15話 風になぶられた前髪が何本か焼けるのを……


 風になぶられた前髪が何本か焼けるのを、智莉子は見た。


 一瞬の肌を灼く熱さを残し、火球は闇に還る。火をまともに見てしまった目を何度も瞬いて、ふたたび暗さに慣れるころには、もうあの戦車の姿はどこにも見えなかった。


「なに、やっつけたの……?」

「それは違いますにぃ」


 答えたのはイルイルだった。


「我々魔族は不死ですから、石や火くらいじゃ痛くも痒くもないんですにぃ」

「えっ。じゃあ、なんで」

「生命の力を食わせたためです」


 のそりと現れたラズグリーは、松明を地面に落とし、座りこんで前足を舐めた。見れば、カレッドはまだ腰を抜かして呆然と空を見あげている。


「人間たちは魔族を、呪いを振りまく存在、生命ある者に害をなす存在と認識しております。しかし、個としての格を持てぬ下位の魔族は、単に……」


 一度言葉を切って、ラズグリーは智莉子を見あげた。


「生命のぬくもりが欲しいだけなのです」


 ぬくもり。智莉子は、無意識に口の中で繰り返した。


「人の身体や大地に宿る精霊を直接食らうことでも、その空腹は満たされます。ですが、生命が輝くときに放出される特異な力。愛情。いたわり。情熱。闘志。――または、勇気」


 ラズグリーは切れ長の瞳を光らせ、告げた。


「それらの眩き生命の活力は、我らにとって最大の馳走なのです」

「つまりカレッドとチリコは、彼を満腹にさせたのですにぃ」

「いやはや。チリコ殿のあの勇姿は素晴らしかったですぞ。ご相伴に預かりたいくらいですなぁ」

「……は、はあ……」


 美味そうな獲物を見るような目を向けられ、微妙な相槌を打っていると、ようやく魔法使いの男が立ちあがった。


「チリコ……」


 足をふらつかせながら、智莉子の元に寄ってくる。思わず智莉子は身構えた。

 しかし彼は、智莉子の前まで来ると、うなだれたまま、がっちりと手を握ってきた。


「怖かったあぁ」

「……は?」

「死ぬかと思った!! ほんっと……デュラハン相手とか無理かと……ありがとうな、チリコ、おまえ、すごいんだな……」


 見ればその自称魔法使い見習いは涙ぐみさえしている。彼は智莉子がどんな人間か知っているはずだ。使い魔たちは勇気などと評したが、――智莉子は実際、自暴自棄になっていただけだ。


 しかし彼は、鼻をすすりながら、何度も礼を口にした。


「べつに……わたし、言われて石投げただけだし」

「それがすごいんだよ!」

「ちょっ」


 突然顔をあげた魔法使いに、唾を飛ばす勢いで言い立てられる。


「そうか! 父親が錬金術師だ、魔族の標本が家にあったんだな!? 慣れてたんだな!? にしたって実戦でビビらないってすごいぞ、まさか家で魔族と交流があったのか!?」

「は、はあ? なに言ってんの? うちのお父さんは工場勤務だし」

「コージョーキンム……すまない、そのような錬金術師の名は聞いたことがないが、金を生成するくらいだからさぞ高名な術師なのだろう。で、魔族とはどんなつながりが?」

「そんな危険そうな連中、わたしの世界にはいないわよ! だから、映画のセットとでも思えば、べつに……」


 こちらを見つめる魔法使いの男の眼を見て、チリコは、息を詰めて停止した。畏敬と純粋な興味。ただひたすらに必死な彼の顔には、それしかなかった。


「…………」


 笑いに似た感情が喉の奥から湧き出て、吹き出しそうになった。しかし、それを許したら感情が決壊してしまいそうで。智莉子はうつむいて唇を噛んだ。

 あ、とカレッドが声をあげるのが聞こえた。おたおたと足踏みをして、腕を支えてくる。


「わ、悪かった。おまえも本当は怖かったんだよな。俺はてっきり……ああ、すまない、もう帰ろうな。大丈夫か、怪我でもしたか」


 違うわよ。そう言おうと思ったのに、言葉にならなかった。代わりに、笑いがこぼれた。涙と紙一重の、引きつった笑い声。ようやく口から出たのは、


「あんたって、バカね」

「うっ」


 カレッドは傷ついた様子でうなだれた。一々暑苦しくて、会話が通じなくて、鬱陶しい男。


「……戻ったら、蜂蜜湯を作ろうな。ずいぶん冷えたからな。歩けるか?」


 智莉子は目尻を袖で拭い、「うん」と答えた。


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