地上都市には色がない。その大半を鬼たちに喰われてしまっているからだ。

 かつて繁栄していたその都市には、活気がない。あるものといえば鬼への恐怖と怒り、そして悲しみだけだった。

 ヤナギ駅は閑散としている。シノグと吉之とカナタの三人は、列車を降りると階段を上った。地上には便利なエレベーターという機械はない。地下暮らしの長いシノグとカナタは息を切らしながら階段を一段一段上っていた。

 外へ出ると、久しぶりの光景に吉之は懐かしさと安心を感じた。実に一か月半ぶりの地上都市彩だった。

 吉之は身体を伸ばす。目立ちたくないからと貨物列車に乗ってきたのだが、荷物で狭い車内では窮屈な思いをした。


「おい。遅いぞ」


 吉之は自分の後ろを必死な顔でついてくる、シノグとカナタの二人を見た。


「はぁはぁ。待ってください。吉之。あなたと違って僕たちは体力がないんです。多めに見てくれませんか」

「カナタはともかく、シノグ。あんたは元々、彩の人間だろう。階段ぐらいなんてことないだろう」

「僕は十八年ぶりの彩なんです。無茶言わないでください」


 シノグが息を整えながら言った。


「十八年ぶり? 本当に一度も戻ってないのか」


 驚いたように吉之は言った。ヒイラギと共に彩へ来ることもなかったのかと尋ねた。


「ないですよ。僕は彩に未練なんてありませんでしたから。嫌なことを、思い出したくなかったんです」

「嫌なら、無理に一緒に来る必要はなかったんじゃないのか。俺がいるし」


 吉之が指摘すると、シノグは顔をしかめた。


「余計に心配なんですよ。あなたじゃ。目的をきちんと達成できるかわかりませんし。それにカナタと……」


 シノグが言い淀んでいると、その背後からカナタが顔を出した。


「カナタと?」


 話を聞いていたのか、そう言って首をかしげている。


「今は、少しでも一緒にいたいんです」


 少しだけ哀しそうな顔をして、シノグは言った。


「あたしもだよ」


 一方、カナタは笑顔でそう返事をした。

 シノグの立場を考えれば、複雑だろうなと吉之は思っていた。

 ヒイラギの目的を叶えるということは、必然的にカナタとの別れが待っているはずだ。それなのに。それでも空へ行こうと一番最初に決めたのはシノグだった。それに同意したカナタ。そして吉之は地上での案内役を引き受けた。 


「答えたくなかったら、答えなくてもいいんだが。その嫌なことってのは、もしかしてその隠している顔と何か関係があるのか」


 精一杯に言葉を選びながら、吉之はシノグに尋ねた。


「ああ。これですか。そうですね。ここまで来たら話してしまってもいいかもしれません」


 シノグが吉之とカナタを見て、微かに笑う。それから左手で長い前髪を掻き上げて顔の左半分を見せてくれた。


「あっ」と小さく声が出る。吉之は息を呑んだ。


 シノグの隣にいるカナタも彼の顔を見て、哀しそうな表情をした。

 シノグの顔の左半分が色を失っていた。正確には、闇のように黒くなっていた。黒を色と認識するのならば額から下にかけてすべてが黒く染められていた。眉も目もなく口も半分がなかった。

 ぞっとした。ホラー映像でも見せられた気分になった。恐怖を感じたのだ。

 シノグはゆっくりと話しだす。


「大した話ではないんです。ただ僕が、無力だっただけの話で。十八年前。僕が地上に住んでいた頃。ある日、鬼に襲われたんです。僕はそのときに顔の左半分を喰われました。そして両親は僕をかばって全身を喰われました。鬼はそれで満足したのか、残った僕を捨てて帰っていきました。そのとき僕はショックで気を失っていたのですが。目が覚めたらあげは会所属の色式士だと名乗る男がいて、その男が言ったんです。両親は死んだと」


 死んだ? 吉之は胸の中でその言葉に疑問を持つ。

 鬼に色を喰われたところで、身体が死ぬということはない。そのことは、モルフも言っていた通りだ。


「それは確かなことなのか」


 と吉之は言った。


「はい。僕は、両親は死んだと認識しています。なので僕は地下に住む親戚の家に厄介になることになったんです。まぁ、そこで上手くいかずに先生のところに行くことになったんですけれどね」


 暗い話のはずなのに、シノグは何でもないことのように言う。

 どうしてだろう。


「あんたの両親が死んだ原因は、本当に鬼に喰われたことなのか」  


 吉之は考えながら疑問を口にする。

 色式士の男の言い分を、シノグが簡単に信じたとは思えない。彼は吉之が思っているよりも聡明であるはずだ。

 シノグが目を見開いた。それから顔をしかめる。


「その疑問は尤もですが。では逆に質問します。あなたは、全身が喰われた人間の末路を見たことがありますか」

「ない」


 シノグの質問に、吉之は即答する。

 思えばそんな人間を見たことなど吉之にはない。大抵の人間ならば鬼に出くわした時点で逃げることを考えるだろう。だからシノグのように身体のどこか一部を失っていたりするのは見たことがあるが、すべてを。全身の色を失った人間を吉之は目にしたことがない。

