5
屋敷の厨房には大きな冷蔵庫があり、毎回近くの市場に買い出しをするのは決まってシノグとカナタだった。料理はシノグが主に作るのだが、たまにカナタも手伝うことがあった。ヒイラギには料理の才能がなく、必然的にそれはシノグの役目になった。
カナタは料理の手伝いをすることが好きだった。一度ひとりですべて作りたいとシノグに言ったら、危ないからそれはダメだと言われた。火の扱いも包丁の扱いもできているのに、どうしてと問うと危ないからひとりのときには料理しないでと念を押された。
ヒイラギもシノグも心配性だなと思った。
カナタはもう十七歳で大人なのに、子ども扱いされるのはどうしてだろう。
ヒイラギとシノグにとってカナタは、いつまでも子どもなのだそうだ。
「カナタ。買い物に行かなくてはならないのですが、一緒に行きませんか」
自室で日記を書いていたら、ノックの音のすぐ後にそんな声が扉の向こうから聴こえてきた。
「あ、うん!」
カナタは返事をして、急いで日記帳を片付けて椅子から立ち上がった。
日記はカナタが五歳の頃にヒイラギからプレゼントされたものだった。可愛い花柄の表紙には、カナタの日記と黒いペンで書いてある。
日記を受け取ったとき、ヒイラギは言った。
『これがいつか、君の生きた証になるから』
だからカナタはその言葉を信じて、その日からずっと毎日欠かさずに日記を書き続けている。
窓から外を見ると、街の天井は茜色に染まっていた。時刻が夕方なのがわかる。
部屋から出ると、意外な人物と共にシノグが立っていた。
「あれ? 吉之も一緒なの?」
カナタが問うと、吉之の代わりにシノグが答える。
「うん。しばらくここにいるなら、色々と外を見てもらったほうがいいって先生が」
「しばらくいさせてんのは誰だっていう、話だけどな」
不満そうに、吉之が明後日の方向を見ながら言った。
吉之が屋敷に来て一週間以上が経つ。吉之は下層に降りたいらしく、エレベーターを起動するためのキーを持っているヒイラギに、キーを渡すよう日々頼みこんでいるようだが、ヒイラギはそれをずっとかわし続けている。
カナタはそれが少し可哀想とも思うが、吉之がずっと屋敷にいるので嬉しい気持ちもあった。
カナタは小さく笑ってから、あることに気づいた。
「吉之。ワイシャツ着てる。似合うよ! かっこいい!」
今まで吉之は着物と袴を着ていたのだが、どうしてか目の前の吉之は、白いワイシャツに紺色のズボンを履いている。見慣れない格好だけれど、カナタは素直に思ったことを口にした。
「な――。似合うわけあるか」
吉之が一瞬だけカナタのほうを見て、それから照れたように右手の人差し指で頬を掻いた。恥ずかしいのだろうか。
「えー。似合うのに」
頬を膨らませて言うと、吉之は玄関に向かって歩き出した。
「余計な話をせず、さっさと買い物にいくぞ」
背を向ける吉之を見て、カナタとシノグは顔を見合わせた。
「あれでよく、素直に着替えたね」
とカナタはシノグに向かって言う。
「これでも着替えさせるのに苦労したんですよ。最初は嫌がっていましたから。でも、洗濯していて着替えもないと言ったら、渋々着てくれたんです」
「ふふっ。吉之の扱いも上手くなってきたのかな」
「そうでもないですよ。さぁ、行きますよ。カナタ」
「はーい」
カナタは返事をすると、吉之とシノグ。二人の後ろをついて歩き出した。
ヒイラギに買い物に行くと告げてから、屋敷を出た。歓楽街へ行く反対側の路を歩くと、市場のある一番街に出る。立ち並ぶ住宅を通り抜けて、しばらく歩くと市場がみえてきた。
吉之が歩きながら周りを見回しているところを見ると、物珍しいのだなとカナタは思う。
スーパーマーケットと看板に書かれた建物に入ると、たくさんの品物が並んでいた。野菜や果物。食品。日用品までなんでも揃っていることに、吉之が感嘆の声をあげていた。
「すげぇ」
「なんにもすごくないですよ。ここではこれが普通です」
シノグがそう言って笑う。
「いや。お前も知っているだろう。こんな風に全部が色付きの野菜なんて地上にはほとんど売っていないんだ」
並んでいるキュウリを指して吉之が言った。
「知っていますよ。色なしは味がしなくて美味しくないですよね」
シノグが言いながら、吉之の前にあるキュウリを手に取り、買い物かごに入れた。
「ああ。だから美味いものが食べたければ、自給自足でもして自分で作るしかないんだ」
「へぇー。大変なんだね」
二人の会話を聞いていたカナタはそう言って割り込む。
ヒイラギはたまに地上の話をしてくれるが、シノグからはあまりその手の話を聞いたことがなかったので、驚いた。
シノグが必要な食料をどんどんかごに入れていく。カナタはメモを見ながらシノグを手伝った。吉之は後ろからその様子を眺めている。
必要なものをすべてかごに入れ終わり、会計所に行く。今日はいつもより多めに買い物をした。調味料まで買ったので荷は重い。かごを清算用の機械に設置して住民カードを認証させたら自動的にお金が支払われる仕組みになっているらしいが、カナタは正直よくわかっていない。
吉之は物珍しいものを見るような目をしていた。
設置したかごを見ると、機械が勝手に中の商品を袋詰めしてくれている。シノグはそれが終わるのを待って、吉之に向かってこう言った。
「荷物の方、分担して持ってください」
「俺はただの荷物持ちかよ」
「当たり前じゃないですか」
シノグが、不満そうな吉之に二つに分けられた袋を渡す。
カナタはそれを見てほほ笑んだ。
「何を笑ってるんだ」
と吉之がカナタに向かって言う。
「なんでもない」
カナタはそう答えて、フリルのついた赤いスカートをひるがえしながら二人より先に店を出た。
言えない。この時間がずっと続けばいいと思っただなんて。
絶対に言えない。吉之にずっとメイにいてほしいだなんて。
そんなわがままを、カナタは言えなかった。
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