10話 小麦粉は塩をあわせ……



 小麦粉は塩をあわせて水で練り、丸めて布をかけて休ませておく。

 鍋でにんにくと油を温め、刻んだ玉ねぎ(先ほど畑で頼みに頼んで五個もらってきた、控えめに言って死闘だった)をいため、瓶詰めにしておいた夏のトマトと香草を入れて木へらでつぶす。


「甘味では……ないのですか……」


 隣でラズグリーが絶望を顔に浮かべていた。


「デザートにクルッシュ(蜜漬けの木の実)を出してやるから泣くな」


 ちなみにイルイルは先ほどからぶつぶつ言いながら大鏡をいじっている。

 鍋は長く煮ると香りが飛んでしまうため、強火で一気に水気を飛ばす。塩で味を整えて完成だ。


「ちょっと、ドライヤー」


 チリコが文句を言うと、ラズグリーは口を開き、温風を吐き出した。本来は家ごと軽々と燃せる炎のブレスであるが、上手に調節して心地よい温度にしてくれるのだ。

 ところで「ドライヤー」って、いったいなんだろうな?


「チリコ殿、熱くありませんかな?」

「熱くはないけど。……下から風を送るのやめてくれない?」

「おおっと、気づかれていましたか、ハッハ、キャイン!」


 濡れ鼠だったチリコは、服ごと風にあたって体を乾かしているのだ。俺の着替えを貸してやると言ったら「コスプレは嫌」と断固拒否された。俺の心は砕ける寸前だ。


 蹴られて喜んでいるラズグリーをよそに、竈に火をつける。休ませておいた小麦の生地は、ちぎって円形に薄く伸ばす。そこへトマトのソースをたっぷり塗り、燻製肉と、倉から出したチーズを切って乗せる。


「あ」


 髪に手ぐしを入れていたチリコが、目を丸くした。

 ごくりと喉が動いている。いいぞ。好印象だ。


「師匠の故郷の食べ物らしい。おまえ、食べたことあるか?」

「…………うん」


 へえ。じゃあ、師匠と同郷なのかもしれないな。師匠は自分のことをまったく教えてくれないのだが。


 十分に温まった窯に鉄板に載せた生地を入れてしばらく待つ。すぐに、炙られたチーズのたまらなく良い香りが部屋を満たした。


「ねえ、まだ?」


 チリコはすっかり心を奪われた様子で俺に何度も問うてくる。「もうちょっとだ」と答えるのは、非常に良い気分である。

 生地の縁がぱりぱりに焼け、溶けたチーズがふつふつと泡立つのを確認してから、鉄板ごと取り出してやった。


「ピザ!」


 チリコのいた国ではピザ、というのか。師匠はなんていってたっけ……ちょっと発音が違ったような。


 ナイフで切り込みを入れてやると、チリコは一切れ掴み、熱さにわたわたしながらかぶりついた。うむ、良い。上品ぶって静々食べるやつより、こちらのほうがよっぽど気持ちがいい。


「うまいか?」


 問うと、チリコはチーズの糸を噛み切りながら、大きくうなずいた。

 はじめて見せてくれた笑顔だった。うれしい。これまでの苦労も報われるというものだ。


「はふ、犬舌には、ほふ、なかなか厳しい熱さですな」

「カレッドの料理は味付けが濃いんですにぃ~」


 なんやかや言いつつ、ラズグリーやイルイルにも好評だ。

 新しいものを焼いたそばから、次々に腹に収まっていく。


「これ、飲むか?」

「ん」


 昨日は飲んでくれなかった山羊の乳を入れた茶も、チリコはごくごくと飲み干してくれた。


「ああ、生き返る……」


 すっかり完食してしまって、チリコは満足げに椅子にもたれた。

 完全勝利である。素晴らしい成果だ。ほくそ笑まずにはいられない。


 ところがそのとき、チリコはふと、例の魔道具を取り出し……物憂げに目を伏せた。

 癖なのだろうか。チリコはなにかあるごとに、その魔道具をいじっている。


「……それ、やっぱり、見せてはもらえないか?」

「…………いやよ」

「じゃあせめて、なにに使うのか教えてもらえないか?」

「なにって……それは」


 チリコは言いにくそうに眉を潜めた。


「たぶん、たくさん着信きてるだろうし……学校からも、……事務所からも」


 チャクシン。ガッコウ。ジムショ。いかん。自分の不勉強を自覚させられるばかりだ。

 俺の様子に気づいたチリコは、ため息をついて言った。


「だから。わたしがいなくなったから、いろんな人が……この機械で、わたしを呼び出そうと」

「転移魔法の道具なのか!?」

「機械って言ったでしょ! えっと、だから、文字とか、音声とかを伝えるもので」

「思念伝達のほうか? それでもかなり高位の魔法――」


 口を噤む。考えるべきは、そこじゃない。


 チリコを呼び出す連中。

 それは、確実に――。


 俺はその場に居直り、はっきりと言ってやった。


「チリコ。おまえは、ここにいれば安全だからな。娼館の主人に呼び出されても無視しろ。いいや、むしろそんなもの捨てたほうがいいんだ」

「はあ? なに言ってるの」


「だっておまえ、身体売ってたんだろ?」


 ここではもう、そんな凄惨なことをしなくていいんだ。

 俺は、そう伝えようとしたつもりだった。しかし――。


 がちゃん、と陶器の割れる音がした。


 俺が目を瞬いたとき、チリコは顔を蒼白にして立ちあがっていた。

 茶が入っていた器の破片が、床に飛び散っている。使い魔たちも、目を丸くしてチリコを見つめている。


「チリコ?」

「…………んで」


 化物でも見るかのような怯えよう。ひやりと首元に冷たいものが触れたみたいだ。なにか、取り返しのつかないことが起きようとしている。

 いや、……起きたのか?


 そのとき、チリコが、消え入りそうな声でつぶやいた。


「……なんで、知ってるの」


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