 シノグはふうっと息を吐く。


「以前、僕があげは会の色式士であるあなたに銃口を向けたこと。覚えていますか」


 吉之は頷く。


「ああ」

「僕はあげは会の人間を、良く思っていません。僕の両親が鬼に喰われたとき。その色式士は、その光景をずっと見ていました。見ているだけでした。喰われている途中でそれを妨害しようともせず、ただただ何もせず見ていたんです。――楽しそうな顔をしながら」


 シノグが吉之の顔をじっと見つめてくる。同じあげは会の人間として、反応を見たかったのだろう。けれど吉之は顔色一つ変えなかった。

 ああ。そういう人間もいるのだろうなと思った。

 本当に、あげは会の連中はみんな少しおかしい。いや。だからこそ色式士協会にいられないのだろうとも思う。普通の枠組みに入れない。それがあげは会の色式士なのだ。けれど吉之もその中の一人だということを、忘れてはならない。


「両親は、全身を喰われ。色を失いました。その様は闇でした。夜よりも黒い闇。黒こげの死体のようでした。しかし輪郭ははっきりとしています。僕は、まるで鬼と同じだと思いました」


 シノグの言葉に、吉之はついに目を見開いた。


「鬼と同じ?」

「……はい」


 シノグは、ゆっくりと頷いた。


「おそらくは、本当に同じなのではないかと思います。なので鬼に喰われても死ぬことはない。それは間違いではありません。しかし正しくは、鬼に喰われたら鬼になる。です」


 シノグの言葉に、吉之は何と言ったらいいのかわからなかった。

 呆然としていたのだ。

 そんなこと、あっていいはずがない事実だと思った。

 今まで色式士たちが退治していた鬼が、元人間だったかもしれないという可能性があるという話になってしまう。

 色式士協会は、このことを知っているのだろうか。知っていて色式士を派遣し鬼退治をしているのだろうか。あげは会の人間は? 上の人たちは知っていそうではある。だから協会のやり方に反対を――?

 考えに耽っていると、シノグの隣にいたカナタが言った。


「なんか、ヴァンパイアみたいだね」

「ああ。確かにそうかもしれませんね」


 シノグは納得したように言ったが、吉之は首を傾げた。


「なんだ? それは」

「メイでは有名な伝承です。確か、彩でも似たような伝承があったはずですが。人間の生き血を吸う悪魔みたいなものですね」

「なるほど。確かに聞いたことがあるかもしれない。吸血鬼みたいなのと同じなのか」


 吉之はそう理解して、やっと納得した。

 伝承やそれを元にした創作なら、吸血された人間は同じく吸血鬼になってしまうはずだ。


「彩で鬼と呼ばれているあれは、そういう鬼の伝承の一部なのかもしれませんね。鬼に色を喰われた人間は鬼になってしまうという。ヴァンパイアは不死者だったりしますが、死んで蘇るという点では、まさに同じと言えるかもしれません」

「もしかしてさっき言っていた色式士は、気づいていたんじゃないのか。だから、死んだとあんたに告げた」

「そうだとしても。酷い話です」


 ふうっと、シノグが再び息を吐いた。


 シノグの両親が鬼と同じになってしまったというのが事実なら、彼は今どんな心境でここにいるのだろうと吉之は思う。

 両親が死んで、育ての親同然のヒイラギも死んで。彼に残されたのは、兄妹のように育ったであろうカナタだけだ。けれどそのカナタとも別れが決まっているようなものだ。

 どうしてと口にしかけて、吉之はやめた。尋ねても出発前と同じ答えが返ってくるだけだ。


 ――先生の遺言だから。


 吉之だって完全には納得していない。けれど、止めても無駄のように思えた。シノグとカナタにとってそれだけヒイラギ先生が絶対的な存在だということなのだろう。

 だから吉之は二人の意思に身を委ねた。案内役を務めつつ、二人を見守ろうと決めて、一緒に来た。

 ヒイラギは亡くなる前に、カナタを空に送り届けた後のある可能性を吉之たちに示唆していた。

 カナタを空に送り届けることで、世界を救うなんて大層なことができるかもしれない。

 ヒイラギの仮説が本当なら。

 神の力で、不可能を可能にすることもできるかもしれない。治らない病だって治せるかもしれない。

 ただ神が戻ってくることで。それだけのことで、二つに分かれた世界が。いや。三つに分かれた世界が再びひとつになる可能性だってある。

 ヒイラギはそう言ったのだ。

 吉之は期待などしていない。希望など持っていない。

 本当にそんなことができるのならば、やってみろという心持でいるだけだ。


「これからどうするの?」


 カナタが不安そうにシノグに尋ねる。


「これから、協会の管理する色式士養成学校へ向かうつもりです。そこに先生の知り合いの方がいるそうです」


 シノグのカナタへの返答に、吉之は自慢げに言う。


「俺はそこの卒業生だ。まぁ、証は卒業して即行で捨てたがな」

「あなたの行動力には、心の底から呆れます」


 シノグに軽蔑するような目線を投げられてしまった。


「勝手に呆れてろ。ほら、行くぞ」

「はいはい」


 シノグが肩をすくめた。

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