闘技場の観客席。誰も気づいていないのではないかと思うぐらい端っこのほうに、カナタとシノグはいた。カナタは瞳を星屑みたいに煌めかせていたが、シノグは訝しむように試合場を見ていた。

 手元にある小型の液晶版には、三人の参加者の名前が書いてある。


季野吉之きのよしゆき】【渡辺正太郎わたなべしょうたろう】【伏木弦ふしきげん


 吉之と正太郎はともかく、シノグはこの三人目の参加者の名前に見覚えがあった。何年か前の優勝者だった気がする。そんな人が何故、またこの闘技に参加するのか。シノグにはわからなかった。

 今回の試合は全体的におかしい。前回優勝者である吉之。決勝で負けた正太郎。そして過去の優勝者の弦である。普通ではない。

 観客席の人はまばらで、物好きな貴族が集まっている印象だった。

 実のところ、シノグもカナタも客席で試合を鑑賞したことはない。試合の映像は動画として公開されていて専用の端末機器があれば誰でも見られるようになっている。わざわざ会場まで来て楽しむのは下層の裕福な貴族ぐらいだろう。以前は違ったようだが最近は紹介状がないと客席で見られないのだ。シノグとカナタはヒイラギの紹介状で闘技場へ入場できた。


「ねぇねぇ、シノグ。試合楽しみだね」


 隣ではしゃいでいるカナタが嬉しそうに言う。


「カナタ。あんまり目立ちすぎないでくださいね」

「うん。わかった!」


 元気の良い返事だった。本当に理解しているのか疑問だ。

 シノグは嘆息する。

 元気なのはいいことだとは思う。けれど、なんだか今日のカナタはどこかおかしい。浮かれているような気がする。あの動画を見てからだ。

 季野吉之。彼を見たときからカナタの様子が変になった。

 シノグはそれを見て、少し淋しい気持ちになった。おそらくヒイラギも同じだろう。

 今までカナタが自分たち以外の人間に、これほどまでに興味を持ったことなどなかったのだから。


「シノグは、誰が勝つと思う?」


 カナタが端末を人差し指で触りながら言った。


「さぁ。僕は勝ち負けには興味がないから」


 シノグの興味は、彼らが扱う色の力。色式にしか向けられていない。それを見るためにここに来た。


「あたしはね、吉之って人が勝つと思うの。だって強いから」

「そうとも限らないよ。伏木弦がいるからね」

「その人、強い?」

「強いよ。動画で見たことある」

「ふーん」


 興味のなさそうな返事だった。

 これがカナタの通常なんだよなとシノグは思う。

 他人への、いつも通りのカナタの反応。それが吉之に対してだけは違う。気がするではない、明確に違うのだ。

 例えば、カナタの好きなお菓子に対しての反応とも少し違くて、でも嫌いな野菜に対しての反応とも違う。シノグの見たことがない彼女がそこにいるのだ。

 唐突に、低くて長い音が鳴る。映画館の上映開始の音と同じものだった。

 審判がマイクを片手に試合場に立っている。これから見世物が始まるようだ。

 シノグの隣でカナタが胸の辺りを押さえている。緊張しているようすだった。

 審判が参加者の色式士たちを試合場へ呼び込んだ。歩いてきたのは季野吉之と、渡辺正太郎。まずはその二人の試合が始まるらしかった。

 どちらかが勝てばその後に、勝った者と伏木弦との試合があるのだろう。

 シノグは逸る気持ちを抑えながら、試合開始のゴングの音が鳴るのを待った。


       *


 鐘の音が場内に響き渡り、試合が開始するかしないかの間で季野吉之は色式を発動させた。両足と右腕の両方に力がみなぎる。吉之は橙色の光を衣のようにまとっていた。

 吉之にとってはこの速さが勝負であり、すべてだった。防御される前に、攻撃する。そうでなければ塞がれてしまう可能性のほうが高かった。

 前回正太郎と試合をしたときも、この速さがなければ負けていたかもしれないと吉之は思っていた。

 しかし正太郎も前回で学んだのか、吉之とほとんど同時に色式を発動していた。見る見るうちに吉之の目の前で土壁が出来上がっていく。あっという間に吉之の目に正太郎の姿が映らなくなった。

 土壁は天井に届くくらいの高さだった。飛び越えるのは無理だろう。何か鈍器で叩くぐらいしないと壊れなさそうだ。

 吉之はそれでも動きを止めなかった。

 一か八か。やるしかなかった。

 試合前に吉之は正太郎にこの闘技場で行われていた競売の証拠を聞かせた。色式でつくった人形を貴賓室の廊下に置かせたのは、吉之だ。

 正太郎はこの闘技場の競売のことを知っても、試合を手抜きするつもりはないと言った。言葉通りだったと吉之は納得する。それに答えてやらなければいけなかった。

 壁の裏では、おそらく攻撃の準備をしているだろう。

 吉之はそのままの勢いでその場で飛び上がり、土壁を足で蹴った。僅かだが壁にひびが入る。


「壊れろっ」


 吉之は叫ぶと空中で軌道を変え、今度は右拳をひびの入った壁にたたきつけた。壁はさらに亀裂を広げ、しまいには音を立てて崩れた。


「あっ」


 驚いたような、落胆したような声が正太郎の口からもれた。

 希望が崩壊してしまったとでも言いたそうな表情で、正太郎は立っていた。色式を編む集中が途切れてしまったようだった。茶色式が所在なさそうに途中で止まっていた。予想よりも時間稼ぎができなかったのだろう。

 吉之は地面に着地すると、崩れてくる壁の破片を右手で一つ掴んだ。そしてそれを正太郎に向かって投げる。破片は正太郎の左頬をかすめ、地面に落ちた。

 当てるつもりはなかった。正太郎もそれはわかっているはずだ。気を取り直したのか、すぐに色式を編み直し発動する。しかしもう遅かった。

 茶色い光が正太郎の手から放たれる瞬間、吉之は正太郎に近づき、腹部に右の拳を入れた。一瞬の隙も与えなかった。正太郎は場外の壁まで大砲のように吹っ飛んでいった。

 声にならない悲鳴が聞こえた。

 審判は正太郎が気絶しているのを確認すると、「勝者。季野吉之」と宣言した。

 観客席はたいして盛り上がっていないようすだったが、歓声が少しだけ吉之の耳に入ってきた。物好きがいるものだなと吉之は思った。

 次は伏木弦との試合だった。彼がどういう色式を使ってくるか見当もつかないが、貴族に従順な彼の事だ。一筋縄ではいかなさそうだ。

 用を足す時間ほどの休憩を挟み、次の試合が始まる。

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