもしれない。

 自分ひとりがなんとかしなければいけないという焦り。それと、自分の力ならなんとかできるという傲り。二つの気持ちがぶつかり合って、この結果を招いた。

 かっこわるい。いいところを見せたかった。そんなあきらめの気持ちを振り払い、吉之は鬼の唇を両手で掴んだ。閉じられるまでの数秒を逃すはずがなかった。

 両手と両足を使い、なんとか鬼の唇に挟まれる。


「ここで、喰われるわけにはいかないんだよ」


 吉之は腕に力を入れながら言った。

 鬼の口の中が見える。中も身体と同じで闇一色だった。

 力尽きたら喰われるのは想像できるが、どうしようもない。片腕で口を押さえつつ赤色式を編むことさえできたらこの状況を脱却できるかもしれない。しかし、そんな力を使ってしまえばまた無理をすることになる。

 こうして考えている間にも、鬼は口を閉じようとしている。吉之の腕に負荷がかかる。


「ぐっ」


 歯を食いしばりなんとか耐えている状態だ。


「くそったれ」


 吉之は左手の力を振り絞る。右手をゆっくりと離す。

 その瞬間。信じられないことが起きた。


「あ?」


 思わず声が出る。

 それは一瞬の出来事だった。突然、腕にかかっていた負荷がなくなった。同時に、氷のような冷たさが左手に伝わってきた。何が起こったのか、すぐに理解することはできなかった。

 左手だけで掴んでいる鬼の口が、凍っているようにしか見えなかった。口だけではない。足元も固い氷に変わっていた。

 一瞬、他の色式士が手を出してきたのかと思ったが、


「吉之! 今のうちにとどめを刺してください。数分しか持ちません」


 というシノグの声が吉之の耳に届いた。

 どうやら、シノグの仕業らしい。両腕を離して下を見ると、シノグが銃を構えて立っていた。

 鬼を凍らせるなど、できるとしたら色式の力だ。しかしシノグが色式を使えるなどという話は今まできいたことがない。それとも地下の技術で何かしたのだろうか。


「何をしたんだ!」


 怒鳴るように吉之は尋ねた。


「説明するのは後です。時間がありません。早く!」


 シノグの指示に従うしかなく、吉之はまったく動かなくなった鬼の口から這い出てから、頭のてっぺんまでよじ登った。吉之は橙色式で強化された拳を力いっぱい振り上げ、そして鬼の頭部を粉砕した。鬼は頭から形を失っていき、霧散していった。

 足場を失った吉之は落ちると思ったが、両足に展開している橙色式があるので問題はなかった。吉之はそのまま綺麗に地面に着地した。

 カナタとシノグが吉之に向かって駆け寄ってくる。


「吉之! 大丈夫? ハラハラしたよ」


 カナタは吉之を心配してくれていたらしく、そう言った。

 吉之はシノグを睨みつけた。


「シノグ。どういうことだ。説明しろ」

「その前に」


 とシノグが吉之の言葉を遮った。

 シノグは吉之のほうを見ていなかった。彼は吉之の後方に視線を向けていた。

 ぱちぱちと誰かが手を叩く音が聴こえてきて、吉之もシノグが見ているほうに振り向いた。


「見事な連携だったわね」


 そこにいた女が、そう言った。

 吉之は目を丸くした。見覚えのある女だったからだ。


一之瀬いちのせ……美咲みさき?」


 思わず覚えていた名前を呼ぶと、美咲は口角を上げた。


「まぁ、嬉しい。覚えていてくれてたのね。季野吉之くん」


 栗色の長い彼女の髪の毛が、風で揺れた。白い菊の模様の入った赤い着物の袖も同時になびいた。

 吉之は、忘れるわけがないと思った。何故なら吉之は数か月前、彼女に殺されかけたことがあるからだ。一之瀬美咲。彼女は、あげは会の序列、第四位だ。

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