それからの一週間を、吉之はこの屋敷で過ごした。

 何故かはわからない。吉之自身もそんなに長くここにいるつもりはなかった。いてもせいぜい二、三日だろうと思っていたのだが。

 今思えば、屋敷に来た日から攻防はもう始まっていたのかもしれない。


「ヒイラギ。エレベ――」

「今日の地上の天気は晴れだそうだよ。吉之くん。晴れた空と言えばこの間ね――」


 朝食の席でエレベーターキーの話を切り出そうとすると、吉之はヒイラギに言葉を遮られ、逸らされる。ここ七日間で毎日のように繰り返されている。

 たまに最後までちゃんと言ったところで、帰ってきた言葉はこうだった。


「エレベーターキー? はて。どこへ閉まったかな」


 下層へ行きたいから探してくれと懇願したら、ちゃんと探しているとヒイラギは言ったが本当に探しているのか定かではなかった。ヒイラギは朝から晩まで研究室に閉じこもっている。たまにどこかへ行くようだが、どこに行くかは言わなかった。出かけたらその日は一日戻ってこなかった。

 そんなこんなで、吉之はずっと屋敷を出られない。一週間も同じ場所で過ごしていると色々なことに慣れてきていた。このままあと何日ここにいればいいのかと地団太を踏むこともあったが、衣食住には困らなかった。その点だけは感謝するしかなかった。

 ただ吉之には理解ができなかった。どうしてヒイラギは自分を屋敷から追い出さないのかと。 吉之をこの屋敷に住まわせることに、何の意味があるというのか。吉之はヒイラギとまともに会話をしていないような気もする。


「吉之。そこで何をしているのですか」


 本がたくさん積み上げられている部屋で本を見上げていたら、いつの間に入ってきていたのかシノグに声をかけられた。

 吉之はシノグに視線を向ける。


「扉が開いていたんだ。勝手に入ってはいけなかったか」

「それは別に構いません。興味があったのでしょう。この部屋に。でなければ入らない」 

「いや、まぁ。何でこんなに本があるのかと思ってな。ここは図書室か何かなのか」

「どちらかと言えば保管庫ですかね。先生が上へ行くたびに、持ってくるんですよ」

「保管……か」


 その言葉に、吉之はなるほどと納得する。彩の本はメイでは貴重品扱いなのかもしれない。と吉之は思った。


「メイでは、本と言えば電子書籍が主流ですからね。この薄い機械の中に、何千冊って入ってるんですよ。びっくりでしょう。彩では考えられない」


 シノグが言いながら、どこかから小さな板の機械を取り出して見せてきた。


「あんた、やっぱり元々は彩の人間なんだな」


 話しぶりからして、そうだろうと吉之は言った。


「昔の話ですよ。十八年も前の」

「十八年って、俺はまだ生まれてないんだが。あんた今何歳だ?」


 年上だろうとは思っていたが、まさかそんなに離れているとは思っていなかった。

 吉之は素朴な疑問をぶつけてみる。


「僕は先生より年下で、あなたとカナタよりは年上ってことですよ」


 シノグは教えてくれるつもりはないらしかった。

 知ったところでどうする気もなかったが。どうせエレベーターキーを手に入れたらそこで関係は終わる。


「ふーん」

「ここの本。読みたければ、いつでも読んでいいですよ。僕もときどき読むんです」


 吉之は、腰ぐらいまで積みあがった本を一冊手に取ってみる。絵本のようだった。巨人と小さな花の絵が描かれていた。絵にはしっかりと青や緑の色が残っている。そのことに気づいてようやく本当に貴重な本だということを理解した。


「そうか。ここにある本はもしかして、鬼に喰われていないのか」


 吉之は確認するようにシノグに視線を向けた。

 色が残っているということは、鬼に喰われることを免れた本ということ。つまりこの本たちは、彩では貴重ではなく彩であっても貴重といわれる本なのだ。吉之はこんな貴重な本を見たことも触ったこともない。

 シノグは無言で頷いた。


「だから、保管なんですよ。あなたは知っているのかわかりませんが、地下都市メイは元々地上都市彩のシェルター。つまり、避難所として創られていたんです。それがどういうわけか都市に変更されて、今に至ります。すべては、地上に鬼が現れてから始まりました。先生曰く、地下都市が創設される以前の文献は、ほとんど残されていないそうです。なので先生は本当は、そういう文献を探されているんだと思います。ここの本は、ついでなのだと思います」

「避難所の話は知っているが。ヒイラギ博士は何でわざわざそんなことを? 歴史学者ってわけでもないだろう」

「僕が。先生のことをすべて理解しているとでも思っているんですか。そういうことは、先生に直接聞いてください」


 シノグはそう言って吉之から目を逸らした。


「それもそうだな」

「そうですよ。特に今、僕は先生が何故あなたをこの家にいつまでも留めているのか理解できていないんです。僕としては、早く出て行ってほしいんですけれどね」


 棘のある言い方だった。

 やはりシノグは吉之のことをあまりよく思っていないのかもしれない。


「俺も早くエレベーターキーを手に入れて、下層へ行きたいんだがな」


 吉之は嘆息すると、絵本に視線を戻した。

 その絵本は、巨人が花の妖精と出会って仲良くなるという内容のようだった。

 吉之は本を持ちながら、近くの丸椅子に腰かけた。それを見たシノグは邪魔になると思ったのか部屋を静かに出て行った。

 部屋には吉之ひとりが取り残されて、本の紙をめくる音しかしなかった。

 巨人はずっとひとりぼっちだった。けれど花の妖精と出会って、友達ができた。

 一緒におしゃべりしたり、歌を唄ったりした。

 けれどある日、花が枯れてしまった。

 巨人は涙を流した。

 するとその涙で花が生き返った。

 最後は笑顔の二人の絵で締めくくられていた。

 都合のいい話だなと吉之は感じたが、絵本ならこんなものかとも思った。

 人間は涙で生き返ったりなんかしない。

 吉之はそう思いながら少し乱暴に本を閉じた。

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