4

 目を開けた。

 薄汚れた白い天井と、天井からぶら下がっている電灯と対面した。

 いつの間にか眠ってしまった。


「うーん」頭が痛い。喉も乾いた。

 頭を抑えながらベッドから出ると、ふらふらになりながら、ドアを目指して歩いていった。

 なんとかドアの前に着くと、ドアノブを動かして前に引き、開いていくドアの側面を掴みながら、廊下に出た。

 すぐ近くにある階段の手すりをしっかりと掴むと、手すりにもたれかかるようにして、段を降りていった。

 階段を降り切った後、ダイニングに入っていき、すぐさまキッチンに入ると、手近なコップを手に取り、水道のレバーを使って蛇口から水を出して、コップに汲んだ。

 コップの中身を一息で空にする勢いで飲んでいく。


「ふー」とりあえず、復活。まだ、頭が少しズキズキするけど、おそらく大丈夫。

 少し落ちつくと、手をお腹に置いた。空っぽのように感じられた。

 サンドウィッチを求めて冷蔵庫を開け、中に入っていたサンドウィッチを取り出して、かかっているラップを取った。

 料理はあまり作らないからよくわからないけど、お母さんが作ってくれたサンドウィッチは、彩りが良くて綺麗だった。

 飲み物は、さっきの水で良いか。もう一度コップに水を汲むと、ダイニングに移動して、テーブルのイスに座った。


「いただきます」手のひらを合わせた。

 さてと、何から食べよう。

 サンドウィッチは、たまご焼きにケチャップをかけて挟んであるもの、

 ハムとレタスが一緒になっているもの、

 他にもいろいろとあって、どれを最初に食べようか迷った。

 結局、一番無難そうなハムとレタスの入ったサンドウィッチを手に取って、一口食べる。酸っぱいけど、ちょっと甘みのあるドレッシングがハムとレタスにかかっていて、おもしろい味だ。

 その後も、色とりどりのサンドウィッチを食べていった。


 「ごちそうさまでした」手のひらを重ねた。

 いろいろな味のサンドウィッチがあっておいしかった。特にいちごのサンドウィッチは、デザートみたいで嬉しかった。

 お腹いっぱい。

 全体的に味が薄目のような気がしたけど、お母さんとの味覚の違いかな?

「小休止、小休止」

 その前に、食器を洗ってしまわないと。

 食器類を持ってキッチンに向かい、食器を洗う。

 食器を食器乾燥機に入れて稼働させると、リビングのソファに寝転がりに向かった。

 食べてすぐに寝ると牛になるって言うけど、動く気が起きないんだから、仕方ない。


 ソファに仰向けになると、少し膨らんだお腹を手で軽くさする。ちょっと眠くなってきたかもしれない。

 さっきも寝てしまったし、やっぱり、夜ふかしは良くない。

 資格、か。実際のところ、たくさんあったほうが便利なんだろうけど、お父さんの言うことも一理あるとは思う。

 使わなければ、意味がない。取っただけで使わなければ、宝の持ち腐れになってしまう。

 自動車免許も半ば流されるまま取っただけだから、今はこの様。身分証明の時くらいしか使わない。そちらも学生証で済むことが多い。

 ボー、とどこでもない場所を見つめる。


「昔はもっとシンプルだったのにな」

 小学生の頃は楽しかった。

 あまり覚えていないけど、学校に行って授業を受けて、友だちと遊ぶ。未来に不安なんてなかった。せいぜい、個人面談が恐怖だったことくらいだと思う。

 昔は今みたいなことで悩んでなかったし、こんなにいろいろ気にすることもなかったはず。

 他人にちょっかいをかけたり、ちょっかいをかけられたり、喧嘩したり、仲直りしたり、いじめたり、いじめられたり、仲違いしたり、喜んだり、怒ったり、泣いたり、笑ったり、怯えたりと、そんな感じだったような記憶がある。

 なんというか、今とは比べ物にならないほど、快活というか、粗暴というか。

 断片的にしか思い出せないから、おかしく感じるのかもしれない。

 小学生の頃の記憶なんて、こんなものだろう。

 でも、本当にそうだったかな?

 何かが引っかかる。

 中学校に入学する時に、読まなくなったたくさんの本をお父さん達に頼んで処分してもらったことが印象に残っている。

 だから、本好きの静かな小学生をイメージしていたけれど、そうでもなかった?

