5話 一人にしておいて大丈夫ですかな?



「一人にしておいて大丈夫ですかな?」


 荷物を持って畑の畝の間を進む俺の後ろから、艶のあるバリトンボイス。俺は振り向かず、気楽に答えた。


「むしろ必要なことだ。ま、盗られて困るものもないし、結界から出なければ猛獣に襲われることもないし。なにより、どうせイルイルあたりがのぞき見してるだろう?」

「そうですが……しかし、あの娘御は……」

「気になるのか?」


 するりと、俺の腰の脇から首が伸びてきた。銀色に輝く見事な毛並みをもつ白狼の首。その体躯は大型の猪ほどにもある。師匠の使い魔、<白銀の牙>ラズグリー。静謐な翠色の瞳が、憂慮をこめて俺を見あげている。


「ずいぶんと、かわいい」

「おまえ、相変わらず女好きだよな」


 耳の間を指でかいてやると、ラズグリーは牙の横から舌を出してくすぐったそうに眼を細めた。本来は高い知性を持ち、口から三種のブレスを吐く妖狼のはずなんだがな。


「でもな、ラズグリー。チリコは不幸な身の上なんだ」


 女が男に身体を売る。それは人類最古の商売であるといわれている。だが、古代から連綿と続くその仕事を喜んで引き受けた女が、果たしてどれほどいただろう。


 チリコを買ったであろう男たちの下卑げた薄笑いを想像するだに怒りを覚え、俺は拳を握った。なんてやつらだ。火の山コルッツィオの火口に落ちてしまえばいいのに。


 俺と師匠が住む山奥は広く開墾されており、山あいのなだらかな高原に、母屋を中心にして、貼りつくように田畑が広がっている。丸々と肥えた人参の植わった区画に着くと、俺は土の上にしゃがみ、横になって大地に耳をつけた。目を閉じて、意識を集中させる。


「カレッド。チリコ殿が母屋から出てきましたぞ」


 俺は「ああ」と生返事をした。さきほども言ったとおり、この家の周りに危険はないし。なにより、俺はチリコの自由を尊重したい。


「だいぶ胡散臭そうな顔で見られていますが」


 俺は「そうか」と適当に相槌を打った。対象に直接耳を当てて精霊と対話するのは魔法使い見習いの基本動作だ。まさか見るのが初めてということはあるまい。


 意識を根にして張り巡らせるイメージで、田畑の土に宿る精霊に思惟の念を送る。精霊はすぐに返答を返してきた。


「いや、一本じゃ足りない……せめて四本……たのむ、三本……そこをなんとか」


 ぐぐっと眉根を寄せながら懇願すると、姿を持たない精霊たちは、ささやくような音列を心に直接送ってきた。意味を約すると、「二本なら許す」とのこと。


「くっ……」


 俺は泥を払いながら立ち上がり、人参の株を二本、引き抜いた。


 俺たちの畑は、精霊の力を借りて病に強く質の良い作物にしてもらう代わりに、収穫時に交渉を必要とする。精霊は、土の中で育つ作物の生命力を好むのだ。そして師匠がいなくなった途端、やつらは平然と足元を見てくる。


 とはいえ、礼節をおろそかにすると今度こそ野菜を分けてもらえなくなる。俺は右手を心臓の上に当て、左手の指で印を切った。


「計りがたく大きな業を、数しれぬ幸いの業を成し遂げられる方々へ感謝します」

「……段々とチリコ殿の眼差しが冷たくなってきたように見えますな」

「ふんだ。どうせ俺は下位の魔法使いだよ」


 チリコの目に、俺はさぞ見苦しく映っただろうな。師匠なら杖を振るだけで精霊との交渉を終わらせられるんだ。ちくしょう、俺だっていつかは――。


「先ほどからこちらをじっと窺っていますが……おや」


 人参を麻袋に入れると、隣の畝へ。今度は冬葱の交渉に移らなければならない。


「走り出しましたぞ」


 これは少なめにしておくか。本命はキャベツだ。これだけは確保せねばならない。


「カレッド。止めたほうがいいのでは」

「うん?」


 俺はようやく母屋のほうに顔を向けた。

 チリコが、畑と反対方向、家畜小屋の脇の小道を抜け、結界の向こうへと駆けていくところだった。


「うぉい、待て!?」


 俺は慌てて後を追った。


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