モトカレ疑惑

 芦中池は周囲四百メートルの小さな溜め池だった。長嶋は池の南岸の道路に車を停めた。対岸の箭内の自宅の庭から池に零れだした産廃がよく見えた。

 「ひどいっすねえ」長嶋が言った。

 「どれが箭内の家ですか」遠鐘が池の様子を写真に収めながら尋ねた。

 「一番左の家だよ」伊刈が答えた。

 「池に南面した角地なんだ。奥にある化粧造りの大きな二階家が母屋だ。左の平屋がたぶん不法投棄をやってる倅の新居だと思う。反対側に土蔵造りの納屋も見えるね」

 「やっぱり箭内を知ってるんすね」長嶋が驚いたように伊刈を見た。

 「班長が知ってるのは奥さんの方ですよ」喜多が能天気に真相をばらしてしまった。

 「へえそうなんすか」長嶋が平静を装いながら伊刈を見た。

 「後で説明するよ。家の正面に回って見よう。間近で箭内の家を見るのは僕も初めてだからね」

 東岸から回れば二百メートルほどだったが丸見えなので、池の西岸の集落を迂回して箭内の自宅前に乗り付けた。細い農道を挟んで北側に化粧作りの立派な母屋、南側に伊刈の言った新居と土蔵造りの納屋があった。納屋の一階は車庫に転用されていてアメ車のトーラスワゴンが駐車していた。おそらく箭内の愛車だろう。溜め池に面した広い庭はダンプに踏み荒らされ産廃の小山ができていた。池のほとりに造園業で使っている小型のユンボが置きざりにされていた。不法投棄で見かけるコンマ7よりもかなり小さいものだが庭木を植えるにはちょうどよい大きさだった。それが今では庭に降ろしたゴミを片すのに使われていた。このユンボではアームが短すぎて溜め池に落ちた産廃を救い上げることはできなかった。

 「これで所轄が怒らない方が不思議だよな」伊刈が想像以上の状況に驚いたように言った。

 「住民からも苦情が来てまして、所轄が正式に捜査を始めたそうです。立派な植木屋なのにどこで歯車が狂ったんでしょうね。これもバブルの後遺症なんでしょうか」長嶋が伊刈を見ながら尋ねた。

 「このあたりの植木屋はみんなバブルの頃の住宅ブームでぼろ儲けしたんだ。箭内の死んだ親父も儲けた金で不動産業に手を出したんだ。さぞかし羽振りがよかったと思うよ。だけどバブルが弾けた後はどこも散々だ。植木畑は荒れ放題だし、かなりの負債をかかえてただろうね」伊刈は不思議なほど箭内の身辺に明るかった。

 「それで夫婦で不法投棄を始めたんですかね」

 「夫婦でやってるかどうかはわからないよ」伊刈がすぐに抗弁した。

 「だって愛人にゴミを触らせますか?」

 「瑤子さんは、つまり箭内の女房だけど、ゴミに触るような人じゃないよ」

 「女は変わりますからね」

 「彼女は変らないですよ。変ったとすれば箭内だ。本所は箭内を使い倒して逃げる気なんだろうな」

 「でしょうね」

 「こんな大きなお屋敷なのに誰も居ないみたいですね。なんだか不気味な感じです」喜多が感性鋭く言った。

 「班長、庭に棄てた産廃の証拠探しはやらないんですか」遠鐘が伊刈を見た。

 「民家だからなあ。勝手に入ると住居不法侵入にならないかな」

 「まあそれはありますね」長嶋が頷いた。

 「もうここはいいよ。長居は無用だ。岩篠の現場も確認しよう。ここから運び出して向こうに持ち込んでるんじゃないかな」

 「わかりました」伊刈に促されて長嶋は車を発進させた。

 岩篠の現場に向かう鉄板敷きの仮設道路には生乾きのダンプのタイヤ痕がが残っていた。

 「昼間なのに動いているかもしれませんね」長嶋が言った。現場に向かう切り通しに到着すると門扉が開け放たれていた。

 「やってますね」長嶋が言った。

 「慎重に行こう」伊刈が注意を促した。

 「わかってます」

 Xトレールは鉄板敷きの仮設道路を降りていった。その時ドッグレッグした穴の影から奥から土砂運搬用の平ダンプが飛び出してきた。

 「長嶋さんダンプです」喜多が叫んだ。

 「箭内だな」

 平ダンプがXトレールに向かって突進してきた。

 「あの野郎強行突破する気だな」長嶋は急ブレーキを踏み、バッグギアに入れて休耕田の縁の空き地に車を寄せた。がくんと車体が揺れて左後輪が畑の泥に嵌まった。

 「危ない」喜多が叫んだ。その瞬間目の前を平ダンプがフルスピードで走りぬけた。長嶋はこんな緊迫した状況でも落ち着いてダンプのナンバーを控えていた。遠鐘が車を飛び降りてスタックした後輪を確認した。ほかの三人も車を降りた。

 「みんなで押せばなんとか出られますね」遠鐘が言った。

 「班長はアクセル踏んでください」長嶋が言った。

 「いいよ僕も押すよ」

 「班長は革靴ですから。それに一番力がなさそうだし」

 「わかったよ」伊刈が運転席でアクセルをふかし、残りの三人が車体を押した。四駆の車体は重くスタックから抜け出すのは容易ではなかった。長嶋が七つ道具のスコップを取り出して泥を取り除け杉の枯れ枝をタイヤにかませた。それでようやく脱出できた。空転するタイヤが跳ね上げた泥で三人の作業服はドロドロだった。

 「あの野郎どうします」長嶋が顔についた泥をぬぐいながら伊刈に言った。

 「所轄が捜査を始めたんならここは任せます」警察には任せられないとがんばるかと思いきや伊刈はあっさりと諦めてしまった。やっぱり箭内の女房と何かあったなと長嶋は勘ぐらざるを得なかった。

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