第四章 桃色の旅立ち

 その手紙が届いていたことに気づいたのは、仙道京太郎せんどうきょうたろうが彼の訃報を聞かされた後だった。

 確認書類に間違えて混じっていたらしい。

 速水柊はやみひいらぎは優秀な色式しきしき研究者で、旧知の間柄であった。その手紙は柊が生前に書いたものらしかった。急いで読むことにした。彼は病死だと聞いたので、何か遺書のようなものかと疑ったのだ。

 白い便箋に目を通すと、京太郎は息を吐いた。

 二人。いや三人が京太郎のもとへ向かうかもしれないこと。三人を導いてほしいということが書かれていた。

 京太郎は柊の事情をある程度は聞いていたが、まさか病気を抱えていたとは知らなかった。だからこそ彼の訃報と、この手紙を読んでやっと状況を理解した。


「そうか……」


 京太郎は導き手に選ばれてしまったらしい。


「いよいよなんだな」


 と京太郎は呟く。

 椅子に体重を預けるときしむ音がした。

 大量の書類に埋もれている場合ではなかった。


       *


 窓の外はずっと、暗闇のように黒かった。トンネルとよばれる場所を通っているんだそうだ。乗務員がそっと教えてくれた。彼女は深く帽子をかぶり直して、頭を下げてくる。その黒い制服は、彼女にとてもよく似合っている。邪魔そうに一つに束ねられた髪の毛は、くせなのか毛先が少しはねていた。

 一定間隔で、足をつけている床が揺れていた。ほぼ同時に何かの音もする。胃袋がひっくり返りそうなその振動に、カナタは必死に耐えていた。列車というものに乗るのは初めてだった。慣れない感覚が数時間は続いている。これは線路と車体が擦れておきる振動と音なのだそうだ。

 見上げると眩しいくらいに明るい天井には、蛍光灯が設置してあった。積み荷だけなら普段は消灯しているそうなのに、乗務員がわざわざ点灯してくれた。


「大丈夫ですか。カナタ」


 カナタを右隣から心配そうに見ているシノグが言った。

 カナタは無言で頷く。

 カナタの左隣には目を閉じたまま、起きているのか寝ているのかわからない季野吉之きのよしゆきがいた。

 現在、シノグとカナタと吉之は、大量の木箱に挟まれて身を隠していた。決して居心地がいいとは言えないその場所に、乗務員が気を使ってか灰色の毛布を持ってきてくれた。


「どうぞ、使ってください」と声を潜めながら乗務員が言った。

「いや。こんな扱いをしてくれなくてもいいんです。あなたにとって僕らはあくまでも侵入者でしょう」とシノグが返す。


 誰に許可をもらったわけでもない。ただカナタとシノグと吉之はとある目的と意思のためにここにいた。

 それは地下鉄道とよばれていた。地下と地上を行き来することのできる唯一の手段だ。

 貨物列車。地下の物資を地上へ運ぶ。その貨物に紛れたネズミが三匹いた。

 本来なら決して許されない行為だった。それをこの乗務員。カナタたちを見つけたにも関わらず追い出しもせず、車掌に報告もせず。かくまうような行為をするのだ。


「だってあなたたち、ヒイラギ先生の家族でしょう。だったら乱暴に扱うわけにはいきません」


 乗務員の言葉に、カナタとシノグはただ驚くしかなかった。

 まさか彼女からその名を聞くとは思ってもいなかったからだ。


「あなたは、なぜ先生の名前を」


 目を見開いてシノグが言った。


「あら。聞いていないんですね。頼まれたんです。ヒイラギ先生に。もし自分が死んだ後、三人が来たら地上へ送ってやってくれって」


 そう言いながら乗務員は一枚の写真をふところから取り出す。それはいつぞやに家族で撮った写真。視線は自然に先生のところへいってしまう。写真の中の先生は、笑っていた。

 ヒイラギ先生はほんの数日前に、病が原因で亡くなった。

 カナタとシノグにとっては先生であり、父だった。三人ともに血の繋がりはなくても大切な家族だった。

 郷愁にかられて、カナタは震えた。


「先生のことは、風の便りで聞きました。その。残念としか言いようがないですね。惜しい人を亡くしたと思います。私も、先生にはお世話になりました。だからせめてこれぐらいはさせてほしいです」


 乗務員の表情は暗かった。

 彼女にとっての先生はどんなだっただろうかと、カナタは見つめながら思う。

 視線を外して、顔を膝に埋めた。泣きそうだったからだ。先生のことではもう泣かないと決めたのに。誓ったのに。それをものの数時間で破ってしまうわけにはいかない。そう思って、我慢した。不安も恐怖も。今は押し殺す。


「そうですか。……ありがとうございます」


 シノグが言った。

 カナタが顔を伏せたままでいると、頭の上に手のひらを乗せられた。シノグは優しい手つきでカナタの頭を撫でた。先生がそうしてくれたように感じてしまった。また泣きそうになった。


「あなたたちは、このまま地上へ出てどうするつもりですか」


 乗務員が尋ねてくる。

 カナタはゆっくりと顔を上げ「世界を救いに行くつもりです」と決意するように言った。

 すると乗務員は馬鹿にするでも笑い飛ばすでもなくこう言った。


「そう。どうしても行くんですね。上に」


 彼女がどこからどこまで先生から事情を聞いているかはわからない。けれどその言葉には不安や心配を感じた。


「はい。三人でそう決めました」


 シノグが頷いて言った。

 先生はカナタたちに目的を託すと言ったが、どうするかは自分たちで決めていいとも言っていた。だからこれは三人で選んだことだ。先生のいない今。先生の目的を代わりに自分たちが叶える。この選択が正解か不正解かはきっとまだ誰にもわからない。おそらく先生さえわかっていなかっただろう。


 ――でも。それでも。カナタとシノグと吉之は行こうと決めた。上へ。空へ。


 不安と希望を乗せた列車は、やがて日の光を浴びる。

 向かう先は、地上都市彩だ。

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