 それにどちらかというと、一人でいることのほうが多かった気がするんだけど。

 ただそれだと、あまり、今と変わらない気がする。

 どうしても、今の性格から逆算してイメージしてしまうのは仕方ないのかもしれない。都合よく捏造されている部分もあるだろう。

 まあ、当時のやんちゃなまま成長してしまうのも嫌だけど、どこでどう間違えたら、こんな人間に成長してしまったのか。今では根暗な大学生。当時の面影はどこにもないということになる。

 我ながら、笑うしかない。


 でも、成績が良いところと真面目なところは、今も昔も変わってない。

 結構先生を尊敬していたから、品行方正であろうと頑張っていた。

 それでも小学生の頃は、学年が上がると友達も変わって、付き合いも頻繁に変わっていたから、先生のいないところでは、いけないこともしていた。

 といっても、そこは小学生が考えそうなこと。

 小学生だけで、塾に行くなどの理由もなしに学区外の場所に行くとか、学校帰りに買い食いをするとか。


 今考えると、なんでこんなことで怯えていたんだろうと感じるけど、当時は真剣だったんだろう。禁止されていることをしているのが先生の耳に入ったら、自分もこっぴどく叱られるんじゃないかと、いつも身が縮こまるような思いだった。

 あの頃は、先生が本当に怖かった。怒られている同級生を見ると、同じように怒られてしまうんじゃないかと怯えていた。

 たしか、何度かばれたことがあったはず。想像と違って、あまり強く怒られなくてホッとしたことをよく覚えている。

 同時に、怒る時と怒らない時の違いはどこにあるのか、なんで対応が違うのか不思議だった。

 それにしても、記憶はどういう仕組みなんだろう?

 最初は思い出せなかったことが、芋づる式に思い出されていく。


 瞼が自然と下ろされていく。

 先生か。小中高と、学校の先生にはお世話になったけど、よくわからない人達だった。


 小学生の時は、ずっと年上の、大人という、考え方が成熟した人間で、その中でも、教え導く人なのだから、この人達の言うことには信じられるものが十分にあって、人間のお手本のような人達だと思っていた。

 お手本と同じようにしていれば、立派な大人になれると信じていた。たぶん、目標だった。

 先生が、一人が規則を破るとクラス全体の責任にすることなど、疑問を持ったこともあったけれど、こちらが間違っているのだと言い聞かせていた。


 中学生になってから、授業によって先生が変わるようになって、先生という存在がわからなくなった。

 先生によって、授業の進め方や細かい内申点の付け方が違うようだし、黙々と進める人もいれば、おしゃべりで脱線していく先生もいた。

 生徒に個性があるように、先生にも個性があって、良くも悪くも人間らしい。少しの間通っていた塾の講師の人達みたいだと思った。

 そんな人達が、生徒に物事の善し悪しを説いていることに疑問を抱いた。

 それに、同じ問題に対しても、先生によって言うことが微妙に違うのが不満だった。

 それでは目標としては当てにならない。お手本が複数あっては迷ってしまう。

 学校の先生と塾の講師にどこまで違いがあるのか?

 そう思った時から、誰をお手本にすれば良いのか、本格的にわからなくなった。

 中学生活では、小学生の頃に教えられたことでは解決できない問題が数多く降りかかってきて、自分の中で、新しい目標が必要になったんだろう。

 その頃はたしか、なけなしのお小遣いで、インターネットカフェに行ったり、図書館に入り浸っていた。懐かしい。


 高校生になるまでには、先生は勉強を教えてくれるだけの、年の離れた同じ人間なのだと悟っていた。

 同じ人間なら、嫌われれば何をされるかわからないと思った。

 だから、とにかく問題を起こさないよう努めた。

 そうすれば変な目で見られることはない。三者面談でも悪く言われることはなく、問題児として扱われることはない。つつがなく進んでいく。

 そのまま、何事もなく進んでいけばよかったのに。

『進路は決まったか?』

 中学生の時は、成績に見合った高校を受験する。実質、その一択だったから、なにも問題なかった。

 将来、何がしたい? わからない。

 小学生の頃から、使い方と答えを教えられて、言われるままに問題を解いてきただけなのに、いきなり答えを求められても困る。

 答えを見つけられなくて、その時の担任の先生に、どうすることが最善なのか、思い切って聞いたことがあった。

『自分の人生は、人に決めてもらってはいけない』

 そんなことを言われても、わからないものはわからない。

『他の生徒も、悩んで将来を決めている』

 本当にそうなのだろうか?

