4話 名前を聞いておきたい……



「名前を聞いておきたい。俺はカレッド・デ・レイモンド・ターレルカーレル・ディーム・フルシファー。魔法使いの見習いだ。称号はまだ、ない。気軽にカレッドと呼んでくれ」

「…………」


 胡乱げな目で、少女はこちらを見あげてくる。


「あんた、何人?」

「人間族、ヘルメール人だ」

「中二病?」

「チュウニ病? ここ数年、疫病の噂は聞かないが、そういった病があるのか?」

「…………」


 少女は黙りこむ。この程度の会話も通じないとは、よほど遠い国から来たらしい。


 俺が住む土地の母屋の居間兼台所に、俺たちは対面に腰掛けている。窓から白くうっすらとした冬の日差しが注ぐ昼下がり。暖炉には、ぱちぱちと炎が爆ぜている。彼女が太腿丸出しで寒そうにしているのが哀れで、奮発して昼から薪を燃やしてやったのだ。


 あとは紅茶があれば文句ないのだが、流石にそのような高級品の用意はない。代わりに香草を煮だした茶に山羊の乳を足し、塩をひとつまみ振った特製薬湯を出してやったのだが、これには手をつけてくれなかった。地味に傷つく。


「それで、お前の名前は?」


 再三問うと、少女はふてくされたように、小さく答えた。


「後藤智莉子」

「ゴトーチ・リコか。変わった名前だな。ゴトーチ、と呼べば良いのか」

「あんた、酔っ払ってんの?」

「酒は祭りの日しか飲まないのが魔法使いの決まりだ。お前の国では違うのか?」

「ゴトウが姓で、チリコが名前」

「ああ、そういうことか。悪かったな。それでチリコ」

「馴れ馴れしく呼ばないで気持ち悪い」


 中々に気難しい娘である。


「その魔道具は、よっぽど大切なものなんだな?」


 チリコの手には、例の銀色の直方体が握りしめられたままだ。


「良かったら、見せてほしいんだが」


 それは、魔法使いとしての好奇心が抑えられなかったのもある。しかし同時に、謎の魔道具はひとつの可能性を示唆していた。もしあの鏡を介して召喚術を発動させた鍵なら、解析すれば、帰る手段が見つかるかもしれない。


 だがチリコはゴミでも見るような眼差しで、


「絶対に嫌」


 さらには直方体を我が子であるかのように抱き、俺の視界から隠してしまった。

 ふむ。おそらく父母の形見なのだろうし、無理強いはできない。


「なら、どこから来たのか教えてくれないか。国の名は?」

「…………日本」


 ニホン。聞いたことがない国だ。少なくとも、この大陸には存在しない。


「そこから、どうやって魔法に巻きこまれたんだ?」


 チリコは下を向き、上下の唇をこすりあわせるようにして押し黙った。


「話したくないなら、詳しくは聞かないが……いや、せめて直前のことだけでも教えてもらえるとありがたい。詠唱を聞いたとか、使い魔が現れたとか」


 チリコはうつむいたままだ。よく見れば、顔色は青ざめ、唇にも血の気がない。


 まさか、召喚時によほど怖い思いをしたのか。地獄の門番ゴルゴロスの黒い手に掴まれて地中に引きずりこまれたとか。血を養分に育つ妖草ヴィクジンの叫びに魅入られ恐ろしい悪夢を見せられたとか。

 なんということだ。そんなことをされたら、廃人になってもおかしくはない。


「辛い思いをしたな」


 弾かれたように、チリコが顔をあげた。震えるその瞳は傷ついた子供のように痛々しく――。

 俺は、ふと目を瞬いた。なんとなく、チリコには、切り立った崖の淵を思わせる、切迫した感情があるように思えた。すぐに影がかかって、見えなくなってしまったけれども。


 こういうときに、自分の未熟さを思い知る。俺が高位の魔法使いであれば、あの大鏡を解析してチリコの身に起こったことも、チリコを帰す方法も、解明できるだろうに。いまの俺にできるのは、笑顔を作って励ますことだけだ。


「じゃあ、しばらくここで休んでいてくれ。夜に改めて帰る方法を考えよう。俺はまだ今日の仕事が残ってるんだ」


 俺は、チリコを残して席を立った。彼女の警戒心を解くのは、簡単ではない。なら、いまは一人にして、落ち着かせてやるのがいいだろう。

 それに――。


「仕事?」


 不審げに眉をひそめるチリコに、俺は重々しくうなずいてみせた。


「ああ。済ませておかないと、俺たちは死んでしまうからな」

「…………」


 チリコは長い沈黙をおいてから、「はあ?」と眉を跳ね上げた。



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