9話 嘘つき罪人は……



「嘘つき罪人は首斬りの刑。では正直罪人の行く末は?」

「頭を撫でて褒めれば良いのではないですかな」

「にぃひひ。お次は氷の鞄に炎の鎖をつける方法」

「鞄を持って、ぐるりと鎖を巻けばよいのではないですかな」


 水車小屋の脇の日向で、使い魔のイルイルとラズグリーが問答を繰り返している。

 師匠の使い魔はみな俺に友好的だが、契約の関係で、俺から命じることはできない。ただし……。


「おやおや、なにを作るのですかにぃ?」


 麻袋をかついで小屋から出てきた俺とチリコに、目ざとく二体が近寄ってきた。袋の中には、水車の動力で挽いた小麦粉が入っているのだ。ラズグリーはすでに口の端からヨダレがダダ漏れだ。


「私はファナベリーパイが食べたいです。いや、お待ちください。ベンカリーナッツの焼き菓子などはいかがでしょう」

「おまえ、どうして好物が肉じゃないんだろうな?」

「もともと犬は雑食ですし――」


 ラズグリーは、不意に翠色の瞳を光らせ、唇をあげて鋭い牙を見せた。


「人の肉は、食べ飽きてしまいましたゆえ」

「――っ!?」


 ぎょっとして後ずさるチリコである。ラズグリーはすぐに人懐こそうな表情に戻った。


「冗談です。私はわきまえた下僕ですゆえ」

「大体、人間の肉なんて臭くておいしくないですにぃ」


 イルイルはケタケタと笑っている。こっちは冗談なのか本気なのか俺にもわからない。


「おっと、チリコ。あまりそっちに行くなよ。ぬかるんでて危ないからな」


 注意すると、はっとしてチリコは振り向いた。穏やかな小川が、リボンのように蛇行しながら草地に流れている。きらきら光る水面を、チリコはじっと見つめた。


「なんだ、川を見るのははじめてか?」

「……そんなわけないでしょ。ただ」


 ――おばあちゃん家で、見た。


 あ、と俺が思ったときには、遅かった。目の前で板切れが倒れるような自然さでチリコの身体が傾ぎ、いや、なんというか……川に向けて顔からダイブした。


「にぃひひ! ぼーっとしてるのが悪いんですにぃ」


 チリコの背中を蹴飛ばしたままの姿勢で、イルイルが哄笑する。俺はチリコに大変なことを伝え忘れていた。イルイルは割とかなりものすごく、いたずらが好きなのだ。


「おい、大丈夫か!」

「…………」


 まだ季節も冬だ。浅瀬とはいえ、川の水の凍るような冷たさは悲鳴をあげてもおかしくないだろうに、チリコは無言でざばりと起き上がった。


「"背を曲げうつむく者に神は祝福を授けない"。これに懲りたら、背後には気をつけるんですにぃ」

「…………」


 身軽に飛び跳ね、鼻同士がくっつくほどに顔を近づけるイルイルを前にしても、チリコは沈黙を保っていた。


 刹那。


「――にが」

「にぃ?」


 濡れた髪を藻のように顔に貼りつけたチリコが、おもむろにイルイルの頭を手で掴んだ。

 そのまま――冷たい水の中に、叩きつける。


 爆発は、唐突に訪れた。


「なにが気をつけろよ!! こんな冗談みたいな世界に連れてこられて、いちいち気にしてたらもたないわよ食べられるなら食べてみなさいよこの臭い肉ってやつを!? ふざけないでよこのバカ!! 最悪よ、ほんっと、最悪!」

「ぼ、ボゴボゴ……!」

「ちっ、チリコ! イルイルは冷たいのが苦手なんだ! ちょ、おちつ」

「覗き魔は黙ってて!」


 知らない間にひどいレッテルを貼られていた。辛い。


「ちょっと、あんた」

「にぃっ……な、なんですにぃ」


 みしみしと音が聞こえてきそうなほどの勢いで頭を掴まれたまま、川から引き上げられたイルイルはびしょ濡れの顔を向けた。


「こんなとこで油売ってる暇があったら、わたしが帰る方法を探しなさい」

「にぃ? なんでイルイルがそんなこと」


 チリコは無言で再びイルイルを川にぶちこんだ。俺とラズグリーは震え上がった。


「やるの? やらないの?」

「い、言ったはずにぃ、ご主人様が戻らないことには」


 三度行われる惨劇に、俺は顔をそむけることしかできなかった。ラズグリーは後ろ足の間に尾を挟んで縮こまっていた。


「にっ……にぃ、わ、わかった、わかったにぃ!」


 満足のいく回答を得ると、チリコはぞんざいにイルイルを放り出した。イルイルは這々の体で逃げ出す。


 なんてやつだ、他人の使い魔を承伏させるなんて。両親が錬金術師なら、もしや魔法の手ほどきを受けているのか? それとも例の直方体の魔道具のせいか? 謎は深まるばかりだ。いや、差し迫った問題として、単純に怖い。


 川からあがったチリコは、くしゃみをひとつしてから、ギロリとこちらを睨んだ。


「あんた、名前なんだっけ」


 名前すら覚えられていなかった。


「お、俺はカレッド・デ・レイモンド――」

「カレッド。まったく、言いにくいわね」


 切って捨てられた気分だった。

 しかし、ぽたぽたと水滴を垂らしながら、チリコはこう言った。


「お腹が減ったわ。さっきのじゃ足りない。なんか作って」


 俺は、呆気にとられてチリコの顔を見た。その眼の色は、相変わらず澱が溜まっていたが、同時にぎらぎらとした光を宿していた。

 生きる力――生命の力。


 俺は小麦粉の麻袋を肩に担いだまま、ニヤリと笑って答えた。


「わかった。ちょっと待っていろ」


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