『大人の仲間入りも近いのだから、そんなことではいけない』

 その時から時々、大人とはなんだろう、と脳裏をよぎるようなった。

『いつまでも悩んでいる時間はない。ただでさえ、早い人と比べると遅れているのに、周りの普通の人よりスタートダッシュが遅れるのは良くない。

 成績は良い。今からでも傾向と対策をしっかりと取れば、良い大学も十分狙えると思う。推薦を使うという手もある』

 その時の先生は、授業をしている時とは打って変わって、優しかった。

 とりあえずの進路が決まった時の、先生の安堵したような顔が印象に残っている。

 ベルトコンベアで運ばれる荷物が連想された。

 人間、そんなものなのかと吹っ切れてしまえれば良かったのかもしれない。

 変わることも割り切ることもできず、どっちつかずのまま、ずるずると進み続けている。

 先生という先人におすすめされたものを手に入れるために勉強する。

 問題に対する解法を徹底的に調べて、覚える。

 想定できるイレギュラーにできる限り対応できるように、効率の良い方法で入念に準備を重ねる。

 方法は何も変わらない。

 この辺から、自分の中で何かが変わったんじゃないかと思う。心なしか、過去を振り返る頻度が多くなって、楽しさも達成感も、日に日に感じなくなっていっている気がする。


 勝手な言い分だけど、使い方じゃなくて考え方を教えてほしかった。よくわからない文字式の羅列や、長い化学式の暗記法の前に、自分で自分を決める方法を教えてほしかった。


 何がしたいんだろう? したいことがわからない。

 わからないと、何をしたら良いかわからない。

 怖い。わからないのは怖い。

 いつか、答えは見つかるんだろうか?

 結局、過剰に期待したのがいけなかったんだろう。

 一人で勝手に期待して、勝手に失望した。

 大きな期待をしなければ、失望することもない。

 世界は広いと思っていた。

「意味、あるのかな?」

 考えないようにするべきなのに、止められない。

「繰り返し。中身が少し違うだけの繰り返し」

 何がしたいんだろう?

 なんのために勉強するんだろう?

 将来が安定するし、お母さんもお父さんも喜ぶと思う。おめでとうと言ってくれると思う。でも、適当な理由で未来を選んだことを知ったらどう思うだろう?

 将来は本当に安定するの? 安定する、はず。

 安定しても、未来の不安はなくならないのではないか? 

 たとえ満足の行くところまでたどり着いても、今度はそれを維持し続けないといけない。

 他人に追い越される。必死になって、また、追い越す。

 少しの間の高揚感の後に浮かび上がる不安。止まったら、落ちていくだけではないかという恐怖。

 終わりがない。

 終わりがないことに喜ぶのは、それが楽しいと感じている時だけ。苦痛を感じるようになると、終わりを探すようになる。

 楽しさに義務感が加わった時から、心のどこかで終わりを夢見るようになる。

 チク、タク、チク、タク。

 時計の針の音が聞こえた。時間は変わりなく進んでいく。

 こうやって何もしないでいると、音に溢れかえっていない部屋は、とても静かなのだとわかる。

 静寂の部屋で、時計の音が大きく響いている。

 未来とはなんだろう?

 どうして、勉強をしているんだろう?

 カチカチカチカチ。時計の針の音。心なしか、さっきより音が速くなったように思われた。

 なんのために、こんなに頑張っているんだろう?

 他の人も同じだと思えていたから、頑張れた。そう思えなくなった途端、なんでこんなに頑張っているのか、わからなくなった。

 なんのために生きているんだろう?

 なんのために?

 どうして?

 瞼に軽く力を入れて、目を開けた。眠気はすっかりなくなっていた。

 ソファの上で身体を横に変える。部屋の隅の日の光が当たっている場所が目に入る。

 薄くて頼りなさそうで、この部屋で、一番温かそうなもの。

 お父さんとお母さんはいつもいつも、毎日が楽しそうだけど、不安はないんだろうか?

 もしそうなら、羨ましい。

 今も楽しく歩いているんだろうか?

 一人が好きなのか、一人が嫌いなのか、自分でもわからない。

 人と一緒にいると疲れる。一人でいても疲れる。わからない。

 ソファから重い身体を起こした。

 外は、温かそうだ。出かけよう。

 この部屋にいるよりは、ずっとましに思える。

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