11話 バッテリーの残量は残り……
バッテリーの残量は残り四パーセント。
おそらく、あと一時間もせずにゼロになるだろう。
頭から毛布をかぶったまま、かぶりを振る。そんなことはどうでもいい。もう時間切れだ。きっとあれは、処分されてしまったことだろう。
「どうして……わたし」
――生きているのかな。
あのとき。狭い駐車場の車の影に隠れて、震える指で携帯をつかみ、選択を迫られていたとき。
だれかに腕を引かれた気がした。大きくて透明な、抗いようもない力に。
あっという間に意識が遠くなり、引きつれた悲鳴は虚空に溶け、諦めが体中を満たした。
――そのまま、眠るように死んじゃえばよかった。
けれども、現実はおとぎの国へと続いてしまった。
目の前に立っていた男の黒々とした眼は、恐れも卑しさもなくこちらを見つめていた。
なにもかもが地球とは違う世界。だが、彼が善き人であることを、理解してしまった。その事実を認めてしまった。
だからこそ、もう駄目だ。
どんな技を使ったのか、彼は智莉子がひた隠しにしていたことを知っていた。他人はだれひとり、知らなかったはずなのに。それでなお、あの汚れのない笑顔を向けられるのは、耐えられない。あの視線にさらされるのは、耐えられない。
そんな女だと思われるのは、耐えられない。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。駄目だ。
部屋に閉じこもってから、ノックも言葉もすべて無視した。夕方ごろに一度だけ扉が開かれたが、すぐに閉められた。毛布の合間から見ると、扉のすぐ横のテーブルに、温かそうな食事と飲み物が置かれていた。
いまはそれも冷めきっているだろう。あの男が見たら、目に見えて傷ついた顔をするに違いない。ひどいことをした。はじめから、自分はひどい人間なのだ。親切をされる価値もなかった。
もう……駄目だ。
夜になっても、窓の外は青白く明るかった。智莉子は毛布から這い出ると、窓に近づき、木枠に指をすべらせて金具を外し、片方だけ押し開けた。外からは、ひやりと冷たい空気が流れこんでくる。
膝を持ちあげて縁をまたぎ、外に降りる。草むらの地面が、着地の音を吸いこんでくれた。凝り固まった身体を夜風で冷やしつつ、よろよろと家の裏手から道を行く。
結界の外は危険だ、と彼らは言っていた。なら、そこへ行けばなにかが自分を終わらせてくれるだろう。
空には、見たこともないほど巨大な月があがっていた。地球で見ていたものの十倍以上の大きさの、複雑な陰影のついた円形が銀の光をそそぎ、灰色の峰々が白く照らされている。
まるで夜の繁華街を行くのと同じ明るさだ。何度も歩いたあの場所と同じ。しかし地面はアスファルトでなく土で、騒音の代わりに、荒涼とした風の音があった。だれもかれもが死に絶えたあとの世界のようだ、と智莉子はぼんやりと考えた。
――それは聞き捨てならない。なんでもあるぞ、ここは。
彼のそんな声が思い出されたが、すぐに思考から滑り落ちた。もう、なにも考えたくなかった。
ゆるやかな道はすぐに終わり、深い森へと続く、ぽっかりと暗い道が現れた。そこへ、なんの情動もなく足を踏み入れる。悪夢など、とうの昔からはじまっていたのだ。
唐突に、木の根に足をとられた。したたかに地面に身体を打つ。智莉子は服を払いもせず、起きあがって進んだ。
「はやく……はやく、終わらせて」
目を閉じ、拳を握って、暗闇を行く。魔物でもなんでも現れたらいい。それで、一息に切り裂いてくれたら。
唐突に、足の裏が地面を掴みそこなった。はっと目蓋を開けると、開けた光景が広がっていた。断崖だった。いつの間にか森を抜けたらしい。足場のゆるい部分を踏んだのだ。理解したころには、身体は崖を滑り落ちはじめていた。
なんだ、と思った。
自分を終わらせてくれるのは、魔法でも不可思議でもなかった。
ただの――自然法則。笑ってしまうほどに呆気ない終わり方。
恐怖に頭の後ろをしびれさせながら、またひとつ、智莉子は諦めようとした。
その手を、強い力で掴み取られたことも知らずに。
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