6
「――なんですって!」
シノグが出した大きな声に、カナタはびくりと肩を震わせた。
彼がこんなふうに大声を出すことは珍しいことだったので、カナタは驚いてしまった。ただでさえよくわからない話ばかりを聞いていたので、頭が追い付かずにシノグが何故怒り出したのかすぐに理解することができなかった。
カナタは瞬きした。
向かい側にいるシノグは閉じた本を片手に持ったまま、椅子から立ち上がっている。目を見開いて眉をひそめて。何にも納得がいっていないようなそんな表情をしている。
「先生。あたし、ずっとここにいちゃいけないの?」
カナタはゆっくりとヒイラギ博士のほうを見て、そう尋ねた。カナタなりにヒイラギの話を解釈した結果の発言だった。
地上の空の上に、カナタを送り届ける。つまりはそういうことなのだろう。
本来ならばカナタはここにいる存在ではないと、そういうことなのだろう。
そう理解して、カナタは哀しい気持ちに襲われた。
シノグとは違い、ただ哀しい。淋しい。という気持ちで胸がいっぱいになった。
「それは……」
ヒイラギの言葉はそれ以上続かない。肯定も否定もしてくれなかった。
変な沈黙が流れた。それを壊したのはシノグではなく意外にも吉之の方だった。
「はっきり言えよ。本当の事。それが一番大事な話だろう」
呆れたように息を吐き、吉之が言った。彼は何かを知っている様子だった。
シノグもカナタも首をかしげるしかなかった。
「そうだな。吉之くんの言うとおりだ。肝心なことは何も話していない。いや、話す勇気がなかった。だから、吉之くんに背中を押してほしかったんだ」
「そんなことだろうと思ったよ」
と吉之は言った。
自嘲するようにヒイラギは笑う。それから深呼吸をしてから言った。
「わたしはもうすぐ死ぬ。だからわたしの願いを君たちに託したいんだ」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
「――え?」
シノグとほぼ同時にそう言ったと思う。
シノグの持っていた本を落とした音が、部屋に響いた。
カナタは目を丸くしたまま、石のように身体を固まらせていた。
吉之がソファから立ち上がり、落ちた本をゆっくりと拾う。
「ほんと、勝手だよな」
呟くように、吉之が言った。そして本をテーブルの上に置き、自分は邪魔だろうからと部屋から出て行った。彼なりに気を使ったのだろうか。
扉の閉まる音を聞いた瞬間、シノグが我に返ったように言った。
「先生。それは、本当の話ですか」
ヒイラギは静かに頷いた。
できれば嘘であってほしかったとカナタは思った。
「わたしは病気なんだ。しかも今の医学ではどうにもならないそうだ。もって数週間と言われたよ」
「なんで、もっと早く教えてくれなかったんですか」
「心配をかけたくなかったから。というのは建前で。本当はさっきも言ったとおり、言う勇気がなかったからだ。すまない」
「謝らないで、ください」
シノグが震えた声を出した。
「――だからなの? だからあたしはここにいちゃいけないの」
やっとの思いで、カナタは言葉を紡いだ。
死ぬ。死ぬっていうのは前に教えてもらったことがある。お別れ。けれど、離れるとはまた別で、もう二度と会えなくなること。希望なんて残らない。また会えることはない。
――ヒイラギ先生ともう二度と会えなくなるの?
「いやだ。絶対にいやだ!」
カナタは叫びながら、首を横に振った。
そんなのはいやだ。
「カナタ」
ヒイラギの優しい声が聴こえる。
「病気、治して。あたしができること何でもするから。お願いだから、病気治して。どこにもいかないで」
涙が、次から次へと溢れてくる。頬を伝って手の甲へ落ちる。
「治らないんだ」
ヒイラギの言葉が、氷のように冷たく感じた。そして重い。冷たくてカナタには抱えられそうもない。その冷たさを受け入れられそうにない。
「せん、せい。せん、せい……」
カナタは泣きながらヒイラギに抱きついた。ヒイラギの白衣がカナタの涙で濡れていく。
カナタは子どものようにわんわん泣いた。泣くことしかできなかった。あんまりにもカナタが泣くものだからシノグは泣けなかったと思う。
シノグは仕方ないなと言って、ヒイラギに抱きついているカナタを後ろから抱きしめてくれた。
「すまない」
とヒイラギが何度も言った。
「せんせい」
とカナタは何度も呼んだ。
ヒイラギがカナタの頭を撫でてくれる。カナタは離すまいとヒイラギの腰に回した両腕に力を入れる。
カナタにとってヒイラギは唯一の存在で、何ものにも代えられない。大切な人。大事な人。そんな人があと数週間しか一緒にいられないなんて、信じたくなかった。一緒にいるのが当たり前で、ずっとそうだと思っていた。
それなのに。どうして――。
どうにもならない。それが頭では理解できているけれど、どうにかならないかと考えてしまう。どうしたらいい。どうしたら、ヒイラギとずっと一緒にいられるのだろう。いくら考えても答えは出ないし、誰も答えられないだろう。
その日は泣き疲れて、カナタはいつの間にか眠ってしまった。
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