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「その本の内容を簡単に説明すると、こうだ」
ヒイラギは真剣な表情をして言った。
「かつて神々と人々は共存していた。神が国を生み人が治めていた。ところが、あるとき大災害が起こった。神の一族たちは災害を予知し、箱船を造って空へ上がった。大災害以後、帝国は神の存在を世界から抹消したが、一部では神話や御伽噺として残っている。これとほぼ同時期に鬼の存在が確認された。鬼たちは世界の様々な色を喰うことで生きている。大地、空、海、森。とにかく何もかもを喰う。それは人間も例外ではない。人々は怯えて暮らすようになった」
ヒイラギはそこで言葉を一度終わらせた。そして再び口を開く。
「この本にはそこまでしか書かれていない。現状を補足するならば色式という力を得たおかげで人間は鬼に対抗できるようになり、地上の人々は以前のような活気を取り戻しつつある。そうだろう?」
確認するように、ヒイラギが吉之のほうに視線を向けた。吉之は無言で頷いた。
ヒイラギは視線をテーブルのティーカップに移す。
「鬼は世界をふたつに分ける原因で、知っての通りひとつは『地上都市彩』もうひとつが『地下都市メイ』だ。鬼の出現前までは地上のみに暮らしていた。鬼から逃げるために皇帝が地下都市を造らせた。大昔から地下道として掘っていた穴があったらしい。最初はシェルターとして利用していたんだが、皇帝の命令により本格的に都市計画が進み、約十年ほどで形にされた。メイは未だに拡大を続けているよ」
話しながら、ヒイラギはティーカップを手に持ち、コーヒーをもう一口飲んだ。
「で。結局あんたはその本のことを信じているのか」
一人掛けソファに座ったまま両腕を胸の前で組みながら、吉之が言った。
馬鹿にするような物言いだったので、シノグは不満を覚えたが今は感情を抑えた。
吉之がその手の話を信じる奴ではないことは何となくわかっていた。だからシノグは反論したい気持ちを我慢した。
――ヒイラギが理由もなくタイトルも書いていない怪しげな本の内容を信じるはずがない。
案の定ヒイラギは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに答えた。
「もちろんわたしも最初は信じられなかった。しかし、あるものを目の当たりにしてしまったからね。信じるしかなくなってしまったんだ」
「あるもの?」
シノグが尋ねると、ヒイラギは何故だかカナタのほうに視線を移した。
「この子と……。カナタと出会ったから、わたしはこの本を信じることにしたんだ」
ヒイラギの言葉に吉之とシノグは顔をしかめ、当の本人。カナタはヒイラギを見て首をかしげていた。
ヒイラギはとても真面目な顔でカナタを見つめていた。
シノグは思い出していた。あの日のことを。あの、ヒイラギがカナタを抱きかかえて帰ってきた日。ヒイラギはカナタを地上で拾ってきたと言った。そしてこれからこの子の面倒を見ることにしたとも言った。シノグも最初は戸惑っていたが、ヒイラギの決めたことを受け入れるしかなかった。ヒイラギはシノグにとって恩人で、世話になっている身だったので尚更だ。
「先生。詳しく聞かせてくださいませんか。カナタを拾ったときの状況を」
シノグは言った。
聞くべき時が来たのだと思った。ずっと聞きたくて聞けなかったことだ。聞いてはいけないような気がしていたことだ。
ヒイラギは静かに頷いた。
「わたしが今でも彩とメイを行き来して、色式の研究をしていることを知っていると思うが。あの日も、彩での研究をしていた。雨が降っていたので、早めに切り上げて帰ろうとしていたんだがその途中で奇妙な光を見てね。気になってその光の行く先を確認しに行ったんだ。光は森の中から出ている様子でね。わたしの他には誰も確認しに行こうとはしていなかった」
「森っていうと、ときわ大森林か。あそこは特に鬼が出るからな。誰も近づこうなんて思わないだろ」
吉之が言う。
その通りだった。ときわ大森林は彩の中心地にあたる場所にあり、その周りは鬼に襲われた村。現在は廃村となっている土地に囲まれている。ヒイラギが近くにいたというのならその廃村での調査を行っていたのだろう。
「そうだね。しかしわたしはどうしても気になってしまってね。胸騒ぎがしたとでもいうか。とにかくわたしはひとりで森に入って、あの塔のところまで行ったんだよ」
「塔まで?」
シノグは驚いて声を上げた。吉之も顔をしかめていた。
ときわ大森林の中心部にある塔。誰が、いつ。どうしてその場所に建てたのかわからないその塔は、ゼロの塔と呼ばれていた。一説によるとその塔から鬼が生まれているのではないかともいわれている。
だから誰も近づかない。近づくことができないでいた。
ヒイラギは驚いているシノグと吉之を交互に見てそれから話を続けた。
「ああ。不思議と塔の入り口は開いていた。近くに鬼もいない様子だったので、わたしは迷わずその中に入った。そこで赤子と出会った。その赤子は光に守られているのだとわたしは何故だか直感した。わたしがその赤子。カナタに触れると、その光は自然に消えた。同時に、頭の中に声が聴こえた。彼女を守ってくれと」
俄かには信じられない話だった。
ヒイラギはふうっと息を吐く。抱えていた荷物をひとつ降ろしたようだった。しかしヒイラギの話はそこで終わりではなかった。
「不可思議なことが起こりすぎて、わたしは頭が混乱したよ。思わず周りを見渡したが、誰もいない。どうしたらいいのかわからなかった。目の前にはすやすやと眠る小さな赤子がいて、わたしの他にはそこに誰もいなくて。声が、わたしにその赤子を頼んできたのだと解釈するしかなかった。わたしは選ばれたのだとその時に悟ったよ」
「選ばれた? 誰に?」
吉之がヒイラギに尋ねた。
「神に。かな」
とヒイラギは答えた。
ヒイラギの聴いた声が神の声だという確証は、どこにもない。けれどヒイラギは確信している様子だった。
「……だったら。その話が全部本当だったら。あんたは何で俺たちに、その話をするんだ」
吉之のその言葉に、シノグは肩を震わせる。カナタに視線を向けると、彼女は真剣な表情をしてヒイラギのことを見ていた。
「あんたはその大事な話を。何のために俺たちに話した。結局、何が言いたいんだ。その本と、カナタを拾ったことと。何の関係があるって言うんだよ」
吉之は必死な表情をして言った。
「鋭いね。君のそういうところ、とてもいいと思うよ。結論を早く話せって言いたいんだろう。わたしもそうしたいんだが。まず前提として、神という存在について話す必要があった。何故ならそうしないと、本題に入れなかったからね」
ヒイラギは部屋の天井を見上げた。
「神は存在する。今現在も、地上の空の上に。だからわたしの最終目的は、その空の上に行くこと。行って、神の落とし子であるカナタを無事に送り届けること」
シノグの胸の中で何かが弾けた気がした。
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