14話 拝啓、師匠様……



 拝啓、師匠様。


 あのときは俺もかっとして我を忘れていました。

 師匠への敬意を忘れ、言い過ぎてしまったと、心から反省してます。

 謝るので、ぜひ戻ってきてください。


 できるなら、三秒以内に。


「どわぁあっ!」


 現実逃避も虚しく、ぬらりとした感覚に悲鳴をあげる。夜の住人の放つ瘴気が届いたのだ。なんといったら良いんだろうな、全身に生ぬるいスルグ(なめくじ)がびっとり貼りつく様を想像してほしい。そんな感覚。とても最悪である。


 しかし、恐怖の心は瘴気の力を増幅させるし、気を失えば生命を吸い取られる。下等な魔族であっても、俺にとっては油断できない相手だ。


「ええいっ……」

「カレッド、まだ早すぎます! いまは私の背に!」


 持ってきた樫の杖をかざそうとした俺を、ラズグリーが止めた。たしかに、ここからではまだデュラハンに魔法は届かない。落ち着いて考えればわかることなのだが……くそっ。


「すまない、松明を頼む!」

「承知しました。どうか主の弟子にふさわしき戦果を!」


 松明を口に咥えたラズグリーに飛び乗り、さらに山道を走る。家に近づけば、デュラハンは結界を食うために高度を下げるだろう。それまで待たなければならない。


 まとわりつく瘴気のために、全身から汗が吹き出し、頭の中が冷たくしびれる。その身体を、風が不快に冷やしていく。激しく揺れるラズグリーの背から、必死に空を征く戦車の位置を測る。


「下がってきた!」


 落ち着け。まずはやつの動きを止めるのだ。師匠に教わったとおりに、魔法陣を頭に思い浮かべる。いままでに一度も成功したことのない封印魔法。ここで、確実に決めなくては。


 脳裏に描いた魔法陣に、重たい空気のイメージを絡める。それを網の形に組み上げ、杖を通して射出――。


「鎮まれ、地下にあるべき不浄の徒!」


 突き出した樫の杖から放たれた光は、空中に耀く魔法陣を描いた。巨大なそれが、もう目が合うほどに近づいたデュラハンの行く手を阻む。


 ところが、そのとき、ぴきりと嫌な音がした。背筋を凍らせる俺の目の前で、ガラスのように魔法陣が割れる。


 ――失敗した。


「げ……っ」


 まずい。もう結界まで到達してしまう。これから攻撃しようにも、結界への被害は避けられない。

 どうしよう――と、視線を前に戻したときだった。俺は、叫んだ。


「チリコ!?」


 いつの間に回りこんだのか。前方の結界の境界線に、チリコが立っていた。しかも……。


「おまっ、な、なんだそれ!?」

「やればいいのね!? どうなっても知らないわよ!?」

「にぃひひ。やったれやったれ、ですにぃ」


 チリコの隣ではイルイルがけらけらと笑っている。そして、チリコは。


「……んのっ……」


 両手に持ちあげた、子供の頭ほどあるを。


「寄るんじゃないわよ、首なしお化け!!」


 力任せにデュラハンめがけてぶん投げた。


「なんと」


 ラズグリーの感嘆の声をよそに、一直線に闇夜を走った石は、戦車を引く馬の一頭の足に激突した。痛かったのだろう、首なし馬が竿立ちになる。口がないから悲鳴はあがらなかったが――。


 すごい。

 俺は、あんぐりと口をあけて事態を見つめていた。


 だって、下位とはいえ、魔族だ。生命の力を食らう異形のもの。子供なら腰を抜かして漏らすし、娘なら悲鳴をあげ、大人でも逃げ惑うしかない。俺だって、直視するのも怖かった。


 それを、こんな細い娘が、鬼神みたいな恐ろしい顔つきで立ち向かうとは。すごいチリコ。すごい娼婦。

 そういえば、師匠が語っていたっけ。とある国で革命が起きたとき、止めに来た兵士をまずはじめに撲殺して首をとったのは、極貧に苦しんだ末に爆発したおばちゃんたちであったとか……。


「ちょっと、ねえ!? これ、効いてるの? 石投げただけじゃない!?」

「十分ですにぃ。――カレッド!」


 名を呼ばれ、我に返る。そうだ。チリコが見せた力――投石による物理的な衝撃でない、『もうひとつの力』。そのせいでデュラハンは、動きを止めている。今なら――。


「ラズグリー、走ってくれ!」

「承知!」


 一息に反転したラズグリーが、力強く地を蹴って飛ぶように駆ける。


 チリコに負けてはいられない。いいや、チリコが力を貸してくれたのだ。俺には、人のためにあれと謳われる魔法使いとして、答えなくてはならない。


 懐から、とびきり大きい火精石を取り出す。視界が、先ほどと打ってかわって明瞭だった。夜空に輝く黒い鎧の騎士。狙いは、定まった。


 火精石を、高く放りあげる。


「燃え盛れ、劫火の燃料もえしろとなれ!」


 素早く魔法陣を頭の中に描きつつ、樫の杖の先端で宙の火精石を叩く。

 ぱっと、世界が昼のように明るくなった。一瞬にして秘められた力を解放された火精石が巨大な火の塊を産み、デュラハンごと包みこんだ。


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